■さらに上へ



さて、艦橋の見学が終わったので、お次はその上、
軍艦の屋上にはお馴染みの戦闘指揮所へ向います。
これは艦橋を出て艦後部を見たところ。

煙突の上の白い布は長期停泊時に使う雨水侵入防止カバー。
黒縁部の下に見えてる針金のようなものは、
その取り付けを行なうときの足場じゃないかと思いますが、
例によって詳細は不明。

軍艦の煙突の上に見られる金族網は
このカバーを付けるためのものですね。
カバーの実物は私も始めて見ました。

煙突の横には20mmの連装機関砲が見えてます。
その手前の細長い棹状のものは、
恐らく長距離通信用のアンテナ。



ちなみに艦橋への入口はこんな感じで、
ドアはガラス窓付きのオシャレな木製のもの。
さすがにオリジナルでは無いと思うのですが、
結構年季は入っており、詳細は不明。

左側に見えてるのはコンパスで、
航海中はこの前にも人が居たのでしょう。
実際、艦橋周辺の屋外に人員が配置されてる軍艦は多いのですが、
たまにここが艦長席、という場合があったりするので
海の男の世界は油断がなりません。



そこから見た煙突上部周辺。

こんな小型艦でもいろいろ付いてます。
左端、ちょっと低い位置にあるのは
汽笛じゃないかと思いますが、例によって確証はなし。



で、艦橋の屋上に繋がるこの階段の上が戦闘指揮所です。
手前黒い部分は前部マストの支柱の中の一つです。
盛大に配線が取り付けられてるのが印象的。



で、ここが戦闘指揮所。
この手前に測距儀があるんですが、ちょっと狭くて、
それを入れての撮影は断念。
その前で撮影してみましたよ、はい。

もっとも視界のいい場所に設置され、
戦闘時に操舵、砲撃の指揮を取るのが軍艦の戦闘指揮所です。
ただし、このHTMSメークロンの場合、
艦橋に居る総舵手に繋がる伝声管はあるものの、
ホントにそれしかありません(笑)。

例によってそれぞれの武装、及び艦内の射撃管制室に繋がってるはずの
電話類が一切無いため、せいぜい右に行けとか、
やっぱ逃げようとかを操舵手に伝えるのが精一杯のように見え、
戦闘指揮所としては、やや中途半端な感じが残ります。

ついでに、ここには写真のようなテーブル状の台座が
いくつもあったんですが、これの正体は不明。
おそらく周囲監視用の双眼鏡の台座跡だと思うんですが、
例によって確証はなし。
さらに中央のフタツキ台座に至ってはさっぱりわかりませぬ。



ここから振り返るとこんな感じ。
中央に見えてるのが測距儀で、
目標との距離と、その方位を測るもの。
ただし基本的な機能は距離の測定の方で、方位は目標を捕らえたとき、
この装置が向いてる方向を読み取ってるだけです。

放物線状に砲弾が飛んでゆく大型艦の主砲は、
砲弾が直線で相手を貫く線射撃ではなく、
上から落として当てる、という点射撃になるため、
落下点までの距離の測定は必須となります。
というか、落下点までの正確な距離がわからないと
そもそも戦闘になりませぬ。

が、この艦の12cm砲なら、余程の場合をのぞき、
ピストルやライフルのように直線弾道で相手を撃つため、
戦艦などに比べると、距離の情報はそれほど重要ではありません。
(あれば有利だが、無くても戦闘不能になるほどでは無い。
それでも全砲門で一つの目標を狙わないと命中は得難いので
本来は戦闘指揮所からの指示は必要)

ただし対空戦闘では信管の設定に距離情報が必須なのと、
(到達距離で時限信管の時間設定が変わる)
同じく魚雷戦でも距離の情報が必須となるため、
この手の艦でも必要な装置ではありました。

ただし、建造時のこの艦の対空装備は20mm機関砲だけですから、
設定可能な時限信管なんてのはありませぬ。
となると、主な用途は魚雷用かと思っちゃいますが、
先に書いたように、ここから魚雷管制装置まで
なんの連絡手段もないのです…。
そもそも魚雷管制装置があったかも謎ですが。

あるいは博物館展示に辺り、
いろいろ取り外されてしまった可能性もありますが、
なんとも微妙な感じはします。

とはいえ、このサイズでこういった形のカバーが付いてる
測距儀は日本製と見てほぼ間違いないはず。
おそらく1937年の建造当時のものと思われます。
とりあえず、貴重なものではあるしょう。

このサイズだと、1.5mか2m測距儀だと思うのですが、
1.5mにしては長いので2mでしょうか。

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