■日米レシプロ戦闘機ウハウハ大研究絵巻

21世紀は22世紀の一つ前だけあって、意味もなくやたら便利だ。
インターネットをはじめ、さまざまな方法で、20世紀には考えられなかったような資料が手に入る。
今回、だいたい1944年ごろの日米戦闘機の性能が比べられる資料がそろったので、
まあ、せっかくだし、とそれらを軽い気持ちでまとめ始めたのだが、
いやはや、これがえらい作業に(笑)。

まあ、米軍のテストデータだけで資料は全てそろったので、単位の統一や試験条件の違いなど、
本来、気にするべきことを一気に省けたのだけは助かった。
そんなわけで、とりあえず行ってみましょうか。
今回は、実際の試験データの比較に入る前、その予備知識を確認するための、
プロローグ編でございます。

■今回のまな板の故意な機体たち 日本海軍■



■ゼロ戦
「100機いてもゼロ戦」のキャッチフレーズで北極の白熊でさえ知ってる有名機。
日本海軍の主力機の座を最初から最後まで勤めることになる制空戦闘機だ。
サッカーで言えばオフェンス要員で、その最終目的は目標空域の完全制圧にあるが、
その任務は彼にはちょっと重荷であったと言わざるを得ないだろう。

ちなみに環状戦闘機だから丸い…、ではなくて、艦上戦闘機という名の通り、
本来は航空母艦からの運用を目的とした機体なのだが、日本海軍の場合、やたら地上基地を運営していたので、
本機も普通の戦闘機のように地上基地からも使われた。
というか、そっちの方が一般的かもしれない。
有名なゼロ戦のエース、坂井三郎さんも、実は艦上勤務の経験はなかったりする。



■雷電
男塾の一号生で、漏電、停電とならんで電電三兄弟と呼ばれた、
という有名な話は、実はまったく根拠のないデマで、残念ながら都市伝説の一つにすぎない。

局地戦闘機、ようするにインターセプターで、こっちにやってくる敵機を迎え撃つぜ、という機体。
サッカーで言えばディフェンス要員だ。
今回の性能比較で、まあ、そういう設計思想なんだろうなあ、というのは読み取れるが、
なにせ相手は世界最強のボーイング爆撃機軍団だったんで、まあ、ある意味気の毒ではあった。
いろんな意味で理解に苦しむ機体でもあったりするが、今回はそこには触れないで行くんだニャー。




■月光
男塾の一号生で、カッコウ、日光と並んでケッコウ三兄弟と呼ばれた、
という有名な話は、実はまったく根拠のないデマで、残念ながら都市伝説の一つにすぎない。

まあ、言葉にするのが困難なくらいアレな機体である、というのが
今回のデータで読み取れてしまったりなんかしたりしてー、という機体。泣けるぞ。ハンカチ、用意した方がいいぞ。
機体の背中に上向きの機銃を搭載、これで夜間戦闘機として活躍したのだが、
逆に言うと明るい昼日中なんて危なくって飛んでられなかったのである。
まあ、ここら辺は、ドイツの夜戦、イギリスのボーファイターなんかも一緒なので、
大丈夫、君は一人じゃない。
そして、そんな言葉がなぐさめになると本気で思ってるほどホース・ディアでもない。


■今回のまな板の故意な機体たち 日本陸軍■


■一式戦 隼(はやぶさ)
著作権とかのカラミを考えて、当ホームページでは私が自分で撮った写真以外は基本的に使用してない。
隼の写真は撮ってないので、よって画像なし。
どんな飛行機が知りたい人はガッツ&自力でカバーを願います。

日本陸軍を代表する戦闘機で、ゼロ戦と同じエンジンを積んで、
同じように活躍したのだが、イマイチ影が薄い。
いますね、こんな人、どこの会社やクラスにも(涙)。
海外での扱いも同じで、現存機、決して多くない上に、マイナー系博物館にばかり
置かれてるので、一生見る機会がないかもしれない。
スミソニアンが他所の博物館に貸し出してる機体が戻ったら見に行こうとは思ってるのだが。

■二式戦 鍾馗(しょうき)
なんでこんな愛称になったのか未だによくわからん戦闘機。
鍾馗さんは五月人形なんかで知られた、魔よけ、病よけの中国の神様。
だが、この人、もとは試験に落第して自殺したおじんさんだったりするのだが…。
どちらにせよ、戦闘機向けとも思えず、スピットファイアと並んで、世界二大命名基準不明機としたい。

非常にヨーロピアンな設計思想に基づく機体で、日米を通じてもっとも英独の戦闘機の設計思想に近い。
太平洋戦線とヨーロッパ戦線は根本的に違う世界なので、結果的には地味な印象の機体となったが、
キッチリその設計思想に見合った戦場では結構活躍している。
事実上、その実力を発揮できなかった疾風を別にすれば、
大戦期の日本機で、ベストと言ってよい性能を持つだろう。

これも写真なしだが、まともな現存機は世界中のどこにもないので、
未来永劫、本サイトには写真は出ないのだ。
ただ、最近、中国の博物館で、胴体の一部が「日本のゼロ戦」という解説のもと、
展示されているのが確認されたらしい。ええ話や。


■三式戦 飛燕 (ひえん)
「飛燕のラジエターは冷えん」のキャッチフレーズで、南極のペンギンにまで知られた機体。
男塾の一号生で…ってのはもういいか。

大戦期を通じ、単発戦闘機では常に一定レベルの機体を採用できた陸軍にあって、唯一の大ハズレでもある。
あれは陸軍がえらいんじゃなくて、中島がえらいんだな。スバル ブラボー!

これも写真なし。もっとも現在、世界で唯一のまともな現存機は鹿児島の知覧 特攻平和会館にある。
ただ、その施設内は撮影禁止だし、慰霊に戦闘機を展示しているという発想がなじめず見に行く気がしない。
四国の紫電改も同じ理由で行きたくない。
飛行機拝んでる姿は、どう考えても文明人の姿とは思えないんだよなあ。

もっとも、今回、意外な一面、というか思いもよらなかった面での高性能ぶりが出てきて、正直、驚いた。


■四式戦 疾風(はやて)
十人中十三人までが「しっぷう」と読むといわれる伝説の戦闘機、ハヤテ。
第二次世界大戦期を通じ、あらゆる日本の航空機の中で、唯一、世界レベルの性能を持っていた機体である。
ただし、あくまで他所様に出しても恥ずかしくない、といったレベルで、
ジェット機は別にしてもP51B以降やスピットのMk.IX(9)あたりと比べると、やはりちょっと厳しい。
F1で、ちょくちょく表彰台にはあがるけどワールドチャンピオンはねえ…
といったレベルだろう。

これも写真はなく、これまた知覧に世界で唯一の現存機があるのだが、これまた上に書いた理由で見る気がしない。

しかし、こうしてみると、陸軍機は現存機に恵まれないなあ…。



■二式 複戦 屠龍(とりゅう)
昭和16年コンビ、鍾馗殿下と同じ年に採用されたため、これも二式戦という名前がついてしまった。
こちらを二式複戦、鍾馗閣下を二式単戦と呼ぶらしい。
屠龍、すなわちドラゴンキラーorドラゴンスレイヤーという名を持つが、その実態はまあ、
海軍の月光と同じようなもので、最後は夜戦になったのも同じ所。

写真はアメリカのスミソニアン航空宇宙博物館が持つ、世界で唯一の現存機だが、
2007年現在、まだ翼と尾翼の修復が終わってない状態。写真は2005年のものだ。
機首にエンジンがないので、想像はつくでしょうが、翼に二機のエンジンを積んだ双発機です。

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