■行くぜ国軍博物館



とりあえず、この南国ムード溢れる通りを渡ります。
手前に見えてるゴミ箱は台北ではあちこちで見かけたもので、
東京より進んでるなあ、と思ったり。



といわけで、ここが国軍博物館、正式には国軍歴史文物館。
西門の中心部から徒歩10分とかかりませぬ。
AFMはArmed Forces Museum の略で、その名の通り陸、海、空がまとめて入ってます。
ただし、先にも書いたように台湾では憲兵が独立した一軍なんですが、
どうもこれは無かったような…。



とういわけで、二日目、実質初日に大敗退した国軍博物館に戻って参りました。
外にはドイツ製の魚雷発射管と魚雷、日本陸軍の砲弾とかが並んでます。

手前にあるのが、その形式不明のドイツ製魚雷発射管なんですが、
銘板によると1897年製のもの、となっており、ホントだとすると、
ドイツの極初期の魚雷艇(S-90級)などに積まれていたものです。
ホントにそうなの?という部分が無くも無いので、ここでは紹介を省きます。

ちなみにこの玄関前の展示は全て日中戦争に勝利したときの戦利品、
との解説がありにけり。
まあ、蒋政府は確かに日本の降伏文書にサインしてるので、
戦勝国を名乗る資格はあるんですが、あなた達、実質何もしてませんよね?
フランス以下ですよね、イタリアよりましですか、という気がしなくもなく…



ちなにに国軍歴史文物館の看板の横には蒋中正の署名がありにけり。
これ、蒋介石の本名ですね。
自分の署名なので、字(あざな)の蒋介石ではなく、こちらとなってるわけです。

基礎知識編でも書いたように、中華圏で目上の人、立場が上の人を
本名で呼ぶのは無礼とされるため、そのための別名、字(あざな)を持ちます。
孫文の場合、孫文が本名で、孫中山が他人が呼ぶための尊称、すなわち字です。
(厳密には字ではなく、日本時代の偽名が元になってるという話もあるが)

蒋介石の場合、蔣中正が本名なので、自分で記名する場合、こちらを使うのです。
ちなみに、どういうわけか日本では蒋介石と、彼の字(あざな)すなわち尊称で呼ぶんですよね。
孫文は本名で呼び捨てなのに…。

この辺りは旧陸軍の皆さんの無知が犯人だと思うんですが、なんで?という感じではあります。
敵である日本軍が蒋介石、という呼び名を使うのは、
戦争中のアメリカ軍がヒロヒトではなく、昭和天皇陛下、と呼んでるような
チグハグな感じが無くもなく。
当時の中華民国の皆さんは、日本人は意外に礼節を知ってるじゃないか、
ぐらいに思ってたんでしょうかね…。

さらに余談ですが、諸葛孔明の孔明も字ですから、身内の関羽や張飛が孔明と呼ぶのは
当然なんですが、敵である曹操などが、呼ぶ場合は、呼び捨ての諸葛亮が正しいと思うんですが、
原語での三国志演義では、この辺りどうなってるんでしょうね?
日本語版でしか読んだこと無いので、どうもこの辺り適当な気がするんですが。



こちらは1924年に中華民国が造った軍の士官学校の訓示。孫文の直筆文を石碑にしたもの。
本人が書いてるので、こちらも署名は孫文となってます。
三民主義は孫文が唱えたスローガンで、民族主義、民権主義、民生主義の三点からなるもの。
これ、リンカーンのアレの真似じゃないか、という気もするんですが、詳細は不明。



でもってこちらが入り口。
前日の夜、ホテルからネットで開館中、となってるのを確認はしてたんですが、
アジア方面ではそんなの全くアテにならない、と何度も思いしらされてるので(笑)
ドキドキしながら扉の前に立つと、自動ドアがオープン、無事、入場できました。
(アメリカの地方博物館もかなり怪しいので、アジアばかりでは無いのだけど)
ちなみに入り口で確認したら、館内の撮影はオッケー、ただしフラッシュ禁止、との事。

というわけで、次回からは、この国軍博物館の見学と参りましょう。
とりあえず、今回の本編はここまで。


NEXT