■Welcome to the ホテル帝国
そこにアルコールは無かったがパンたちもいなかった

というわけで、明治村の最北端部にあるのが、これ。
東京にあった帝国ホテル、それの玄関&ロビー部分だけ解体、移築したもの。
手前の噴水もあわせてワンセットのようですな。
実はこの建物、大正末期に完成した2代目でして、
漱石の「坊っちゃん」で、主人公が鍵屋に間違われるのは、初代帝国ホテルでの事になります。
設計者のライトは南米の文明に傾倒していた、言われてますが、確かにそんな雰囲気ありますね。
つーか、何度見てもどういう構造なのか検討もつかん。
3階建てのはずなんですがね。
この建物、関東大震災の時に落成し、ほぼ損害なしだった、というから結構頑丈なのか、
やはり震災時、都心部でのゆれはたいしたこと無かったのか。
ただし、どうも手抜き工事部分も多かったようで、後に雨漏れや建物全体の沈み込みに悩まされてます。
ここら辺が、後にこの建物を建て替える際、世間で巻き起こった反対運動への大義名分とされました。
老朽化が激しくて、実用に耐えません、ということで。
まあ、戦後の帝国ホテルは一時期、非常にちょっとあれな団体による運営となってるので、
文化財うんぬんなど、はなっから興味なかったんでしょうね。

有名なアメリカの建築家、フランク・ロイド・ライトの設計として知られてますが、
実際は予算もスケジュールも大幅に超過した結果(設計から8年以上かかって完成しなかった)、
帝国ホテル側と喧嘩別れになり、結局、彼はその完成に立ち会ってません。
ちなみにライトは、早い段階から日本文化(特に浮世絵)に興味をもっていて、
このため、アメリカ本国では、このホテルを「日本風」建築物と解説してることが多いようです。
…君たち全員、表に出たまえ(笑)。
ご丁寧に「ロイドはこの建物を日本式にすべて小さく細かく造った」とまで
解説してる専門家もいます。大きなお世話だ(笑)。
高層ビルといった、都市型建築が嫌いなのはライドの基本的な特徴だろうに。
ついでに、このホテルは戦災からも生き延びるのですが、
「ライトの建築物を米軍は爆撃しなかった」というのは
「文化財を守るため、米軍は京都を爆撃しなかった」というのと
同じ類のデマで、実際、焼夷弾の直撃を食らってるようです。
つーか、そんな精密な爆撃、できるもんかい。
で、一応ツッコんでおくと、設計開始こそギリギリ明治ですが、
これは完全に大正、実際はほぼ昭和の建築物ですね(笑)。
明治村の顔、とも言うべき建物になってますけども…。
ここらへん、いろんな大人の事情があるようですが、裏はとってないので、今回はパス(笑)。
ちなみに帝国ホテル側の資料の多くでは、ライト、日本に1916年から喧嘩別れする21年まで滞在、
となってますが、実はアメリカに1916-1921年築のライト作品が結構あったります。
どうも日本滞在というより、日本に事務所を開設して、行ったり来たりしてた、程度のような気が…

その内部は実にいい雰囲気を持ちます。
ロビーでは休日にミニコンサートをやってるようです。
ただ、みなさん、一緒に練習する時間、ほとんどなかったんだろうなあ…
という演奏ではありました…。

2階の回廊部分から。光りの取り入れ方とか、いいですね、これ。
一体どんな構造になってるのか、見た瞬間全くわからん、という複雑さを持ってます。
これじゃ8年かかっても完成しないでしょうなあ…。
南米というか、南太平洋方面の影響も感じられるような。
天地が三回転半ひねりを行っても、どう見たって日本式ではありませんが(笑)。
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