■ユンカースの高高度の誘惑

さて1941年初夏のころに完成したのが、フカーによる高圧縮エンジン、
2段2速過給器を搭載したマーリン60シリーズ(マーリン61)エンジンでした。
そしてすぐさま、スピットに搭載しての試験が開始されてます。

その完成型が完全新型スピットファイアのMk.VIII(8)だったのですが、
主翼内燃料タンクや引き込み式の尾輪、その他にも
いくつかの設計変更を行なっていたため、開発に時間が掛かってしまいます。

ところがその開発開始直後、1941年秋にドイツは新型戦闘機Fw190を投入して来るのです。
その性能はスピットMk.V(5)では互角に戦うのが困難なのが判明します。
が、Mk.VIII(8)は開発が始まったばかりで、当分完成は見込めないぜ、
という事で、今回もエンジンだけ交換しちゃえ、と(笑)急遽登場するのが
従来のMk.V(5)にマーリン61以降の2段2速過給器を搭載したMk.IX(9)でした。
Mk.V(5)の時といい、ほんとこのパターンが多いのです、スピットファイア(笑)。



マーリン60シリーズを搭載した後期型マーリン スピットファイア Mk.IX(9)&XVI(16)は、
先に見た相違点以外、ほとんどMk.V(5)のまま…と言われてますし、実際そうなんですが、
実は細かく見て行くと、意外な相違点もあったりします。
その点は、また実機の解説で。

とりあえず翌1942年の4月にスピットファイアMk.IX(9)が登場、
さらに排気タービンを積んだP-38、P-47がアメリカから大挙してやって来ます。
かてて加えてマーリン60シリーズ搭載のP-51ムスタングB&Cが登場、
以後は連合国側の高高度性能の優位が決定的になります。

これによってドイツ空軍、ルフトヴァッフェは深く静かに死んでゆくのですが、
実はそれ以前の1940年ごろまでは、意外にドイツも高高度でがんばってました。
というか、ドイツの高高度爆撃機におびえていたのがイギリス側だったのです。
幸い、ドイツが高高度爆撃機の本格量産に失敗して事なきを得るのですが、
そのドイツの頑張りが、高高度に強い2段2速過給器と、
マーリン60シリーズの登場に大きな影響を与えています。

が、何度も書いてるように、ドイツには高オクタン価のガソリンがありません。
高オクタン価のガソリンが手に入らない場合、
高高度用過給器の高圧縮吸気に耐えれるエンジンが造れず、
当然、高高度飛行用の機体が造れません。
じゃあ、イギリスが恐れた“ドイツの高高度爆撃機”、
すなわちユンカースJu86の高高度爆撃機とは一体どんな機体なのか、
というのを、せっかくだから少し見ておきます。

とりあえずガソリン燃料による高高度エンジンが出来ない、
となった場合でも、その代案となるエンジンが3つほどあります。
まずガソリンを使わず、燃焼タイミングもレシプロエンジンほどシビアでないジェットエンジン、
そしてさらに力技のロケットエンジン、
最後は、これもガソリンを使わないディーゼルエンジンに
高高度対策の過給器を搭載したもの、です。

ドイツの場合、ジェットエンジンとロケットエンジンが有名ですが、
実はもうひとつの対策、高高度用ディーゼルターボエンジンも
世界で初めて実用化していたのでした。
ディーゼルエンジンの場合、高圧過給に最適のエンジン、という面があり、
そもそも排気タービンもディーゼルエンジンの開発で産み出されたものです。

とりあえず軽油で自然発火式のディーゼルエンジンなら、
過給器による高温高圧状態の空気をシリンダー内に取り込んでも、
ガソリンエンジンのようなノッキングは発生しませんから、問題なく利用できる、
すなわち高高度でも息切れしないエンジンが造れます。

そして、そんなドイツの航空ディーゼルエンジンを生み出したのが、
あのユンカース教授なんですね。



ユーおばさんことユンカースJu52 M3旅客機、
そして急降下爆撃機のJu87スツーカなどで、航空機メーカーとして知られる
ユンカース教授の会社ですが、彼は本来エンジン屋なんですよ。

ユンカースの場合、勉強が得意な本田宗一郎さんがエンジン屋の延長として
車屋ではなく飛行機屋を始めてしまった、という感じでしょうか。
実際、ユンカース社はJumo(ユモ)型番のレシプロエンジンから
ジェットエンジンまで造ってるエンジン屋という一面を持ちます。
例のMe262やAr234に搭載されていたのも、ユンカース社のジェットエンジンです。

でもって、そのユンカース教授、本来はディーゼルエンジンの権威でして、
1902年にディーゼルエンジン研究所を立ち上げ、
その翌年には第一号のエンジンを完成させています。

そんな彼が情熱を傾けたものの一つが航空用ディーゼルエンジンで、
彼の力により、ドイツは第二次大戦前から航空ディーゼルエンジンを
本格的に運用する事になります。
(アメリカでも実験的に航空用ディーゼルエンジンが飛んでは居たが)
当初はその燃費の良さから長距離飛行に向いてる、と考えられていたようですね。

余談ですが、一部で有名な戦前の日本陸軍の壮大な無駄使い、
ユンカースからライセンスを買って三菱が製造した巨大爆撃機、
4発エンジンの92式超重爆は、そんなユンカース社の技術協力で造られました。

なので、6機完成したうち、何機かはディーゼルエンジンJumo204搭載だったらしく
(エンジンはドイツから持ち込んだ?)
実は日本の空も飛んでるんですね、ユンカースのディーゼルエンジン。
まあ、最高速度で200q/hですからかなりゆっくりと、ですが(笑)。
というか、ほとんど試作エンジンだったJumo204を買わされてる辺り、
微妙に涙を誘います。



ちなみにユンカースによる航空用ディーゼルエンジンは、こんな形状でして、
いわゆる航空エンジンとはまるで異なる外観を持ちます。

写真は初期のJumo 205で、このエンジンから
本格的にユンカースの旅客機や爆撃機に搭載され始めます。
本当なら後部に排気タービンがあるんですが、
このエンジンでは、それがありません。
失われたのか、あるいは高高度用ではないので最初から無かったのか
その理由はよくわかりませんが。
(Jumo205はドルニエの小型水上機にも採用されてた)

ちなみに、この特異な外観は
ユンカースが得意とする対向ピストンエンジンゆえです。
対向ピストンエンジンて何?
というのが全人類の120%の反応だと思いますが、
これは一つのシリンダーの中に、向かい合う形で
二つのピストンを入れてしまう、というシロモノです。
すなわち、シリンダーの上下からピストンで空気を圧縮し、
燃料噴射はシリンダーの中央部で行なわれます。

このためピストンの上下運動を回転運動に変換するクランクシャフトが
エンジンの上下にそれぞれある(つまり2本のクランク軸がある)、というスゴイ構造で、
その上下のクランクシャフトの回転を歯車でプロペラシャフト(軸)に伝え、
これによってプロペラを回してるのです。

話だけ聞くとまるでダメダメっぽい印象があります(笑)…。
実際、初期のユンカース製ディーゼル航空エンジンを1931年から民間で運用した
ルフトハンザによると、とにかくユモ205は故障するエンジンで、
平均すると76時間に1回、どこかが壊れる、とされています。
当然、パイロットの評判も散々だったようです。

とりあえず、ユンカースのディーゼルエンジンは実験用に近い
Jumo204から本格的な開発が始まり、
その後、205、206、207、208と進化して行きます。
イギリスに恐怖を与えたのは、Jumo207に排気タービンを搭載して
高高度爆撃機としたJu-86のP型とR型で、一部は高高度写真偵察に投入されてました。
Jumo207まで来ると、それなりに安定していた、とも言われますが
キチンとしたデータは見たことないのでよくわかりませぬ。

そして、1940年の1月ごろからユモ207に排気タービンを組み合わせ、
さらに与圧キャビンまで持ってたらしいJu-86P2高高度偵察機が登場します。
この機体が高度15000m前後でイギリス上空に侵入を開始し、
イギリス側のあらゆる迎撃を軽々振り切って逃げ切ってしまうのです。
当時のイギリスにこれだけの高度に到達できる機体はありませんでした。

その侵入は写真偵察が目的だったのですが、もともとJu-86は爆撃機ですから、
もし爆撃機として大編隊でイギリスに飛んできたら、打つ手がない、となります。
さらに好き勝手に偵察してゆくJu-86も見過ごすわけには行きませぬ。

よって、ここから高高度に強い新型マーリンエンジンの開発が始まり、
それが後にマーリン60シリーズとして完成するわけです。
そして、高高度に強いチョー強力過給器は単純にエンジンの出力アップも意味しており、
これが第二次大戦を通じて最強の航空エンジンの誕生に繋がったとなります。
回りまわって、ユンカースのディーゼルエンジンが生み出したのが、
マーリン60シリーズと言えなくもありませぬ。

ただし、ユンカースの航空機用ディーゼルエンジンは全部で1000台も造られていない、
とする説が有力で、Ju-86P型の生産数は、せいぜい40機前後、
R型はさらに少なかったと思われます。
実際は、イギリスが思っていたような脅威は存在しなかったのです。

ちなみに、ドイツ唯一の高高度エンジン、なぜ戦闘機に積まないの、
というと、そもそもディーゼルエンジンは出力が低い、という欠点がありました。
同じようなサイズのエンジンなら軽く2割から3割は出力が落ちます。

たとえばJumo205は595kgの乾燥重量がありながら、その出力は最大で868HPに過ぎません。
同じ時期のドイツのガソリンエンジンDB601Aだと
ほぼ同じ590kgの重量で1050HPは出して来ましたから、かなり見劣りがします。
ディーゼルの場合、出力を上げるにはさらなる重量増加が必要で、
可能な限り軽く作りたい軍用機に置いて、これは致命的な欠陥となります。

そして、先に見た構造の複雑さから来る故障の多さも問題で、
とても現場での運用に耐えない、と判断されたみたいです。
こうして、ドイツの高高度エンジンは、結局、ジェット&ロケット待ち、という事になるのです。

最後に余談ですが、そんなユンカース式対向ピストンディーゼルエンジン、
実は意外なところで成功を収めていたりもします。



アメリカが第二次大戦中に大量生産した潜水艦、バラオ級潜水艦は、
同じバラオ級でも二種類のエンジン(発電機)を積んでいたのですが、
その内のひとつ、フェアバンクス・モース社のエンジンは、実はユンカース式の対向ピストンです。
写真のエンジンがそれなんですが、この写真では、そんなのわかりませんね…。

といった感じで、今回の話はここまで。


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