■アユタヤ ラストスパート



とりあえず、今回でアユタヤ市内観光は終了となるのですが、
最後は前回に見た象乗り場から先、
島の西側をグルッと回って見る形になります。



さて、ではさらに西に向いますよ。

アユタヤ島には南北に走る水路(明らかに人工のもの)が2本あります。
で、西側にある方の水路にはあまり橋がなく、
ようやく見つけたこの橋、どうみても木製ですよね…。
観光用の演出では無く、ごく自然に木製っぽいなあ、どうも。



その先で地元の市場みたいな所に出る。
屋台もあったので、ちょっと見て行こうかな、と思ったんですが、
舗装されてない地面は相当ホコリが立っており、
さすがの私もここで食べ物買うのはちょっとなあ、と思って見送る。



その先で西に向う道は行き止まり。
あれま、しかたない少し北に向いますか。



ここら辺りまで来ると本当に単なるタイの田舎町で、
特に何もないよなあ、という風景が続きます。



と、その先でなんだか巨大な構造物が。
あ、寝釈迦仏(涅槃仏)ですね、これ。

元祖仏教であるお釈迦様が入滅(生物的な死)を迎えた時の彫像で、
日本でも絵画などはよく見るポーズです。
タイの場合は、仏像でもよく見る形体の一つなんですが
よくよく考えると何もそんな瞬間の彫像を造らんでも、という気がしますが…

もっともキリスト教でも、元祖クリスマスこと
ジーザース閣下が十字架に貼り付けになった時の
彫像や絵画が掃いて捨てて埋め立てられるほどありますから、
そういった瞬間というのは、信者にとっては、もうたまらん、という
名場面なのかもしれませぬ。

逆にこの点、偶像崇拝を徹底的に排除した
イスラム教は大したものだとも思ったりもします。
同じヤハウェ(アラー)の指示で造られた兄貴分のキリスト教も
本来は偶像崇拝禁止のはずなんですが…。
同じ絶対神閣下が中部アジアで人類に造らせた
ユダヤ、キリスト、イスラム、シーク4兄弟宗教の中で、
どうもキリスト教だけが常に偶像崇拝ギリギリのラインに居る気がします。
(ちなみに仏教は偶像崇拝を禁じてないが、
そもそも本来は崇拝という概念が無い)

ここら辺りを、誰も理解してなかったのが江戸期の日本で(笑)、
踏み絵って、キチンと教義を理解してるキリスト教徒には無意味なんですよ。
あんなの、ただの偶像(Idol)ですから、踏みつけようが蹴倒そうが、
そもそも偶像崇拝を禁じてるキリスト教の信仰には何の意味もありません。
12使徒に言わせれば、そんなもん積極的にケリ倒せくらいのもんでしょう。

あれでキリシタンが見つかると思った幕府も浅はかですが、
それにひっかかちゃった自称キリシタンの皆さんも、
気の毒ではありますが、なんだかなあ、と思ったり。
ここら辺りは適当な布教やってたイエスズ会の罪でもあるんですが…

以上、余談。


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