■明治はとっても広かった



これが園内鉄道「名古屋駅」の命名根拠(?)となっている名古屋から移築された
第六聯隊の兵舎。
けっこう小さいな、と思ったら、建物の真ん中の部分だけをカットして、
そこに左右の壁をはめて、全体の七割ぐらいのパーツだけで移築したらしい。
そういうの、ありなのね…



当時の兵舎の内部が再現されてます。
あれ、二段ベッドではないのか。



当時の兵隊さんの食事。
少々さみしい気もしますが、明治期の日本の貧しさはかなりのものですから、
地方の農家から出てきた人なんかはこれでも「なんてデラックスなんだ!」と感激したでしょう。

ちょっと余談。
日露戦争の時、脚気による人員の被害が非常に多く出たのですが、
(戦闘よりも、病気や戦場外の事故による死傷者の方が多いことは、あらゆる戦争において珍いことではない)
これの最大の原因は陸軍医療チームの自説への固執(脚気病原菌説)というのがあったほか、
兵隊が玄米より白米を食べたがり、玄米化を強行することで士気の低下をおそれた、という話も…。



でまあ、本当に「箱」とでも言うほかない建物なので、中は好き勝手に使われてます(笑)。
これは1階のお土産売り場。二階は射的場と暗闇の迷路アトラクションとなってました。
一瞬、やってみようかと思ったんですが、時計を見るとすでに1時半。
あれ、残り約3時間ちょいしかありませんよ。まだ半分、見終わってませんよ。
あれれれれれれ…。


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