■タワーだわ



タワーがある尾根筋に出るとレンガ製の構造物が。
峰燧台(ポンスデ)というノロシ台だそうで、国中に置かれたこれにより、
敵の侵入があった場合、首都まで次々に連絡が入るようになっていたのだとか。

ちなみに現地の解説だと高麗時代に唐の制度を真似たもの、
としてありましたが、高麗の成立は唐の滅亡後ですから、高句麗の間違いでは?

ちなみに5本の炉があるのは朝鮮のオリジナルだそうで、
ノロシの本数で状況を伝えるようになっていたそうな。
となると秀吉の朝鮮出兵の時とかにも使われたんでしょうかね。

参考までに、当然、これは復元されたもので、おそらくあった場所も違うと思います。
1992年にソウルオリンピックがあった後、韓国にはちょっとした歴史ブームがあり、
国内にある史跡を見直したり、さまざまな復元建築が行われたようで、
これもその一環で建てられたものらしいですね。

ここら辺り、東京オリンピック後の日本の各地の城跡で、
怪しげな再現天守閣がバカスカ建てられたのに似てる感じがします。




さて、到着、これがソウルタワーです。
どことなく京都タワーを思わせますが、京都タワーの開業が1964年、
ソウルタワーの建築開始が1965年。

…まあ、他人の空似としておきましょう(笑)。

2005年に大改修工事を行っているそうで、
中はそれなりに近代的な感じになってます。



その下は広場でした。
ちなみに正面の道をまっすぐ行くと団体向けのバス駐車場らしいです。



そこから見た街の中心部、まだ明るいのですが、ぼちぼち灯りがつき始めてます。
つーか、ホントに山の中の街ですね、ソウル。
この立地は外敵からの進入を避けるためだと思うんですが、
戦争になるとソウルは速攻で陥落するのが名物、という感じになります…。
(秀吉の出兵1回目、さらに朝鮮戦争でとにかくすぐ占領されてる)



その広場からタワーの下をぬけると南側(漢江側)を見渡せます。
なんだか映り込みがあるのは、この展望台、ガラスで囲まれてるため。
オシャレな演出なんでしょうが、もう少し考えて欲しかった…。

しかしホントに自然の山が丸ごと維持されてますね、この辺り。

余談を少しだけ。
現在の南山は緑豊かな山ですが、ほとんどが広葉樹です。
が、元々は松の木で有名だったそうで、この植生の変化は日本統治時代に、
アカシアの木が植えられた事による、と主張する
韓国人の学者さんの本を読んだ事があります。

失礼ながら、これは勘違いでしょう(笑)。

朝鮮戦争では、多くのアメリカ軍兵士がカメラを個人的に持ち込んでおり、
ここ10年くらいで多くの人が、ネット上で当時の写真を公開し始めました。
それで見る限り、南山は朝鮮戦争当時、ほぼハゲ山です。
しかも戦火によるものではなく、明らかに乱伐によるもので(焼け跡がない)、
現在のような森に囲まれるのはおそらく1970年代以降になってからだと思われます。
よって、この植生を日本の責任にするのは、少々、無理があるのです。


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