イギリス ゼロ戦編 1 エンジン部 / コスフォード RAF博物館

さて、ここからは通称イギリス ゼロ戦の紹介となります。
いわゆるバラバラ零戦で、胴体中央部と機首部だけが現存してるのですが、
筆者が観に行った時、それらは100km以上離れた2箇所の博物館に分散展示されいました。

これも中島製の機体で、1100号機。

全くと言っていいほど情報がない機体でして、終戦後、東南アジアのどこかで鹵獲され、
連合軍航空技術情報部 東南アジア局
(Allied Technical Air Inteligence Unit South East Asia / 略称:ATAIU SEA)
が試験を行ったあと、1946年にイギリス本国に送り込まれたものだ、という程度にしか経歴はわかってません。

その後、この機体は、1960年の段階までは空軍が保管していたのですが、
1961年に胴体と主翼部だけがロンドンの帝国戦争博物館に送られ、
このエンジン部(実は機首部全体なのだが)だけが、コスフォード基地の博物館に残されました。

尾翼の付いてた胴体後部はこの段階で破棄されたのか、
それともイギリスに到着した時に既に無くなっていたのかはよくわかりません。

**追記**

胴体後部は、イギリスに渡ってからスクラップにされた、との情報を掲示板にていただきました。

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■2025.03追記

イギリス軍が接収した時、その解体作業を担当した整備兵の親族の方から連絡をいただき、
記事掲載から約5年を経て、機体の来歴が判明しました。
今回、ご好意から紹介の許可を頂きましたので、ここに掲載します。

この機体は南西方面艦隊、第13航空艦隊第23航空戦隊所属の第381海軍航空隊のもので、
終戦時にシンガポール地区に配備されていた中の一機でした。
シンガポールに来たイギリス空軍の将校が日本の航空機をイギリス本土へ持ち帰る事を希望し、
当初は自力の飛行でイギリスまで持ち帰る計画だったらしいです。
(当時の植民地&占領地のイギリス基地を経由し、最後にフランスで給油すれば不可能ではない)

このため担当の整備兵もイギリスまでの飛行に同行するよう命じられましたが、
インドを中心に独立運動などがキナ臭くなっており、輸送船での運搬に切り替えられたようです。
このため日本側の整備兵が輸送のための分解・梱包を担当、その作業が終わった後、
日本への帰国が許可された、と。

すなわち、この機体の分解は日本側の手によって行われており、
配管、電気ケーブルなどの取り外しは手順通りのモノである可能性が高い、
すなわちイギリス側が適当に分解して破損したものでは無いと思われます。
(操縦席部分の主翼は切断されちゃってるのですが)
よってその資料性は、やはりかなり高い機体であると考えていいでしょう。

第381航空隊はそもそも最新鋭機、雷電を装備してインドネシア方面に送られる予定の部隊だったのですが、
訓練飛行中の1944年1月に雷電が空中分解するという事態に見舞われ、
結局、零戦を主に現地に送り出された部隊です。
(振動問題で墜落した前年6月の帆足大尉機とは別の空中分解事故である)

戦争末期には一定数の雷電を装備していたとされますが、渡辺洋二さんの「雷電」によると21型が12〜16機で、
数の上では零戦の方が最後まで主力だったように見えます。

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イギリスが戦後、本土に持ち込んだ日本機は4機のみでして、
ゼロ戦52型が1機(多分、この機体)、五式戦(ロンドンRAF博物館に展示)、
百式司偵(コスフォードRAF博物館に展示)、
そしてなぜか複葉機の93式昼間練習機、通称 赤とんぼです。

ちなみに、この中で赤とんぼだけは痛みが激しかったのか、
そもそも興味が無かったのか、1957年の段階で焼却処分にされてしまい、現存しません。

で、この展示のカウルは、明らかにATAIU SEAが鹵獲機に塗っていた塗料が残っており、
帝国戦争博物館の胴体部と同じ機体のエンジン部である、と判断して間違いないと思います。



というわけで、これがイギリス中部にある
コスフォードRAF博物館で展示中の、ゼロ戦52型の機首部。
帝国戦争博物館の胴体部は後ほど登場します。
これ、一見するとボロボロに見えますが、
ほぼオリジナルのまま、という素晴らしいコンディションを持つ機体です。

中に入ってるエンジンは星型2列の14気筒、栄21型です。
エンジン部が暗くてよく見えませんが、
栄エンジンの写真は世の中に溢れてますから、気にしない、気にしない(笑)。

でもって、この展示、エンジン部だけと思ってしまいますが
、実は後部には排気管とエンジン固定具も残っており、
このままロンドンに運び込めば、胴体部に取り付けてしまえる状態だったりします。
(ただしオイルクーラーは失われている)

もっとも、このカウルと胴体部の間の外板がありませんが、この博物の倉庫とかを
探せば、どこからに転がってるんじゃないかという気が(笑)。
なので、どなたか、1000万円位をポンと寄付して、あの胴体ゼロ戦を
エンジン付きの状態に戻してくれるよう、頼んでくれませんでしょうか(笑)。



正面から。

一番目立つ、エンジンの中心部にある薄い緑色のカタマリは減速器ですね。
レシプロ(ピストン)エンジンの場合、その出力(仕事量)はエンジンの持つ基本的な力、トルクと、
エンジンの回転軸が回る回転数、これの掛け算で決まります。
トルクはピストンの大きさ、シリンダーの容積、数などでほぼ固定されてしまうので、
同じエンジンを高出力にしようと思ったら、回転数を上げるのが基本となるわけです。

が、プロペラ機の場合、あまりに高速にプロペラを回してしまうと
移動距離(円周の長さ)が大きい先端部で音速を超えてしまう可能性が出てきます。
(短めの1mの長さのプロペラでも、先端部の軌道は1周約6.28m、
対して軸部は1mにもならないのだから、その差は7倍近くにもなる。
それを同じ時間で移動するのだから、プロペラ外周は軸周の7倍高速に)

こうなると、プロペラブレードから衝撃波が発生するようになり、
その引っ張る力は大幅に減少してしまう事になるわけです。
(衝撃波がプロペラや主翼の揚力を奪う理由は難解なので、とにかくそういうものだ、という事で可)
なので、高出力(大馬力)エンジンの場合、あまり回転が速くなりすぎないように、
複雑な歯車を噛ました減速器を組み込むことになります。

その減速器の中央部から出てる棒、シャフトがプロペラを回転させるものですが、
ゼロ戦などの第二次大戦期の戦闘機では、この先に例の定速プロペラ装置が入ります。

ゼロ戦ではハミルトンスタンダードの油圧式のものが積まれていたはずですが、
この機体では失われてしまっていますね。

もう一つ、その減速器の上に飛び出してるのも、
プロペラの回転を調整する機械らしいですが、詳しくは知りませぬ。
で、これが少し斜めに傾いてますが、展示のエンジンが傾いてるからではなく、
これが正しい状態のようです。
上にエンジン(キャブレター)用のダクトが通ってるので、
それとの干渉を避けるためですかね。



で、上の写真で見えていた、減速器の周りの銀色の輪の中には、
各シリンダーのプラグに繋がる電源コードが入ってます。
7発×2列の14気筒なので、このコードも14箇所から出てるのですが、栄エンジンはツインプラグですから、
それぞれコードも2本ずつとなっています。

下に見えてるエンジンカウルの内部、結構複雑な形状なのにも注目。
で、あまりにエンジンが見え難いな、と思ってよく見てみたら、
これ、シリンダーまで黒で塗装されてます。

後期生産型の栄は無塗装だったと聞きますから、
これ、終戦後に鹵獲された機体ながら、実はそれなりに古参兵だったんでしょうかね。


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