■2007年5月19日 土曜 曇り



初夏が来て、週末に都心東部周辺を十キロ単位で走り回ってる生活を送ってるのだが、
さすがにディスカウントショップにて9800円で買った折りたたみ自転車では、過労死の恐れが出てくる。
その憂いに対する私の「エレガントな解答」がこれだ。
Jeepブランドのラングラー(日本製)だが、中身は今年の別モデルと同じものらしい。
15800円(税抜き)なら、まあまあの買い物だと思うが、断言はしない(笑)。
ちなみにこれ、ハンドルの左右に二つ、ギアの「リング」がある。
「どうやって使うんだ?」
と説明書を呼んだら「上に回せば上がって、下に回せば下がるんだヨ!」と
パソコンの説明書が「コンセントにプラグを差し込め。いいから差し込め」で終わってるようなナイスっぷり(涙)。
おかげで、前進走行は普通にできるようになりましたが、
いまだに後進、飛行、潜水のやり方がわかりません。

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今回は週末連休だったのですが、いろいろやってたら午後からの出撃となる。
前回、鶯谷周辺は「神田明神閣下のシマ」と書きましたが、
どうもちょっと微妙で、国道4号から東側は浅草神社の眷属となるようです。
ここら辺も、神田祭り同様、さまざまな神社が同時にお祭りに突入します。
これはウチの近所の小野照崎神社のお神輿。
ちなみにこの神社、それなりの規模だし、ミニ富士山の山開きなどで
そこそこ知名度あるんですが、地図には名前が載ってないことが多い。
なんで?



三社祭は浅草寺(せんそうじ)ではなく、その右手にある浅草神社のお祭りだ。
こちらは普通に「あさくさじんじゃ」と読む。
広い境内のおかげで、震災はほぼ無傷で乗り切った浅草寺だったが、
東京大空襲で、本堂、五重塔、山門がすべて消失する。
が、そのすぐ横にあったこの浅草神社は生き残ったのだ。
かなり改築を重ねてるようだが、現在、国の重要文化財でもある。

昭和23年、という浅草が灰燼となった時期に三社祭が復活できたのも、
多分、この神社が健在だったからだろう。
が、謎なのは、そのときの神輿で、例の家光プレゼンツは消失、敗戦直後に、
新たな神輿がそう簡単に手に入ったとも思えない。どうしたんでしょうね?
現在の三基の神輿は、昭和25年、27年に造られたもので、その間どうしてたのかはわからない。




戦後になって新たに造られた三基の神輿。
左から、三之宮、一之宮、二之宮。
惜しむらくは日本が貧しさ絶好調だった昭和25年(一之宮、二之宮)と昭和27年(三之宮)に
製作されたものなため、かなり小型で地味です。
この三基で浅草神社周辺の各エリアを分担して廻ります。
氏子の各町内会は、それぞれ自分の神輿を持っているのですが、
それとは別ルートで、この「親衛神輿」もリレーのように各町内が順番に、次々と担いで練り歩きます。
北東、墨田川沿いを廻るのが一之宮(これのみ屋根の上に鳳凰がついてるので識別は簡単)、
吉原、サンヤといったエリアをかすめることになる北西エリアを廻るのが二之宮。
最後に雷門から南、かなり狭い範囲を廻るため、祭り当日、補足接触がもっとも簡単な三之宮、となります。
祭り本番にそなえて、神輿周辺に白い紙を張り、各面に七つの鏡を下げてます。
どういったいわれのある装飾なのか、ちょっとわかりませんが、
これのおかげで、祭り当日、あまた動き回ってる各町内会の神輿と識別するのが容易となっています。


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