■おフランスは空を行くザンス
さて、その先からは、初期の航空機、もちろんフランス機を中心に、
という展示となります。
ここから一気に開けた空間での展示に。
上からぶら下がってるのはオントワネット(Antoinette/英語読みがアントワネット)のVII(7)。
1909年、賞金が賭けられていた英海峡横断飛行のために造られた機体ですね。
ちなみにこの博物館の機体はレプリカかオリジナルか
イマイチわからんので、その点は今回は触れません。
最初に投入された機体、オントワネットのIV(4)ではその目的を果たせず、
再挑戦のために作られた機体がこのVII(7)です。
ボートみたいな構造の胴体は、海峡横断という特殊な目的の機体なので、
おそらく不時着水に備えたものでしょうか。
海峡横断チャレンジは最初、7月19日にIV(4)で行われ、
それが失敗に終わって、このVII(7)が造られた、
との事なんですが、初飛行がなんと7月25日。
実にIV(4)の墜落からわずかに6日で、さすがにそんな短期間で
機体を造れるとは思えず、あらかじめ失敗に備えて準備してたんでしょうか。
ちなみに、5と6はちゃんと別に存在してるんですが、
海峡横断には使われてません。これも理由がわからず。
が、結局、この機体が初飛行した7月25日にこの時代の傑作機のひとつ、
ブレリオのXI(11)がドーヴァー海峡を横断してしまいます。
(この後ろにぶら下げられてる機体)
あれま、という感じですが、せっかくだからとその2日後にこの機体も挑戦、
残念ながら、イギリスまであと1マイル、約1.6kmほどの場所で力尽きたとか。
余談ながら、日本語では海峡は海峡なんですが、
英語だとchannel とさらに短い距離しかないstrait に分かれます。
でもって、英仏の間の海全体はEnglish
Channel、英海峡であり、
その北端、最もブリテン島とフランス本土の距離が短くなる部分だけが
Strait of
Dover ドーヴァー海峡、となります。
なので、日本語だと両方とも海峡となってしまいますが、
英海峡の中にある最も狭い部分が、ドーヴァー海峡となります。
このため、両者の幅には最大で16倍もの開きがあるのです。
でもって、この時の賞金は英“海峡”横断に対して、だったのですが、
誰だってわざわざいらん冒険はしたくなく、
ほぼ全ての飛行家がその中のドーヴァー“海峡”の横断を選んだのでした(笑)。
ついでに、当然ながらEnglish
Channel もStrait of
Dover も
イギリス側の呼称で、フランス側にはフランス側の名前があり、
それぞれ自分の好きなように呼んでます。
でもって、こっちが海峡横断に成功したブレリオのXI(11)。
当時を代表する傑作機の一つですね。
1909年の1月に初飛行とされてますから、ライト兄弟の初飛行から5年と1ヶ月の段階で、
既にほぼ現代の航空機につながるスタイルが完成していた、という印象です。
ただし主翼にはフラップはもちろん、エルロンすらまだありませんが。
ブレリオはこの海峡横断で一気に知名度が高まり、
夏の終わりには100機を越える受注を抱えることになります。
以後は本格的な航空機製造に乗り出してゆく事になり、XI(11)はフランス軍、
さらにはイギリス軍の航空隊にも採用されてます。
なので実はRAF博物館の展示にこの機体があったのですが、
メンドクサイのではしょってしまってたのでした。
が、結局逃げ切れませんでしたね…
(第2夜-3の中の写真の何枚かにこっそり写ってます。尾翼形状が異なるタイプ)
ちなみに、この時代のフランス機はごらんのような単葉、
主翼が一枚のものばかりとなってます。
そんなに速度がでるわけないので、複葉を避けるメリットは重量削減と、
構造の単純化、なんでしょうかね。
このため、フランスの飛行機業界は単葉→複葉、そして金属製の機体になって
また単葉に、という変遷を経ることになります。
その下にあった複葉機ですが、チェーン駆動の推進式のプロペラ、
この座席とあのエンジン、こりゃライト兄弟の機体じゃん、と思ったら、
これはアストラ ライトのBB型との事。
アストラ ライト社はライト兄弟から特許を買ってフランスに設立された会社です。
愛称はBabyだった、という話で、これはBBからのもじりでしょうね。
解説を見る限りでは1910年ごろ製造された機体、との事で、
つまり上のブレリオより後から造られてこのデザイン。
この段階で、ライト兄弟の時代は、残念ながら終わっていたわけです。
ちなみにこの機体、どうも水平尾翼が外されてるような感じです。
ドゥペルデュサン(Deperdussin) B型。
聞いたこと無いメーカーの名前ですが、これは旧社名で、間もなく
Société
de Production des Aéroplanes Deperdussin
という名前になります。
ドゥペルデュサン航空機製造会社、といったとこですが、これでもなんだかわからない。
同じことを社長のドゥペルデュサンも考えたようで、略称をメーカー名として使うようになります。
これが、すなわちSPADであり、第一次大戦期のフランスを支えることになる航空機メーカーですね。
その最初期の機体らしいのですが、この機体そのものについてはさっぱりわからず。
もうひとつドゥペルデュサン時代の機体、モノコック(monocoque)。
その名の通り、木製モノコック構造なんでしょうかね。
レーサー機だったようで、1912年に時速200kmの記録を打ち立てた、との事。
レーサー機なら、単葉のメリットもあったのでしょう。
NEXT