■冷たい戦争の道具達



でもって、次にあったのがこれ。
ホーカーシドレーのバッカニア…のコクピット周りだけ(笑)。

あれ、ひょっとしてここ、ダメな航空博物館(笑)?
いや、大丈夫、エンジンがかかるのに時間がかかってるだけでして、
この後からはガンガン行きます、はい。

バッカニアは元々は英海軍が使っていた艦載機で、用途は低空強襲/攻撃機。
英語で書くとLow-level strike/attack aircraft。
Strike aircraft という分類は、あまり知らないのですが、
このStrike は攻撃を拒否して仕事をしない機体、ではなく、
(日本語のストライキもストライクも英語の綴りは同じで発音はストライク)
強襲機とでも訳す他ないと思うところ。
でも英語の辞書を引くとTo attackとかいう説明が出てたりするんですがね(笑)。

日本語にしづらいんですが、アタックが漠然とした攻撃を指すのに対し、
ストライクは確実にぶち当てる(Hitに近い)、という意味を持つので、
とりあえず強襲機、としておきます。よりよい訳語を知ってる方はご連絡ください…。

元々は海軍機です。
で、実験機の館で見た、あの白い低空侵入攻撃機、TSR-2が開発中止になってしまい、
その手の機体が全く存在しない、という状態になってしまったイギリス空軍は、
最初はアメリカのF-111を代わりに輸入させて、と政府に提案します。

が、F-111もベラボーに良いお値段の機体ですから、これも拒否され、
困った挙句に、海軍が使ってたこの機体を1962年から導入することになります。
ここら辺、海軍機にお世話になったのはアメリカ空軍だけではないんですね。

最初は全く期待してなかったそうですが、意外によい機体だったらしく、
1994年まで現役だったとか。



ちなみに、完全なバッカニアはロンドンの方にあります。
整理中のコーナーにあって、まともな写真が撮れなかったので載せてなかったんですが、
一応、本来はこんな形をしてます。

元が艦載機なので、ご覧のように主翼を畳む事ができるわけで。
これ、尻尾が(笑)外れてるように見えますが、あれがエアブレーキで、
この機体は尾部が左右にパカっと分かれる構造になってます。

ちなみにこの攻撃機も、あくまで軽爆撃機のノリで、
地上の友軍を支援する、なんて気はありません。
イギリス空軍も不完全ながら、基本は戦略空軍なので、
そういった任務の機体を開発したことはないのです。
つーか、ドイツとソ連以外で、そんな機体造った空軍はありません。
(アメリカ海軍は造ってたわけだが)
例外中の例外が、アメリカ空軍が1970年代に予算が欲しくて造った(笑)A-10なのです。

でもって、この時代の軽爆撃機ですから、当然、戦術核兵器も積めました。



さて、この展示棟の売りが
イギリスの戦後の戦略爆撃機3機種が全部展示されてる、という点。

前回紹介した、アヴロ リンカーン爆撃機の後継機として、1950年代半ばから配備が始まった、
Vで始まる名前を持つ3機種の核爆撃機たち、
ヴァリアント、ヴィクター、ヴァルカンのいわゆるVフォースです。

ちなみにこの3機、日本だと3Vボマーと呼ばれる事が多いですが、
イギリスでも他の英語圏でも、通常はVフォース(The V Force)と呼びます。

ここに先行実験機があったヴァルカン(Vulcan)がロンドンに展示されてましたが、
こっちにはさらにヴァリアント(Valliant)、ヴィクター(Victor) までそろってます。
が、これらを狭い空間にかなり強引に詰め込んでしまい、全く全体像がつかめない、
という最悪な展示となってしまってるのが残念なところ。

あれ、やっぱりここ、ダメな航空博物館(笑)…?

ちなみに、この写真で一番手前、鼻っ面だけが見えてるのがヴァリアント、
その向こうで機体の前半部分だけ見えてるのがヴィクター、
その向こう、画面の左端に主翼の端っこだけが見えてる(笑)のが、ヴァルカン。
もうちょっとなんとかならんかったのかなあ、この展示…。

ちなみにこの3機種は1955年から58年にかけて次々と配備が進むんですが、
3機種もの戦略爆撃機を同時進行で配備する、なんてのは
世界一の大金持ち、アメリカですらやらなかったお大臣さま配備です。

各機体の製造数はヴァルカンの136機を最大として、
ヴァリアントの107機、ヴィクターの86機で合計で300機。
アメリカがB-47ジェット爆撃機を2000機以上生産したのに比べると、
各機の生産数は、かなり控えめとなってます。

どうもイギリス空軍、核戦争なんだから、最初の爆撃だけで戦争は終わるよ、
と考えていたようで、最悪でも第二派攻撃くらいまで行えればオッケー
という考えだったみたいですね。
それはそれで、間違いでは無いんですが、だったら単一の機体で300機にすりゃ、
値段も、維持費も、ずっと安く抑えられたでしょうに。

ここら辺は、例の“予算の問題”が絡んでるんだろうなあ、という感じです。
実際、ヴィッカース・アームストロング(スーパーマリンの親会社)の
ヴァリアントは一度はデザインが古すぎとして不採用になったのに、
政治的な手回しで逆転採用になったとされます。

アメリカでは、戦後、戦闘機の生産を軍用機メーカーの生き残り策として、
各社にバラ撒きましたが、イギリスでは同じ事を爆撃機でやった、と。



3機並んでる中では、一番手前に置かれているため、
なんとか全身像を撮影可能なヴィッカースのヴァリアント B1。
ちなみにヴァリアント(Valliant)は勇敢な、という意味の形容詞です(笑)。
イギリス、艦船名などでも形容詞使うんですが、爆撃機、その名は勇敢、
ってのはどうなんでしょ…。

ちなみにこのXD818号機は、1957年5月、イギリス初の水爆実験に使われた機体です。

Vフォースの中では最初に配備されたのが、このヴァリアント。
主翼付け根に左右2発ずつ、計4発のターボジェットエンジンを埋め込んだ後退翼機でした。
1951年初飛行、1955年に配備が開始となってます。

ちなみに、アメリカのB-47の運用開始が1951年ですから、
この機体の方が一世代新しいんですが、どうみても逆にヴァリアントの方が
古臭いデザインとなってます。
あまりに保守的、という理由で、一度は採用が見送られた、というのもうなずけます。

ちなみにヴァリアントは実戦を経験していて、配備直後の1956年、
スエズ動乱に出動、エジプトの空軍基地を通常爆弾で爆撃しました。
…そんなの、この機体でやる必要あるのか?

が、やっぱりあまり役に立たないよ、これという事になったようで、
ほとんど間もなく、空中給油機に改造されてしまいました。
さらに1965年に金属疲労による破損が一部の機体で見つかり、
全機飛行停止となって、そのまま退役となります。

結局、10年しか使えず、この手の機体としては
記録的な短命に終わる事になったわけです。



その横にあったハンドレー ページのヴィクター K2。
1952年に初飛行、Vフォースの中では最後の1958年配備開始となってます。

これ、3機のうち、真ん中に置かれてる、という位置関係で、ほとんどまともに写真が撮れず。
とりあえず機首部を(涙)。かなりユニークなデザインです。

この機体、軽い傾斜のついた逆ガル主翼で、さらに三日月翼(crescent wing)という
かなり変わった機体なんですが、これじゃわかりませんね(涙)。

ヴィクターは、1962年から66年まで続いたボルネオ紛争に
イギリスが介入した時、現地に派遣されてるのですが、
最後まで待機に終わって、実戦参加はしてないようです。

もっとも、ヴィクターも後で空中給油機に改造されてしまい、
その状態でフォークランド戦争、さらには湾岸戦争まで参加してます。



悔しいので、後ろから撮った写真を。
画面中央で後ろに大きくデッパてるパーツ(燃料タンク?)から奥と手前で、
主翼の後退角が変わってるのがわかるでしょうか。これが三日月翼。

主翼の後退角が翼端に向けて、徐々に弱くなってます。
上から見て、想像力が豊かなら(笑)三日月に見える翼形で、
スーパークリティカル エアフォイル(supercritical airfoil/超臨界翼)という名前でも呼ばれます。

後退翼の一種で、音速に接近することで主翼に発生する
衝撃波による抵抗を抑える、という目的も一緒です。
が、通常の後退翼はその形状から十分な強度的確保が必要で、かなりの重量増を招きます。

なので、音速を超える気がない場合、
つまり、このヴィクターのような遷音速(時速1000km程度)の機体なら、
強度が十分に取れて軽く造れる、この三日月翼で十分、というものらしいです。
ついでに、主翼の付け根部分が後退翼機より大きくなるので、
揚力を稼ぐにも有利だ、との事。

ただ、以後の機体で採用例がほとんどないトコを見ると、
それほど意味がなかった、という事なのかもしれません…。
(NASAが海軍のF-8を改造した実験機を造ってるが)


NEXT