■明治村はハイジの村の夢を見るか



というわけで、最初に訪れたのが、ここ。
そもそも今回の旅行の主要攻略対象が、夏目漱石がイギリスから帰国後住んだこの借家、
根津神社の裏手の坂の上にあった通称「ネコハウス」です。
昭和30年ぐらいまで、現地にあったのを解体されるまえにここに移築したそうな。



正面から。右手のちょっと出っ張った部分が書斎です。
この家、当時の一般的な家ですから平屋なんですが、かなり広い。
東京の鶯谷にある、正岡子規が最後に住んだ家を再現した
「子規庵」と比べると、ほぼ3倍近いのではないでしょうか。
ちなみに、よく誤解されますが、漱石は最後まで東大講師であって、教授ではありません。
教授への昇進を蹴って、朝日新聞に入るわけです。
ゆえに一時は複数の学校で講師の掛け持ちをやっていたのですが、
それでも、子どもが3人(この家にいる間の人数)も居て、これだけの家に住めたんだから、
かなりの高給取りではあったんでしょうね。

漱石、この家には3年前後いたんですが、この間に「我が輩は猫である」「坊っちゃん」といった
初期の主要作品を書いています。よって通称「猫ハウス」。
ちなみに、その10年ほどまえに、1年間だけ森鴎外も住んでました。
で、鴎外はこの家から歩いて5分ぐらいの場所に家を買って引っ越してますので、
この二人、約3年程度はご近所さんだったんですな。
鴎外によれば、生前は2回しか会ってない、とのことなんですが、どうかなあ。
まあ、ぜったいウマの合わない二人でしょうから、
会っても特に話題はなかったでしょうけども。
ただ、両者とも文学野郎にしては常識人でしたから、あってもシカト、とかはないでしょうね。

ちなみに鴎外が現代において文学者として有名なのは、単に国語の教科書に載ってるから、
といったようなレベルの理由でしょう。
実際に読んでみればわかりますが、その作品はあきれるほどヘボイ。
明治の二大文豪、とか言って漱石と比べるのはあまりに失礼な話だと思うんですが。
漱石は、百年の過酷に耐え、現代でもずば抜けた光彩を放つ作品をいくつも持ちます。




玄関まわり。
右の部分だけ、屋根が高くなっているのに注目。
ここは台所で、当時の煮炊きはガスも電気もありませんから、マキやら炭やらで、
その煙対策として、天井が高く造られているわけです。
その奥、右端の場所は、浴室らしいんですが、
明治期の一般的な都市型住宅の構造では風呂は無いと思いますし、
実際、「猫」の中で苦沙弥(くしゃみ)先生が
風呂に出かけたりしてるので、後に増築されたものじゃないかなあ。



玄関を入る。
ほぼ全ての部屋が廊下を介さずに直接つながっています。
車屋の女将さんが乗りこんで来たとき、彼女がみた風景がこの状態ですな。
正面の2畳間は純粋な玄関スペース、
その一つ奥の部屋が奥さんが針仕事やらなにやらをしていた部屋、
一番奥にチラッと見えてるテーブルのある部屋が今で言うとこのリビングですかね。
で、この玄関の向かって左に書斎があり、向かって右が台所です。
迷亭と苦沙弥先生は玄関の左側の書斎から車屋の女将を迎撃し、
奥さんは正面の部屋でそれを聞いて笑ってたわけですね。

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