■次は砲台だ



といった感じで無事(?)徳陽艦の見学も終わったので次の目的地に向かいます。



といっても目の前の公園内にある億載金城、直訳すると一億年頑丈な城塞、
という豪勢な名の砲台跡が次の目的地でヤンス。
ちなみに地図下の赤いマークが現在地ですが、その左下の辺りに徳陽艦があります。

名前が勇ましいほど中身が無い、強気な奴ほど中身はチキン、
自信満々に断言する奴ほどモノを知らぬ、というのはどの世界でも共通ですが(笑)、
ここもその名の割にはちょっとショボイ施設ではあります。
ちなみに二鯤鯓砲臺という呼び方もするようですが、こちらの意味は不明。
かつての地名ですかね。
さらにちなみに中国語的には後者の砲台が正解で、どう見ても中国語の城、
すなわち城塞都市ではないです。…なんでこんな名前にしたんでしょ。
あるいは城壁で囲まれていれば、都市でなくても城と呼ぶのかしらん?

その億載金城の形状はおおよそ上の案内図のような感じで、
典型的な17〜18世紀前後の星型要塞なのがなんとなく見て取れるかと。
1876年完成の砲台&要塞としては、すでに時代遅れな気もしますが…。
当然、この立地からして沿岸砲台を兼ねてます。

ここは基礎知識編で説明した台湾出兵、
1874年(明治7年)の日本による武力侵攻にショックを受けた清朝が、
台湾の根拠地である台湾府城の海上防衛用に
あわてて建設した西洋式海岸砲台&要塞でした。
とりあえず出兵から2年後の1876年に完成してますから、
アジアの西洋式要塞、という点では函館の五稜郭とほぼ同世代となります。

ただし五稜郭は単なる要塞としては大型な方なのに対し、
こちらはせいぜい200m四方の大きさしかなく、やや小さい印象を受けます。
が、むしろこっちの方が当時としては世界標準サイズで、同時代、南北戦争時に活躍した
アメリカの海岸要塞なども、ほぼ同じくらいか、むしろより小さいです。
(オランダ辺りの星型城塞はもっとデカいが、あれは街や行政機関を
丸ごと中に取り込んでしまってる城塞都市なので、比較するのは無理がある)

台南市沿岸部は現在までに埋め立てられまくった結果、完全に陸地に取り込まれてますが、
建設当時は海に向かう田んぼの畦道のような砂州の中、というかなり微妙な立地でした(笑)。
しかも外海に接しておらず砂州の外に半島のような陸地があって、
その内側が台南の港、という構造になっており、この砲台から外海方向への攻撃はできなかったと思われます。
このあたり一体全体、この要塞で何をどうやって防衛するつもりだったのかは、
どうも微妙によくわかりませぬ…。

ついでにこの時期だとすでに台北への行政機関移転は決定済みだったはずで、
なんで今さらこんな防御施設を台南に建設したのかも謎なところですね。



とりあえず、案内板に従って奥に進む。
台風通過後すでに二日経ってるのですが、まだまだ被害は残っていました。
写真で見えてるのは園内で倒れた木を切断して運び出してる人たち。

この辺りは城塞建設当時は海の中、というか砂州でネットワークされてた
不思議な陸地が連続する地帯でした。
これは日本には無い地形でして、言葉で説明するのは難しく
興味のある人は台南の古地図を探してみてください。



しばらく行くと、それらしきものが見えてくる。



…まあ、見えて来たんですが、予想以上にあれだな、という感じはする(笑)。

ここも一時期、廃墟同然になっていたのが、近年復興されたものなんですが、
建設時の面影はほとんど残ってないような気がしてきました。
いくらなんでも、お濠の向こうの城壁は低すぎでしょう。
これじゃ船の上の大砲から撃ち降ろされる形になりますから、
要塞どころかどう考えてもいいカモです。

おそらく以前はあの土地の上にもう少し、
高いレンガの城壁と砲台があったんじゃないかなあ。
あるいは難しい事は一切考えないで、最初からこうだったのかなあ(笑)…

ついでに言えば、本来海の中の砂州に造られた要塞に、お濠があるのも変な話で、
アメリカの港湾要塞のように、周囲は海で水だらけなんだからそれを活かすべきでしょう。
どうもこのお濠もホントに最初からあったのか?という疑惑が無くも無く。
ちなみにこのお濠、護城河という名前が付いてるようです。
…河?

あるいはあれか、敵は日本ですから忍者対策か。
しかし、むしろ忍者ホイホイというか、オレが忍者名なら
むしろこれを渡ってぜひとも侵入して―、とか考えると思うんですが、いかがなものか。


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