■ライト兄弟と陸軍



そんなわけで、この博物館における最初の展示機はライト兄弟の軍用機、
ライト1909ミリタリーフライヤーです。
ミリタリーと言っても防弾どころか武装も無く、偵察と連絡くらいにしか使えないものですが。
実際、この機体を導入したのは陸軍信号隊で、ここは各種情報収集、連絡を任務とした部隊ですから、
陸軍も偵察、連絡程度にしか使えないと考えてた事がうかがえます。

1909という数字からわかるように、人類初の飛行成功から6年も経った後の機体です。
ライト兄弟は最初から自分たちの航空機の売り込み先に軍を考えていたのですが、
ボッタくりとしか言いようがない価格を吹っ掛けたため、評判は極めて悪く、
ようやくこの年の夏になって導入が決まったのでした。

ちなみに販売価格は3万ドルと、当時としてはベラボーな金額で、
しかも1911年には早くも実用に耐えず、として引退してますから、まあ最低な製品でした…。

さらにこの機体、未だにソリ式の脚でした。
すなわち離陸には専用のレールがないとダメなのです。
ライト兄弟、世界初の飛行に成功したのは事実ですが、その後の進化を怠った面が強く
初飛行から5年以上経ったこの時期には既に完全に時代遅れになっておりました。
この後、1912年からライトC型(6機)、D型(2機)という機体も陸軍に導入されるのですが、
これも旧式なままの構造で、間もなく陸軍はライト兄弟の機体に興味を失うのでした。

ちなみに展示の機体は1955年に造られたレプリカで、オリジナルはスミソニアンが保管してます。
(プロペラ、エンジンは当時のオリジナル部品を使用してるが)
ただしスミソニアンで見た記憶が無いんで現状は展示されてなかったと思われます。



1912年から導入されたライト兄弟による二世代目の軍用機、ライトC型に使われたエンジン、ライト6-60。
角ばった下のクランクケースに直列6気筒、というライト兄弟のエンジンの特徴が出てるもので、
6-60は6気筒で60馬力、というスペックを示します。

自転車屋の彼らが、エンジンまで完全自主開発だったのは凄い事なんですけどね。



こちらは陸軍が導入した2番目の航空機、1911年から導入されたカーチス1911D型IV(4)型。
ライト兄弟にとって法的にも(笑)経済的にも最大のライバルとなったバイク屋、カーチスによるもの。
自転車屋対バイク屋の戦いは、終始カーチスが優位に進めるのですが、
最後は1929年の大恐慌の影響で、両者は合併、カーチス・ライトとなってしまいます。
なんとも運命の皮肉を感じる部分です。

上のライト兄弟の機体から2年しか経ってませんが、すでにどこでも離着陸できる車輪付きの脚を持ち、
さらに値段はたったの5000ドルとわずかに1/6でした。
この後、ライト兄弟の機体も再び陸軍に導入されるのですが、そちらは値段こそ下がったものの、
相変わらずソリ式の脚で、陸軍が急速にライト兄弟から興味を失ったのも無理のないところでしょう。
ちなみに展示の機体は一人しか乗ってませんが、実際は後ろにも偵察員の席があり、二人乗りです。

まだまだ原始的な機体ですが、1911年導入という事は、この3年度には第一次世界大戦が始まるわけで、
この時代の航空機の進化の凄まじさがわかるかと。

ちなみにこの機体もレプリカで、オリジナルは現存してません。



フランスのル・ブルージュでも見たブレリオの単葉機。
1909年に設計者のブレリオ本人が操縦して、英仏海峡横断をやってしまった機体です。
以後、その機体が量産され、第一次大戦まで、偵察、練習機として使われました。

ちなみにアメリカが参戦する事になってから、ヨーロッパに送り込まれたパイロット候補生たちは、
最初、このブレリオのCliiped wing、切断翼型に乗せられました。
普通、切断翼型というのは翼端を切り取って、揚力の低下と引き換えに
速度とロール性能を上げるものですが、この時の切断翼は文字通り翼が全部切断されていて、
ほとんど胴体だけの機体でした(笑)。

それでどうするの?というと、尾翼は残っているので、十分に加速すれば尻は持ち上がります。
この状態で垂直尾翼を動かせば機体は左右に振れるし、
水平尾翼によってケツを下に押し下げる事もできます。
つまり、尾翼による機体の操作を、地上で安全に覚える、という事です。

それじゃ主翼のエルロンによるロールの操作はできないじゃん、と思うのですが、
ブレリオ単葉機の時代には、いかに航空先進国フランスと言えど、まだエルロン(ちなみにフランス語)は
装備されておらず、垂直尾翼の舵(ラダー)のみでゆっくりと回頭しながら飛んでたのでした。
(主翼をねじって左右の揚力を変え、主翼の揚力を使って機体を曲がらせる、
というライト兄弟の設計はそういう意味ではまだ最先端だった。
この仕組みが特許で守られていたため、やがてより優れたエルロンがその代わりになって行く。
そしてあくまで自分たちの技術にこだわったライト兄弟は
驚くべき速さで技術の進歩から取り残される事になる)

とりあえず主翼、尾翼、車輪の配置が後の機体の先駆となってるのに注目してください。
これで上のアメリカ製の機体たちより二年も早い設計なのです。
この辺りから飛行機の先進地帯はヨーロッパへと移って行き、アメリカは完全に出遅れます。
それは第二次大戦直前まで続くのでした。

ちなみにこの機体はレプリカに近いのですが、それでもその来歴は壮絶で(笑)、
そもそもは1911年にオハイオ州在住のアーネスト C ホールさんが手に入れた設計図を元に
自分で全部作ってしまった機体でした。マジかよ…。
エンジンどうしたんだ、という気もしますが、ホールさん、どっかで調達して来て飛行可能にしてしまい、
彼はこの自分で組み立てた機体で飛行機の操縦を覚えたのだとか。
すげえな、アメリカ。

のちに1969年、ご本人から地元のこの博物館に寄贈されたそうな。


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