■アッシリアをお知りや?

さて、この博物館がエジプトについで貴重なコレクションを持っているのが、アッシリア関連のもの。
前回、少し書いたように、イギリスはこの方面の発掘で早くから多くの成果を上げており、
このため、アッシリア関連に関しては世界最高峰のモノを持ってるんじゃないでしょうか。
現在、イラク、イランの博物館がどうなってるのか、さっぱりわかりませんし…。

今回はその見学から始める事になるので、最初にちょっとだけ解説を。

さて、アッシリアとは何か。
これはメソポタミア文明の地域、現在のイラン、イラク周辺に古くからあった国(集団)の一つであり、
紀元前1000年ごろ、あのエリアを最初に統一した国でもあります。
でもって、この国の登場が、エジプトの衰退の始まりである、
というのも、誰も覚えてないでしょうが、既に書きました。

繰り返しになりますが、エジプト文明とメソポタミア文明の最大の違いが、国家の数でした。

上下(南北)に分かれていたエジプトが紀元前3150年ごろまでに統一され、
以後はほぼ一つの国家とし地域を支配していたのに対し、
メソポタミア地区は紀元前1000年前後にアッシリアが統一を果たすまで、
バビロニア、ヒッタイトなど多くの国に別れ、
それぞれが争う、という中国の春秋戦国時代みたいな状況になってます。

で、紀元前1000年ごろ、その地区を最初に統一した国がアッシリアでした。
これはセム系の半遊牧民だったと言われ、
このため、農耕文明のエジプトに対し、アッシリアは遊牧民的な、
つまり戦闘狩猟民族、といったカラーを強く持ちます。
当然、ネコのミイラなんて造りません(笑)。

とりあえず、後のペルシャ、イスラムといった巨大帝国の始祖ともいえるのが、
このアッシリアなわけです。

ちなみに、アッシリアは紀元前609年に滅亡、以後はペルシャ帝国の時代になり、
その中心部も現在のイラクから、イランへと移ります。
そして紀元前330年、西の方から頼まれもしないのにワーッとやってきた、
アレクサンダー大王により、そのペルシャ帝国も滅ぼされてしまうわけです。
(ローマ帝国時代に登場するゾロアスター教でおなじみササン朝ペルシャは事実上、別の国)

さらにちなみに、アッシリア人(Assyrian people)と言った場合、
ユダヤ人などと同じ民族名を意味し、今でも中近東を中心に多くの人が住んでます。



前回、中央ホールで見かけたアッシリアの偉い人、
アッシュールナツィルパル(Ashurnasirpal) 2世さんを覚えてるでしょうか。

これは彼が新たに首都として建設した街、
ニムロド(カルフ Nimrud/Kalhu)の王宮にあった、とされるペアの人頭ライオン像。
紀元前860年ごろに作られたものらしいです。

門柱でしょうかね。
ちなみに、奥に見えてるのは、当時の門扉を復元したものですが、
この手前の像があった門とは別物。
紛らわしい展示だな…。

で、これも、先のアッシュールナツィルパル2世のレリーフと同じく、
イギリス人のレイヤードの発掘によるもので、
全部で6セットくらい出てきたこの手の像の中から、
軽いものを選び、1848年ごろ、ロンドンまで運び込んだのだそうな。

ここら辺は、まあ、確かにドロボー博物館、という感じではあります…。



後ろから見るとこんな感じ。
彫像になってるのはアタマと前脚の部分だけで、
後は城壁に埋め込まれる形のレリーフです。



エジプトのヒエログリフに対して、メソポタミアはこれ、クサビ文字がビッシリと。



その先にあった展示。
ここら辺もニムロド(カルフ )からの出土品。

左側のタワー形態のものは、一種の記念碑で、
当時のさまざまな国から贈られた品々が書き込まれているのだとか。


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