■川崎 五式戦I型 キ100
Kawasaki Goshikisen / Ki100 ( Kawsaki Type5 fighter / Ki100)

(改訂2版 2011/10作製)



RAF博物館 ロンドンにて撮影


大戦後期の日本陸軍戦闘機。

上の写真を見せて、これがゼロ戦です、と説明しても、全人類の12割くらいは
あっさり納得してくれると思いますが、残念ながら、全く別の機体です。
まあ、エンジンがあって、主翼があって運転手さんが乗ってる、
という点においてはゼロ戦と全く同じなんですが。

本来は長細い水冷エンジンを搭載していた陸軍の戦闘機、飛燕のニ型の胴体に
丸い空冷エンジンのハ112IIをエイヤっと強引に搭載して造ったのがこの機体。

エンジンを換装した場合、機体名まで変えてしまうケースと、
●型、というサブタイプをつけるだけで済ましてしまう場合があります。

この機体の場合は名前ごと新しくしてしまうパターンで、
三式戦(キ-61 II改)から五式戦(キ100)という名前になりました。
例によって、日本機らしく、どこまでが正式な名称なんだ、
というのがよくわからん機体でもあるのですが、キ-100、五式戦ともに、
一般的に通用してますから、それで十分かと。

ちなみに、空冷と液冷のエンジンの交換、というのは結構な大改造なんですが、
世界的に見ても、意外なほど結構行われていたりします。

古いところではアメリカのカーチスP36(空)→P40(液)、
イタリアのマッキMc.200(空)→Mc.202(液)、
新しいところでは空冷エンジンだったドイツのフォッケウルフFw190シリーズに
液冷エンジンを搭載してしまったD型(Fw-190 D9)などがあります。

こうして見ると、いろいろな制約があった空冷エンジンから、
より性能向上が期待できる液冷エンジンに付け替えるのが普通なのですが、
五式戦闘機は、逆に液冷から空冷に切り替えています。
この珍しい変更の理由は、パワーアップや性能向上がメインの目的ではなかったからです。
(イギリスのテンペストとテンペストIIが液→空の変換だが、
あれは全く別の機体に近いので五式戦とは異なる)

さて、この五式戦(キ100)は、新型機の企画をして、設計して、試験して、
という手順をかなりすっ飛ばし、いきなり生まれて来たような機体です。
そもそも五式戦のルーツは、いろいろと情けない戦闘機だった三式戦(キ61)を
ちったあ男にしてやろうぜと、と大掛かりな改修を行ったのが最初。

これが三式戦二型(キ61 II 改)で、昭和19年の夏から生産に入ったんですが、
パワーアップした水冷エンジンの生産がさっぱり間に合わず、
胴体部分ばかりがバンバン完成してしまう、
という異常事態が発生する事になるのでした。

私の知る限りでは、エンジンの無い戦闘機を飛ばす方法は地球上に存在せず、
やはり当時の陸軍関係者のみなさんもその方法を知らなかったようで、
使い道の無い胴体の山が、工場周辺に出現する事になりました。
一説には当時の国道で2kmにわたって胴体だけの未完成機がならび、
各務ヶ原(かがみがはら)工場周辺の住民にいらん不安をまきちらしたとか…。

で、困った陸軍およびメーカーの川崎関係者の皆さんが、
とりあえず出来合いの三菱製空冷エンジン、
ハ112IIを搭載してしまって造ったのが本機。
でもって飛ばしてみたらそこそこいけるじゃん、と言う事で正式採用され、
名前も五式戦(キ100)と改めて付けられたわけです。

三式戦チョー改III型とかいった名前でもよかったんでないか、
と思いますが、まあうれしかったんでしょう(笑)。
昭和20年3月ごろから生産を開始、胴体はすでに完成したのが転がっていたわけですから、
生産はそこそこ順調(日本機としては)だったようで、
最終的に400機前後が作られたと見られます。
これは紫電改や雷電とほぼ同じ数で、連合国ならウッカリ間違えて造っちゃった予備機、
といった数ですが、「日本機の中で」なら立派な量産機と言えます。
ちなみに、同時期にアメリカではジェット戦闘機のP-80の量産がスタートしてますけどね…。

ついでに、一式戦から四式戦までの陸軍戦闘機は
隼、疾風など、それぞれニックネームを
もらっていましたが、さすがにそれどころでは無い時期に開発された機体だけに、
五式戦は最後までニックネームを持っていない機体となりました。
南無。


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