■ローマの供述



さて、ここからはローマ帝国支配下時代のイギリス。

現在の我々が知るイギリスというのは、アングロサクソンがワーッと島を占領して、
俺たちの時代だぜ!とか言ってたら、フランスから来た一貴族に
速攻で攻め込まれて敗北して、そこからスコットランドが合併されて…
という感じですから、このケルト人とローマ人が島の主だった時代とは、
まるで別物、と考えた方がいいでしょう。

両者は現代の北海道と、鎌倉時代以前、
アイヌ民族が主だった北海道くらいの違いがあります。

当初は紀元前55年にガリア(現在のフランスからドイツ西部)で転戦中だった
カエサルがこの際だからやっちまえ、と上陸したのですが、
なにせ準備不足、それに海を越えての上陸戦はカエサルもまだほとんど未経験でしたらから
(この後、内乱時代にさんざんやる事になるが)
この時は武力偵察、というレベルで、上陸後、まもなく退散してしまいます。

結局、西暦43年に第4代皇帝、クラウディウスの派遣した遠征軍によって、
ようやくローマの勢力圏内に入る事になるわけです。




ローマ殖民都市のあった場所地図。

結構北の方に多いのが意外でして、
スコットランドの一部まで食い込んで北上してます。
ロンドン周辺なんて完全に僻地で、むしろスコットランドの方が開けてますね。

美少年好きのハドリアヌス帝によって築かれた長城が
当初はローマ支配地域の北限とされたのですが、
約20年後、西暦140年ごろアントニヌス帝によって、
あらたにアントニヌスの長城が築かれ、その北限がさらに北に伸びた結果、
こうなったようです。

が、それでも、最後までブリテン島全域を支配下に置くことはできず、
隣のアイルランドにも全く進出していません。
で、最終的に5世紀になると、ローマ本国の衰退にともない、
彼らはブリテン島を去ることになります。




ローマ文化ではおなじみのモザイク画。
床に使われてたものだと思いますが、当時の地の果ともいえる
こんな場所に来てまで、こういった文化を維持したのは大したものですね。



この時代からすでに銀食器って本格的に使われていたのか。
それなりの身分の人のものだと思いますが、詳細不明。



例のハドリアヌスの長城の側にあった要塞周辺の模型。
奥の壁に囲まれてるのが要塞で、
1000人前後のローマ兵が駐屯していたのだとのこと。

中心部にある赤い屋根の建物が要塞の中枢で、本部、病院、指揮官宿舎だそうです。
その周辺にあるのが、兵士の宿舎となります。
周辺の城壁もけっこう本格的で、四隅に見張り台、さらに本格的な城門を持ってますね。


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