■要するに負け戦だから



中国内戦は、まあ負け戦ですから、あっさりと展示は片付いて(笑)、
台湾海峡の戦いに展示は移ります。
基礎知識編でも書いたように、1949年12月に国民党政府はその首都を台湾の台北に移し、
その後1950年5月までには大陸内の拠点全部、さらに海南島も共産党軍の手に落ちました。
(余談だが、ゆえに朝鮮戦争は1950年6月に起こるのだ)

残るは台湾本土と、先にも書いたように、本土沿岸にある二か所の群島、
金門、媽祖のみとなってしまいます。
共産党としては、まず本土沿岸に位置する金門、媽祖の攻略に出るのですが、
アメリカの兵器援助、さらに朝鮮戦争(1950年6月開戦)で
中国共産党軍が大量にそちらに振り向けられたことなどにより、
ここでは国民党軍が勝利するのです。
これによって以後、現在に至る台湾の領土が確定する事になります。

負けに負けてた国民党軍のようやくの勝利ですから、展示も力が入ってます(笑)。
ちなみにこれは当時の戦場の再現だそうですが、司令部かなんかでしょうか。
軍装コスプレのお兄さん二人が、初めて来たメイド喫茶で
必要以上にテンション上がってる所とかにも見えなくも無くも無いですが。



1950年の国民党陸軍の軍用弁当箱だそうな。
まあ、そうなんですか、としかコメントのしようが無い展示ではありますね。



記録を見ると1954年まで使っていたらしいP-51Dムスタングの模型。
国民党軍はアメリカ陸軍からの払い下げのP-51を200機以上を、
1945、46年に受け取っており、これが主力戦闘機となってました。
ムスタング200機持ってて、まともな空軍も持たない共産党軍に負けたのです、
この人たち…。
ちなみに中国語では野馬機で、直訳一直線。

台湾空軍はのちにF84サンダージェットやF86セイバーの供給を受ける事になるのですが、
少なくとも大陸で戦って居た間はムスタングが主力で、台湾に来た当初もその状態でした。
ちなみにこの模型、脚カバーが外れてるのはただの組み立て時のウッカリさんなのか、
当時は泥除け(未舗装の滑走路でタイヤとカバーの間に泥が詰まって脚が畳めなくなる)
のためにそういった改造してたのか。

でもって右はアメリカ製のM5A1軽戦車ですが、
この戦車が金門島周辺の戦いにおける国民党軍の主力だったようです。
1943年から生産された戦車としては、性能的にいろいろ中途半端なんですが、
金門島の戦いでは大活躍をして、金門之熊という、カッコいいのかカワイイのか
微妙な愛称が付けられたそうな。

ちなみに前面についてるノコギリみたいのは生垣切断機(Hedgerow Cutter)で、
フランスからドイツにかけての戦場で、
畑や屋敷の生垣を突破するために開発されたもの。

ただし太平洋戦線に回されたM5A1にこれ付いてたのかなあ、という気がしなくもなく。
タミヤのキットにはこれが入ってるので、何も考えずに
付けちゃっただけじゃないかなあ、という気がしなくもなく。



こちらは当時の兵器の模型と、実物の砲弾とか。



左側は朝鮮戦争が終わって手が空いた中国軍が再度攻勢に出た戦い、
1958年8月〜10月の八二三戦役の時、
(いわゆる金門島砲撃戦。英語だとSecond Taiwan Strait Crisis)
中華人民共和国、すなわち中国本土側が撃ち込んできた122o砲弾の残骸。
砲身内のライフル(旋条)に食い込む部分が下部に見えております。

本土からの砲撃は相当に熾烈だったようで、多くの犠牲者が出たとされます。
それでもこちらも朝鮮戦争が終わって手が空いてたアメリカが、
本格的に援助することで、なんとか乗り切ります。
中国側は渡海作戦を苦手としてたのも、大きな勝因かもしれません。

中国が使ってた122oとなると、おそらくソ連製の榴弾砲でしょうが、
榴弾(爆裂して破片を高速で周囲に吹き飛ばし損害を与える)
でもこんなに弾の外殻って分厚いんですね。

右端のはその戦役中、金門島付近で、中国側の艦艇(魚雷艇?)と交戦、
どうも魚雷を受けて大破したらしい、といわれている沱江艦の鐘。
(台湾軍は自軍の損失はあまり詳しく公表してないので、詳細は不明)
USNの文字がある事から判るように、これも元アメリカの海防艦(Patrol crafts)で、
戦後、台湾に供与されていたものでした。
台湾では有名な船らしく、現在台湾海軍が使用してる
ミサイル艇、沱江級はここから名前を取ってるようです。

ちなみにこの艦も例の虎の旗、栄誉虎旗を受けてます。


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