■台湾の基礎知識

さて、今回の旅行の目的地、台湾について、軽く見ておきましょうか。
今回の旅行は3泊4日だけ、さらに台風の影響で初日が潰れてしまい、
実質2日半しか現地に滞在できなかったので、
そこまで細かい予備知識は要らないと思いますが、
とりあえず記事を読むのに最低限知っておいて欲しい事だけをまとめておきます。

まずは台湾の位置はこんな感じです。
最初は、その地理的条件と気候などから見て行きましょう。



気候としては北部が亜熱帯、南部は完全に熱帯となります。
ただし台北は東京と比べ、それほど高温という感じはしませんでした。
ただ湿気はすごく、気温29度とかでも汗まみれになります。

ついでに台南市の北あたりを北回帰線が通っており、これを境に
熱帯と亜熱帯に分離されるようです。

首都の台北から日本の沖縄本島の那覇までが約600q、
中国本土の大都市 福州までが約250q、
香港までが800q、フィリピン ルソン島の北端までが約700qとなってます。
ちなみに日本の最西端の島、与那国島から台北までは約155qほどしかなく、
海さえなければ日帰り圏内ですね。

参考までに日本国内のデータに触れておくと、
東京から大阪までが約400q、福岡市までが約900q、
東京から札幌までが820qとなってます。
(直線距離で。東京は意外にバランスのいい場所にあるのだ)

台湾とルソン島との間にあるのが有名なバシー海峡で、
太平洋西岸部の重要な航路の一つになってます。

台湾本島の面積は約35800平方qで、
よく知られるように、ほぼ九州本島(約36750平方q)と同じです。
ちなみにさらに西の海南島も同じような面積で(33500平方q)、
何かの偶然なのかもしれませんが、太平洋西岸には、
似たような面積の島が三つも連なってる事になります。

そして台湾には、面積の割には巨大と言っていい山脈があり、
300qを超える長さを持つ中央山脈が島の中心部を南北に走ってます。
さらに富士山より高い台湾最高峰の玉山(3952m)がある玉山山脈などもあり、
このため、天候の変化が中央部の山脈の影響を受け、複雑なものになってるようです。

ちなみにかつて日本が統治していた50年間は、当然、玉山も日本の山ですから、
日本最高峰は富士山ではなく、こちらでした。
さらに中央山脈は富士山並みの3700m級の山々がズラッと並んでますから、
日本最大の山脈もこちらとなります。

ただし日本領当時は玉山ではなく、新高山(にいたかやま)と呼ばれており、
1941年12月の真珠湾攻撃における有名な電文、
ニイタカヤマ ノボレ の新高山は現在の玉山の事でした。

ちなみに日本が台湾を統治下に置いた後からの測量によって、
この山の標高が富士山を超える事が確認されたため、
明治天皇が日本の新しい最高峰、という事で新高山と命名した、とされます。
……ちょっと直球ネーミングすぎませんかね、これ(笑)。

ついでに、日本と違って山岳信仰が無かった台湾では、
原住民はわざわざ山に登ろうなんて趣味は無く、このため、
台湾の高山の多くは未踏峰だったとされます。
(逆に日本は登山文化が欧米から輸入される前から、
修験道の山伏が片っ端から山に登ってしまっていたため、
3000mを超える山で未踏峰は一つも残ってなかった。
今でも一部の山の山頂周辺には岩に刺さってる錫杖や刀がある。
ちなみに以前、甲斐駒ヶ岳の山頂付近でこれを見た時は驚いた。落雷とか凄いだろうに)

よって玉山(新高山)を始めする多くの台湾の高峰は
ほとんどが日本人により初登頂がされてるんですが、
どういうわけか日本の登山家は台湾に興味が薄いようで、
ほとんどその記録が残ってません。



ここでもう一度、同じ地図を。
ちなみに本記事では、いろいろとメンドクサイ話を全て無視して、
中華民国(首都:台北)を台湾、中華人民共和国(首都:北京)を中国、と表記します。

さて、地理という点ではもう一つ注目なのが台湾の領土です。
この場合、実質的に支配下に置いてる土地(中国も領有を主張してるが支配できてない)、
という意味で見ると、台湾はスゴイ国でして、台湾本島からはるかに離れた中国本土の沿岸に、
金門島と馬祖(まそ)列島(連江県)という領土を持ってます。

上の地図で見ればわかるように、両者とも
中国本土の沿岸沿いと言っていい場所にあるのです。

なんでこんな場所に台湾領があるの、と言えば、
第二次大戦後の内戦で、共産党に敗れた国民党軍が
中国本土から台湾周辺に追いつめられる中、
唯一、本土付近で踏みとどまって維持できたのがこの島々だったからです。

当然、中国側は、この飛び地の奪回を試みて来ます。
その最大の紛争となった1958年の第二次台湾危機(Second Taiwan Strait Crisis)では
アメリカが台湾の後ろ盾となってこの戦いを進めたため、中国側が実質的に敗北、
以後、中国側は武力占領をあきらめ、この結果、
台湾側が現在に至るまで、金門、馬祖の両地域の支配権を維持しています。
ちなみにこの戦いは、中国がアメリカによって後押しされた軍隊に唯一完敗した戦いです。
(朝鮮戦争は事実上の引き分け、ベトナム戦争は中国側の優勢勝ちだった)

ただし、ここら辺りをちゃんと理解するには台湾の歴史を知る必要があります。
次は、その辺りも含めて、台湾の人の活動を見て行きましょうか。


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