■HTMS メークロン

さて、今回からHTMS メークロンを見て行くわけですが、
中に入った後からだと全体像が捉えにくいので、
最初に艦全体の解説をしてしまいましょう。
まずは大まかな艦歴から。



20世紀初頭、タイは植民地化されなかったとはいえ、
フランスには領土を奪われた恨みがあったため、これとは対立関係にあり、
イギリスと接近し、その強力な影響下に置かれます。

このため、軍備もイギリス式が主流だったみたいですが、
1935年(昭和10年)に始まったタイ海軍拡張計画では、
当時の大日本帝国に14隻もの海軍艦船を発注してます。

日本に発注する事で、イギリスを牽制したのか、
イギリスが武器を売ってくれなかったのかのどちらかだと思いますが、
とりあえず当時アジアへの影響力強化を狙っていた日本の思惑に乗る形で、
この発注が行なわれたようです。

なにせこの段階で、曲がりなりにも植民地化されてない東アジアの国は、
中国とモンゴルを除くとタイだけでした。
このため日本としてもタイに影響力は持ちたかったはずですから、
この発注は歓迎されました。

そもそも中国とは満州を巡って対立、モンゴルは共産主義国家で、
後にこれも満州国がらみでノモンハンで戦う事になるわけで、
とにかく敵だらけだった日本にとってはノドから手が出るほど欲しい
同盟国だったのかもしれません。

特に、軍部はタイはイギリスの支配下にあるのではないか、
と考えていた形跡があり、これを日本側に引き寄せられるなら、
という思いは強かったと思います。
(独立国としてはネパールもあるが
東アジアとは言いがたいし、失礼ながら味方につけてもメリットが薄い)

ちなみにその直前、1934年から36年にかけて
タイは魚雷艇を9隻イタリアに発注していますから、
やはりイギリスが売ってくれなかったのか、
より単価が安い(笑)国に発注しただけかのどちらかでしょう(笑)。
このイタリア製トラッド(Trad)級魚雷艇も1隻、
タイ国内のどこかに残ってるらしいんですが、私は未見。

ただし、この時日本に発注されたのは
給油艦1隻、哨戒艇3隻、輸送艦2隻、小型潜水艦4隻、
1422トンの海防艦(Corvette/Sloop)が2隻、
そして2265トンの砲艦が2隻だけで、
数は多いものの、規模としてはそれほどのものではありません。
その1422トンの海防艦2隻のうちの1隻が、今回見学するHTMSメークロンです。

ちなみに総排水量2265トンの砲艦、HTMSアユタヤとHTMSトンブリーの2隻が
この時発注された最大の戦闘用の水上艦艇でしたが
両艦は、総排水量で言ったら駆逐艦クラスの軍艦に過ぎまないのに、
203mm(8インチ)の主砲を4門搭載、という奇妙な軍艦でした。



ナショナルメモリアルにあった、やや投げやりなHTMSトンブリー&アユタヤのイラスト。
小さい船体の前後に、巡洋艦クラスの大きな砲等を二つ搭載してるのがわかるでしょうか。
このタイ海軍最大の軍艦である砲艦HTMSアユタヤとHTMSトンブリーは、
駆逐艦クラスの船体に、巡洋艦の主砲を積んでしまった、妙な砲艦でした。
まるで漫画でデフォルメされた戦艦のようで、見た目は珍妙です。

とはいえタイの二つの王朝をその名に持つこの2艦は
日本で言ったら戦艦大和と武蔵みたいな存在で、
間違いなくタイ海軍の主力、最強の軍艦でした。
ただし、タイ海軍における当時の公式(?)最強軍艦としては
HTMSトンブリーが紹介される事が多く、HTMSアユタヤはあまり表に出てきません。

これには理由があって、戦後に一度だけ、海軍が指導して
1951年にクーデーターを起こした事があったのですが、
見事に失敗、陸軍の砲撃でHTMSアユタヤは沈められてしまったのです。
(空軍が爆撃して沈めたという話もある。装備、錬度ともに可能だとは考え難いが…)
この時、HTMSアユタヤには当時のタイ首相が人質なって居たのですが、
陸&空軍はためらわずHTMSアユタヤを沈めており、
ここら辺りからもタイの政治事情が伺えます…
(ただし首相は脱出、自ら泳いで帰ってきたらしい(涙)…)
よって、HTMSアユタヤはタイ海軍の黒歴史の一部とも言え、
あまり人気がないようです。

とりあえず両艦とも沈没してるんですが、このうちHTMSトンブリーの
艦橋と主砲砲塔だけは後に引き上げられ、
現在、例の渡し船の街、パクナムにある海軍士官学校の校庭に飾られてます。

特定の記念日、解放日にこれは見れるほか、
どうも門番の衛兵さんに見せて、と交渉すれば見せてくれる、という話もありにけり。
今回は訪問に失敗してるのですが、
大まかな場所は今回の記事の最後に出てきます。
日本海軍の203mm砲と砲塔がセットで現存するのは、
これだけですから、いつかはちょっと見てみたい気もします。

でもって、タイ海軍はこの両艦を主力に据えて
フランス タイ戦争中(Franco-Thai War)の1941年に
フランスの植民地艦隊と戦ったのですが、
再びエライ目に会うのです…。




とりあえずHTMSトンブリ&アユタヤに次ぐ位置にあった水上戦闘艦、
1422トン級海防艦2隻の内の1隻が
今回見学するHTMSメークロンで、
同型艦HTMSターチンと二隻セットでタイ海軍に就役してます。
その後、戦後の1995年まで現役だったのは先に書いたとおり。
(ただし正式な退役年度は1996年説あり)
その間には御召し艦として国王が乗艦したこともあったのだとか。
どうも国王、ラーマ9世がヨーロッパ留学から帰国した時に
この艦を利用してるみたいですね。
だから記念艦として保管されたのかもしれません。

ちなみにHTMSメークロン級は全長で88m(85m説あり)と
日本の水雷艇に近いサイズなんですが、
装排水量では1422トンと1.5倍近くあります。

これは12cm砲4門、連装魚雷発射×2、さらに機雷投下装置まで、
この小型な艦体に詰め込んでしまった結果でしょう。
さらにカタパルト無しという条件ながら、水上機まで積んでました。

お金が無いから、という面もあってか、
とにかく一隻に詰め込めるだけ詰め込んでしまえ、という感じがありますね…。
この結果、最大速度は17ノット(30.6km/h)とかなり遅く、
正直、近代海戦には向いてない感じがします。
幸い、このHTMSメークロンは一度も実戦を経験しておらず、
さらに戦後は主に練習艦として水兵と士官の教育に使われていました。

ちなみに同型艦のHTMSターチンは終戦間際の1945年6月に
連合国側の空爆を受けて大破、戦後に解体されてます。


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