■飛ぶ以上は実験するザマス



そしてその横にはこれ(笑)。

最初、ルデュクの機体を縦置きにしてるのか、と思ったのですが、
全く別、ターボジェットエンジンを縦置きにして、
その上にコクピットを置いただけ、という垂直離着陸(VTOL)機(笑)、
SNECMA-C.400 P.2、愛称はアター ブロン(Atar volant)でした。

P.2はプロトタイプ 2、試作2号機の事で、この前に、
無人でリモコン操作されるP.1という機体がありました。

なんかえらく長い名前ですが、
SNECMAはフランスの国営航空エンジン会社の略称です。
愛称のアターはこのエンジンの名前そのまんま、
ブロンというのは車のハンドルの事のはずなんですが、
ようわからん名前です。

まあエンジン屋さんが考えた垂直離着陸機なわけで、
なるほど、エンジンしかありません(笑)。
確かに垂直離着陸はできるでしょうが、浮いたらオシマイ、
という何のための実験機かもようわからん機体。
でもって、一番上にチョコンと乗ってるのは運転席です(涙)。
ついでにどうもこれ、アフターバーナーも付いてたみたいな…。

パイロットそのものがオマケ、というかこれ以外なかったんだろうな、
という場所に乗せられてるわけですが、
この下は、当然、ジェットエンジンの吸気口で、
高速で回転するファンがビュンビュンまわって、
強力な吸引力がかかってます。
相当、怖かったと思いますよ、このパイロット…。

で、搭乗するのは罰ゲームを通り越してもはや刑罰ではないか、
というこの機体も例の1957年〜58年の愉快な仲間達の一員で、
1958年のパリ航空ショーでデモフライトを行ってます。

意外にも安全性は高かったようで、P.1、P.2ともに無事故で各種実験を終了、
その結果、以下の発展型が作られる事になりました。



この時代はVTOL全盛、というかそれが次の時代の航空機、と信じられていたので、
フランスとしても、C.400をそのままにしておかず、さらに進化させたわけです。

それがこの写真でのみ展示されてたC.450。
(機体は事故で失われてるため現存しない)
愛称はコリオプテール(Coléoptère)、甲虫(カブトムシ)で、
これは軍の戦闘機としての開発だったようです。

数字の上では50だけの進化ですが、写真の下のほうに写ってるように、
もうほとんど別、というか何じゃこりゃ、という機体になってます。
(写真下の右の機体がC.450)

なんだか輪切りの大根にニンジンを刺したような妙なデザインですが、
これは普通のジェット機の胴体の周りを円形の主翼で囲んでしまった
環状主翼(annular wing)という極めて特殊な主翼を採用してるため。
フランス在住のロシア人、ズバラフスキ(Zborowski)が考案したもので、
閉鎖翼(Closed wing)の一種らしいですが、私にはようわかりません(笑)。

閉鎖翼というのは、複葉機の主翼の上下をつないでしまい、正面からみると
運動場のトラックみたいなカタチとしたもの。
翼端部で生じる気流の乱れがない、という事で産まれたようですが、
これがどうしたら完全に円形の翼になるのか…。

ちなみにC.450は1959年5月に垂直飛行までは成功したものの、
テスト開始から2ヵ月後の7月には墜落事故を起してしまい、
以後、その開発は中止となりました。

SNECMA C.450に関する写真はどれも垂直飛行時のものだけなので、
おそらく水平飛行には成功してないんじゃ無いでしょうか。



その前には極めて常識的な機体、ダッソー ミラージュIII Aが。

これの解説板を撮影し忘れてしまい、一見すると普通のミラージュIIIだけど、
なにか一味違うんだろうな、と思ってたんですが、帰国後、
博物館のホームページで確認したらホントにただのミラージュIIIでした(笑)。

まあ文句なしにフランスが生んだ最高傑作機で、
アメリカの戦闘機低迷期とも重なった事もあり、
おそらく世界でも一線級の性能を持ってたのではないでしょうか。
これがあまりに成功してしまった、という事もあり、
以後のダッソーの戦闘機はミラージュIIIの改修型といった感じになってしまうのですが。

どうも量産型の1号機らしいので、1958年に初飛行となるのかな。
で、後ろに見えてるルデュキ0.22は一応、この機体のライバルだったわけで…。



さて、また少しずつ怪しくなって行きますよ…。
S.O. 9000 トリドン(TRIDENT)。

1953年初飛行で、当時大流行だった超音速迎撃機として開発された機体。

本土上空で敵を迎撃する機体だから航続距離はどうでもいいや、ってな感じで、
とにかくチョッパヤで高高度まで上がれて、迎撃に入れる機体が求められたようです。

その結果がこれ(笑)。
この機体、よく見ると胴体に空気取り入れ口がありません。
なぜならば、ロケットエンジンだから(涙)。
いくら航続距離が短くていいと言っても、
せいぜい数分しかもたないロケットモーターが主エンジンって、あーた…。

まあ、フランス人としても、さすがにそれでだけではどうよ、
という事で主翼の両脇に小型のターボジェットが付けられたようです。
これが補助動力なのか、ロケット燃料が切れた後の非常用動力なのかはよくわからず。
まあ、どっちにせよ、バリバリの直線翼、エリアルールなんて知るか、
という見事なズン胴で、ロケットパワーをもってしても
高度20000mの空気の薄い空(抵抗が少ない上、圧力差でロケットエンジンに有利)
でようやくマッハ1.8を達成して終わりました。

それでも少数ながら生産が行われ、10機前後が造られたようです。
何をする気だったんでしょうね、これで…。

ついでに量産打ち切りは性能に問題があった、というのと同時に、
“もはや人が飛行機を操縦して戦う時代は終わったのよ、これからは無人ミサイルの時代よ”
と高らかに歌い上げた、一部で有名な1957年のイギリスの防衛白書を読んで
フランス空軍関係者が、じゃあこんな機体いらないね、
ってな感じで決定した、という話があります。



そのとなりがこれ。
こちらは1960年代の流行(笑)、可変翼に挑んだ機体、ダッソー ミラージュ G8。

英米、さらにソ連とも異なる独自の航空機開発を、というテーマをフランスは持ってたはずですが、
こうして見ると、超音速迎撃機、垂直離着陸(VTOL)機、可変翼機と、
時代時代のアメリカの流行をそのまんま追っかけてるだけじゃんか(笑)。

ちなみに最初に造られた機体はG4で、それがイマイチとなり、
その機体を使って改造された機体がG8だとの事。
この展示機は、そのG8をさらに改良する目的で造られた試作2号機で、
これまた罰ゲーム席のような位置に後部座席が付いて、2人乗りとなってます。


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