■こんな機体まで使ってたのだ



ビーチAT-11 カンサン。
Kansan はカンサス州の人、といった意味。

Tの字が入っている以上、練習機なんですが、極めて特殊な練習機でした。
これ、爆撃機の爆撃照準手の専用練習機で、特徴的な機首部に爆撃照準手の訓練席があるのです。
そんな練習機まであるなんて、どんだけ贅沢なのよ、アメリカ陸軍、と思ってしまいますが、
この場合はむしろ、連中がどれだけ戦略爆撃に力を入れていたのか、という方に驚くべきでしょう。
さらにノルデン式爆撃照準器はかなり高度な知識と訓練が必要なものだった、という事情もありました。

元は民間機のビーチ モデル18で、それの機首部を改造し、
さらに胴体下に爆弾庫を追加した機体、と思っておけばほぼ問題ない機体です。
(ただし爆弾庫と言っても100ポンド(約45s)の模擬爆弾用の簡単なもの)
よく見ると機首部の透明窓には機関銃座があり、空中での機銃射撃の訓練も行えたのだとか。
どんだけ需要があったの、と思ってしまいますが、1500機以上が造られたそうな。
ちなみにアメリカは爆撃機の操縦士、そして航法担当、それぞれにまた専用の練習機を持ってたりします…

余談ですが英語の爆撃手、Bombardier は本来、砲兵を意味します。
空からの砲撃、という事で、ある意味、見事に爆撃機の本質をとらえてます。
ついでにカナダの乗り物製造会社、ボンバルディア、これも綴りはBombardier ですが、
あれは創業者の人名でして、先祖が砲兵だったとか、そういった一族なんでしょうかね。

展示の機体はミシガン州の会社から1969年に寄贈されたものだとか。
…ここまでで紹介した機体を改めて確認すると、いかに空軍が当時の機体を保存して無かったかがよく判りますね(笑)。
まあ、主要な機体はスミソニアン博物館に寄贈してあったので、
それで十分、と思ってたのかもしれませんが。



数学的な問題、という名前で爆撃の力学を解説してありました。
(論理的な命題、とも訳せるが、この場合は単純に数学の、だろう)
すでに日露戦争の時代から、近代戦は数学で戦う形になっており、
第二次大戦はさらにその傾向が強くなっていたわけです。

イラストは当時の爆撃照準手用教科書で実際に使われていたもので、
投下された爆弾の動きを決定する三要素、投下速度、空気抵抗、重力が、
それぞれ擬人化(笑)されて、爆弾を動かしてます。
当時のアメリカ軍の教科書は
“カンサス州の奥地でニワトリ育てた経験しかないスミス”
のような人物でも判るように、という工夫が随所に見られるのですが、
なるほど世界最強のマニュアル制作国家だと改めて思いました。

もっとも、厳密には二つの力と飛行速度が爆弾に作用する、という説明は正しくはなく、
(次元/単位が違うのだからベクトルの合成なんてできない)
爆弾の慣性運動を重力と空気抵抗の力が捻じ曲げてると理解する必要があります。
が、そんな事よりとりあえず理解する、という姿勢はある意味、潔いといえるでしょうね。



ビーチ AT-10 ウィチッタ。
Wichitaはカンサス州にある街の名前です。
先ほどのカンサンといい、やけにカンサス州にこだわりますが、
これはビーチ社がカンサス州にあるからで、ウィチッタは本社所在地です(笑)。
日本だと中島飛行機の一式戦闘機の名が群馬、二式戦闘機が太田になるような感じでしょうか。

このAT-10、正面から見ると判りにくいですが、コクピットとエンジンカウルだけがジュラルミン製で、
それ以外はすべて木造パーツで造られた木製機だったりします。
木製機というとイギリス、ドイツと言ったヨーロッパの印象がありますが、アメリカも造ってはいたのです。
ついでにこの機体も金属部は無塗装ですが、速度を上げる必要はないので、
単にコスト削減か、資材軽減のためでしょう。

双発機の練習用として造られた機体で、B-25、あるいはA-20といった双発機の練習用で、
アメリカ参戦後の1942年から、そろそろパイロットば要らなくなるだろうと思われた1944年まで、
2300機以上が造られた、という事です。

ちなみに手前にあるマネキンは、大戦期の女性パイロットの展示で
彼女たちはWASP(Women Airforce Serivice Pilots)と呼ばれてました。
このワスプは既得権階級の蔑称ではなく、スズメバチの方のWASPに引っ掛けた
例によってアメリカ軍お得意のダジャレ命名です。
海軍のWAVESの方が、一枚上手、という気もしますが。
ちなみにこのマネキンのお姉さん、というか限りなくオバサマに近い人、
かなり怖い顔で、もう少しなんとかならんかったのか、と思わなくもなく…

ただし海軍のWAVESが軍属だったのに対し、こちらはあくまで民間人で
陸軍からの委託で操縦を行う、という立場でした。
とはいえ、彼女たちが飛ばしたのは陸軍の軍用機であり、主にその運送飛行を担当してました。

ちなみにアメリア・イアハートなど、戦前における女性の冒険飛行家の活躍もあってか、
その募集には全米から25000名もが殺到したもらしいです。
が、最終的に採用されたのはわずか1074名だったそうな。
倍率約25倍という、凄まじい競争率です。
で、そんなWASPの皆さんも、この機体で練習したんだよ、という事で、
機体に乗り込むパイロットのマネキンは、よく見ると女性になってるようです。

展示の機体は1997年から展示開始、との説明があるのみで詳細は不明。
レプリカでは無いと思いますが…。



カーチス AT-9 フレジリン。
FLEDGLINGは、ヒヨッコとか若造と言った意味の言葉だそうで、練習機らしい名前と言えば名前なのか。
ちなみにジープという愛称もあり、私はこっちが正式名だと思ってました。

練習機と言っても、すでに単発機を飛ばしてる
ある程度経験があるパイロットが双発機に機種変更する時に使ったもの。
この場合の双発機にはP-38戦闘機も含まれたようです。
ほんとにいろんな練習機造ってますね、アメリカ陸軍…。

1942年から導入され、750機以上が生産されたとされます。
展示の機体は陸軍が保管してたものらしいですが、欠損パーツが多く、
別のAT-9から持ってきたり、博物館で造りなおしてレストアしたのだそうな。

ちなみにこれも無塗装ですが、この鈍い光沢が
本来のジュラルミンむき出しの機体のものと思ってください。
ここまでに見て来た無塗装機はピカピカすぎるのです(笑)。



ステアマン(ボーイング) PT-13D ケイデット。
Kaydet は Cadet(陸軍、空軍の士官候補生) の訛った、ちょっと俗っぽい言い方なんですが、
なんでこんなのを愛称にしてしまったのかは不明…。

1934年代に登場したステアマン モデル75の軍用型で、海軍もNS-1、NS-2として導入しています。
メーカーのステアマンの名で知られる機体ですが、生産途中でボーイングの子会社になったため、
ボーイング ステアマンと呼ばれる事もあるようです。
ちなみに大戦後、民間に大量に放出されたため、エアショーなどでもよく見る機体となってました。
展示の機体は1959年にメーカーのボーイングから寄贈されたものだとか。

といった辺りが、第二次大戦初期の機体たち、という感じになります。
まだまだ展示は続くのですが、今回の本編はここまでとさせてくださいませ。

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