■どんどん坂を上ることにしろー

この坂を登り切るとようやく入り口。まあ、たいした登り坂でもないんですが、
かなりの高低差があったモンキーセンターを歩き回った後なので、
意外にこたえました。…そろそろ年齢的な衰えもあるかもねえ…。

これが入り口。右が入場券の販売所。ここはつい最近まで個人所有の天守閣&お城だったので、
入場料もいい値段とるんだろうなー、と思ってたら意外やわずかに500円でした。
ちなみにこの門は再建されたもの。
犬山城、日本最古の天守閣、ということなんですが、その代わり(?)
天守閣以外は石垣くらいしか残っていません。
ただし「日本最古の」というのには条件があって、それ次第では関が原前に完成していた
松本城、あるいは丸岡城の方が古い可能性があります。

入り口を入ると天守閣が見えます。
全体的にこぢんまりとしておりますな。
最初にここに城を立てたのは信長の叔父さまで、
その叔父さまが信長にケチョンケチョンにされた後は城主がコロコロ変わります。
ここ、戦国期に建てられた天守閣(を移築した)、という説と江戸期に再建されたもの、
の両説があるそうで、一般には江戸期、少なくとも関が原後に建てられた、という説が有力だとか。
ただし、地元の人たちを中心に豊臣期に金山にあった戦国期の城を、関が原合戦後、移築したという説も根強く、
まあ、建てるとこを見た人は誰もいないんですから、永遠の謎でしょう。
ちなみに現存するお城の天守閣、というのは全国に10以上あるのですが、
それらがもっとも集中するのが四国。
徳島県以外の3県に4つの現存天守閣があるのですが、国宝はゼロ。
つーか、言ってはなんですが、犬山城が国宝なら高知城とか島根の松江城とかだって
十分国宝の資格、ありそうな気がするんですが。
現物みてないんで断言はできませんが、保存状態が悪いのかなあ。
現存する天守閣は他には松本城くらいしか見たことないんですが、
あちらと比べると、やや小さいか。

真下から。国宝四天王(姫路、松本、彦根、犬山)の中ではもっとも小柄な天守閣ですな。
琵琶湖方面から濃尾平野に出る場合、関が原(原じゃないだろ、あれは)を突破してしまったら
岐阜城を突破して、後は大垣から南下してしまえば勝ちでして、その東にある犬山城、
素通りで相手にされない有力候補城ですから、そんなに意味のある立地ではないんでしょうな。
ただし、2回だけ、歴史の表舞台に登場してます。
最初は信長の死後、織田家の次男坊ちゃんこと信雄が
清洲会議後の1584年に家康と組んで、秀吉にケンカを売った小牧・長久手の戦いの時。
現在の名古屋の北に位置する小牧に本陣を構えた家康に対し、
秀吉は当時「織田家残党 秀吉派」の有力者の一人、
池田
恒興(この直後に戦死する)のかつての地元、この犬山城に入城します。
家康が陣取る航空自衛隊小牧基地の北にある小牧の山までは直線距離にして約8km。
ケンカ慣れしてる上に、天性のケンカ上手の秀吉は即決で城を出て、
より前線に進出してしまうので、この城に居たのはほんの一瞬だったようですが。
二度目は関が原の合戦のとき。
ここをほっとくと、関が原に陣取った西軍と対峙した場合、
家康ウハウハ軍団は背後から襲われて最悪の挟撃を食らう可能性が出てきたので、
岐阜城もろとも粉砕してしまえ、ということになったわけです。
実際、このとき、岐阜城はボコボコにされてしまう(城主は信長の孫)んですが、
犬山城の方は、守り手にやる気ナッシングだったので速攻で降伏、
このとき、後の土佐藩主 奥さんバンザイの山内一豊が一時城に入ってます。
まあ、これも関が原の本番にあわせて出て行ってしまうので、一瞬の話ですね。
ついでに、どちらの時も、この天守閣はまだ存在していません。
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