■エンジンの楽園



そして、この展示コーナーの最大の目玉がこれ。
膨大な航空エンジンのコレクションです。

コスフォードのRAF博物館、スミソニアンのウドバーハジー別館など、
エンジンコレクションのある航空博物館はいくつかありますが、
数だけなら、ここがまずもって圧勝です。

前日のコスフォードとあわせると、二日間で100以上のエンジンを見たことになるはず(笑)。



まあこんな感じでずらりと、ジェットエンジンまでが並んでます。
レシプロエンジンは2段になった棚に入ってますから、
ほんとにかなりの数なんですよ、これ。

当然、これまた全部紹介するなんて無理ですから、
有名どころ、あるいはちょっと珍しいのだけ見て行きましょう。



30馬力 ライトエンジン。
ライト兄弟が航空機用に開発した二つ目のエンジンです。
4気筒の水冷で、この縦に並んだシリンダー、手前の巨大なはずみ車(円盤)が
ライト兄弟のエンジンの特徴かも。

1908年のフランスにおけるデモ飛行から使用が開始されたようですね。
で、当時としてはかなり安定した航空エンジンと見なされ、
いくつかの会社で同じ設計のエンジンが造られた、との事。
(ただしライセンス生産が、盗作かは不明(笑))

もっとも、当時の技術革新の速度はすさまじく、
彼らの飛行機同様、あっという間に時代遅れとなってしまったようです。



アメリカの奇跡、リバティー(Liberty)L-12エンジン。

リバティーは1917年から生産に入った液冷V型12気筒エンジンで、
400馬力を出した、とされますから
上のライト兄弟のエンジンからわずか11年で実に13倍を超えるパワーアップです。
この時代の航空機の進化のすさまじさがわかりますね…。

この後、アメリカはもちろん、イギリス、イタリアといった国の航空機にも搭載され、
一時代を築くことになるわけです。
ついでにソ連のBT戦車やイギリスのクルセイダー、クロムウェルといった戦車にも
その動力として採用されました。
(途中で別のエンジンに交換されてるものもあり)

解放、権利としての自由、といういかにもアメリカらしい名前のエンジンですが、
これはその開発製造の過程もアメリカらしいエンジンです。
このエンジンは第一次世界大戦に参戦した直後の1917年の5月、
アメリカの戦争省(他の国の陸軍省にあたる)が
航空用エンジンの国内生産を決定したところから、開発が始まリます。

でもって、始まってからがすごかった(笑)。

開発担当に選ばれたのがデトロイトの自動車メーカーのパッカード(Packard)社と
カリフォルニアで鉄道用のガソリン機関車を造ってたホール-スコット(Hall-Scott)社。
この二つの会社のエンジン開発責任者、ヴィンセント(Jesse Vincent)と
ホール(E.J. Hall/社長です(笑))の二人が、5月29日にワシントンに呼び出され、
行ってみたら突然ホテルにカンヅメにされます(笑)。

新しいエンジンのデザインが終わるまでここから出れると思うなよ、といった
どう考えてもムチャクチャな事を言い渡された二人は、
さっさと家に帰りたいですから必死に図面を描きまくり、
わずか5日(6日説あり)で基本となる図面を仕上げ、
二度と来るかとばかりにワシントンから帰ってゆくのでした(笑)。
これが6月の3日か4日のこと。

ここからは、生産設備が充実していたパッカードが開発を継続するのですが
わずか1ヵ月後に動作確認用のV型8気筒の試作エンジン(L-8)を完成させ、
8月にはV12気筒エンジンのプロトタイプを完成させてしまうのでした。

つまり、5日で図面を仕上げ、2ヶ月で完成形のエンジンを作り上げてしまったわけです。
第二次大戦期のR-2800やマーリンが設計から量産開始までに何年もかかったことを考えると、
ちょっと信じられないような高速開発です、これ。
後にパッカードが、ライセンス生産をフォードとGMに拒否された
マーリンエンジンの量産を担当するのは、ここら辺の実績があったからでしょうね。

でもって、これで終わらないのがアメリカ。
そう、あの国には大量生産する変態ことヘンリー・フォードがいたのです(笑)。

エンジンの組み立てはGM系列の会社とパッカードが引き受けたのですが、
エンジンの心臓部、シリンダー周りのパーツの製造はフォードが担当します。
さあ、大量生産が好きで好きでたまらないヘンリー全盛期のフォード社ですから、
これをあっという間にラインに乗せてしまい、
当初日産150台前後だったパーツ生産をまたたく間に日産2000台に撥ね上げてしまいます。
さらに他所の会社の仕事に納得がいかなかったヘンリーは
最終的にエンジン組み立てにも乱入、終戦までに3950台のエンジンも組みたてた、とされます。

さあ、みなさん、ご一緒に。
“やりすぎやろー、それ”

でな感じで、その性能と数の力で、リバティーは第一次世界大戦を通じ、
アメリカはもちろん、イギリスの航空機までも支えてゆくエンジンとなるのでした。

ちなみにリバティーは1917年の秋から量産がスタート、
2年後の1919年までに約20500台を製造したとされます。
単純計算で年間10250台。

参考までに日本の第二次大戦期の主力航空エンジン、
中島の栄は約6年の製造期間で約33000台。
単純計算で年間約5500台…。

…戦争に向いてない国ってあるよね。



次は、1908年製、ドイツの飛行船用エンジン。
フランスの航空宇宙博物館で説明したように、これも縦長の直列エンジンです。

飛行船ではおなじみのマイバッハ(maybach)エンジンですが、
これはツェッペリン飛行船のLZ4型に搭載され、
アルプス超えに成功したものだとか。

手前に飛び出してるレバーはどうもカムシャフトに直結されてるみたいですが、
なんでしょうね、、これ。


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