■猫が寝込んだ書斎

左手の書斎はこんな感じ。結構広い。
ちなみに8畳あります。金之助はブルジョワぞな、もし。

書斎と玄関の間には、こんな小さい窓が。
これは玄関側から見たところ。なんでしょうね、これ。
まさかお客さんが来たとき、ここからこっそり覗いてたとも思えんし…。

書斎内部。夏目漱石のおともだちパネルには泣けたぞな、もし。
どうしてここで石川啄木が出てくるのか、さっぱり理解できないぞな、もし。

書斎にも縁側があります。
寺田寅彦とかは、玄関通らずにこっちから勝手に上がりこんでたんじゃないかなあ。

部屋の片隅には猫の置物が。
…良い演出だとは思うのですが、あの「猫」は薄茶に黒のマダラ模様のトラ猫ですよ…。
「我が輩は猫である」は漱石の小説デビュー作で、ほとんどが自身の生活をネタ元としています。
苦沙弥先生は当時大学講師だった漱石自身で、飼い猫も実在しており、
隣の中学生との喧嘩は実話ですから、車屋との騒動も実際に似たような事があったのでしょう。
この点は坊っちゃんも一緒で、両者とも、一種の私小説でもあります。
それでいて、当時流行の「エロティックでスキャンダラス」、
いわゆる「自然派作家」の皆さんの赤裸々な暴露型私小説とは明らかに方向性が異なり、
むしろ一段高いとこから、そういう連中をからかってるような印象すらあります。
「なんでもありのままに」という言葉を変に勘違いした
「自然派小説家」の皆さんへの強烈なカウンターパンチでもあるんですね。
鴎外も自然派小説に影響をうけて「ヰタ・セクスアリス」という、
読んでるだけで心底情けなくなってくるナイス自伝小説をうっかり書き残してますが、
基本的に自然派作家なんてのは、スキャンダラスとエログロを
「ありのままの人間像」と勘違いしたトンチキ集団ですから、
この漱石のカウンターパンチは見事だったと思います。
誰もそれに気づいてないような気もしますが…(笑)。
「我が肺は猫である。だから呼吸ができない。とっても苦しいニャー」
という有名な書き出しで始まる「我輩は猫である」は知名度の割にはおそらくあまり読まれてないようで、
まあ、原因ははっきり言ってつまらないからでしょう。
つまらないです。
連載をもくろんでなかった第一話は、猫だけでなく
苦沙弥先生も迷亭も「名無し」のまま終わるんですが、
面白いなあ、というのはここまで。
後はひたすら退屈で、その上、読みにくい漢字を使いまくるし、
しかも狙ってデタラメな字を使ったりするので、
非常に読みにくい本ともなっています。
時事ネタやホトトギス関係者向けの内輪ウケネタも多く、
実は「読まなくてもいい漱石作品」の代表かもしれません。
漱石の初期の傑作は「坊ちゃん」で、これは今読んでも十分おもしろい作品です。
余談ですが「坊っちゃん」を児童小説の推薦図書にしてるのを
よく見ますが、あれ、中学生程度の力じゃかなり難解な部類ですし、
(クロパトキン的退却とかいきなり言われてもね)
しかもオチが「赤シャツが女郎屋に通ってる現場を取り押さえる」なわけですから、
青少年の読書にはちょっとまずいんじゃないでしょうか(笑)。
これを推薦した人は、ちゃんと理解してるのか、そもそも本当に読んだことあるのかしらん。
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