■スピットファイア完全リスト
(2020.07 全面改訂)

というわけで、一覧表と呼ぶにはあまりにアレな量になってしまったが、行ってみよう。
ちなみに主要な量産型であるMk.I(1)、V(5)、IX(9)の三つを知ってるだけでも、
十分近所のスピット博士ぐらいにはなれる(笑)。
あとはオマケみたいなものなのだ。

とはいえ、脈絡もなく、24種類もの機体名を並べられても(一部海軍用シーファイアを含む)
訳がわからんと思うので、最初に少しだけスピット開発の流れを確認して置く。

スピットの凄い所は1937年、すなわち第二次大戦の2年前、
太平洋戦争に至ってはそれより4年も前に初飛行した機体が、
ほぼエンジンの進化と機体の構造強化だけで1945年の連合軍勝利まで主力として戦い抜いた事だろう
終戦まで第一線でがんばった、という点ではドイツのMe109はさらに古いが
こちらは最後まで無理やり戦わされた、という面が強いので性能で選ばれたとは言い難い。

スピットの進化はエンジンの進化であり、それは基本的に過給機の進化だった、
という点についてはこの記事の前に説明してあるので、ここでは詳細を省く。
とりあえず、その主要生産型を分類すると以下のようになる。



1942年の秋から、スピットはマーリンエンジンからグリフォンエンジンへと進化するが、
グリフォン スピットは高性能ではあったものの、正直、あっても無くても同じだった。
二段二速マーリン搭載のMk.IX(9)&Mk.XVI(16)があまりにも良くできた機体だったからだ。

実際、最も生産されたMk.XIV(14)ですら約900機しか造られておらず、
生産機数の面から見ても、主力は最初から最後までマーリン搭載スピットであり、
グリフォンスピットはとりあえず保険で造っておくか、という存在だった。
生産されたグリフォンスピットは地上攻撃、偵察、V-1飛行爆弾の迎撃などに投入されただけで、
主力戦闘機と言う存在には最後までなれなかったのだ。

結局、イギリスはドイツの降伏後まで、バランス良くまとまった2段2速マーリン搭載機、
Mk.IX(9)&Mk.XVI(16)の生産を続け、そしてこの機体で最後まで戦い続ける事になる。
(両者は事実上、同じ機体であり総生産数は約7000機にもなる。詳しくは後の表内で解説)

そんな存在の薄いグリフォンスピットだが、スーパーマリン社はなぜか開発に熱心で、
半新型と言った感じの中途半端なMk.XVIII(18)、
さらには事実上の新設計機、Mk.21以降の新世代スピットを戦争末期に送り出している。

が、Mk.21はすでにジェット化時代の入り口の機体で、さらにはドイツは敗北直前の時期であり、
結局、その改良型のMk.22などと併せても新世代スピットは500機未満の総生産数で終わってしまった。
事実上、無かったようなモノ、と考えていいだろう。

ワケが判らんのがMk.XVIII(18)で、ミッチェル世代の設計を残しながら、
主翼などを新設計としたものの、完全試作のMk.21より開発が遅れてしまい、
結局その生産開始は終戦に間に合わなかった。

さらにスーパーマリン社はこれらの新世代スピットと並行して、
その後継機にと考えていたスパイトフルを開発している。
そしてそれらすべてが空軍から期待したほどの発注を取れず、
戦後のスーパーマリン社の凋落に繋がって行く。

鋼の意思を持つミッチェルが、自らの命と引き換えに世に送り出したスピットファイアは
あまりにも特別だったのだろう。

ちなみに、マーリンは66の「お前はアホかハイブーストスペシャル」で
密かに2000馬力を達成しているので、実は2000馬力級エンジンだ。
よって、グリフォン前の二段二速マーリンMk.IX(9)から、
既にスピットは2000馬力級戦闘機だったりする。





■空軍向け スピットファイア 戦闘機型一覧
(グレーのものは、試作機で量産されなかったもの)

 形式

特徴

エンジン種類

Mk.I (1)


1938年配備開始。
 最初の量産型 バトル オブ ブリテン時の主力機。 
量産開始後も改良を重ね、ロートル製定速金属3枚プロペラ、
バブルキャノピー、20mm機関砲など、後に標準装備となるものは、
ほとんどこの機体の改良段階で採用されていた。
一段一速の貧弱な過給機のママながら
100オクタンガソリン使用によるハイブースト化も行われた。

次のMk.IIが事実上の失敗作に終わったため、
1941年夏という、Mk.V登場後まで、その生産は続いている。
最終的に1500機前後が造られた。

マーリン
(1段1速)

 Mk.II(2)

  
1940年配備開始。
マーリンのハイブースト型、100馬力近くパワーアップした(はずの)
XII(12)を搭載、大いに期待されたが、
完全な失敗作で、スペック的にはMk.Iに劣り、
空軍の性能テストレポートには「期待値以下」(less than expected)
の文字が書き込まれている。

この点、機体に大きな変更は無いので、エンジンの問題の可能性が高い。

結果、イギリス空軍は41年夏登場のMk.V(5)までの間、
事実上、まったくパワーアップしてない機体でドイツ空軍と戦うことになる。
それでも先行して生産設備を整えてしまったたらしく、
900機ほどがつくられた。イギリス、結構このパターン多し(笑)。

とりあえず、バトル オブ ブリテンに間に合った最後の新型戦闘機だった。
Bウィングが生産時から搭載されたほか、
コフマン式(火薬カートリッジ)エンジンスタータなどを搭載。
プロペラスピナーが少しつぶれた(ドイツ風?)形状なのも特徴だが、
この点は結構、判別が難しい。

マーリン
(1段1速)

 Mk.III(3)


1940年5月初飛行。  
1段2速過給器を付けたマーリンXX(20)を搭載テストした試作機。
1機のみ制作。
エンジンそのものの完成度が低く、開発に手間取ってるうちに
後から出て来たMk.V(5)が正式に採用されてしまってお蔵入り。
結局スピットはマーリンの1段2速エンジンを正式採用しないまま終わる。

マーリン
(1段2速)

 Mk.IV(4)

 
グリフォンエンジンを搭載した最初のスピットファイア試作機。
2機製作されたが(DP845機とDP851機)、
1941年11月に最初のDP845機が初飛行した直後、Mk. XX(20)と改名された。
この理由はMk.XX(20)のところで後述。

よって1942年8月に初飛行した2機目のDP851機は発注段階ではMk.IV(4)だが、
初飛行段階ではすでにMk.XX(20)だった。ややこしいな。

とにかくスピットにグリフォンを搭載してみよう、という試作機で、
一段二速のグリフォンIIBを搭載して試験された。
低空では十分な性能を示したため、後のグリフォンスピット制作が決定されたらしい。
それがグリフォンエンジン搭載の最初のスピットMk.XII(12)となる。

20から12と量産型の方が試作型より番号が若返るというイギリスらしい
訳の分からん命名ではあるが、これは量産段階で
順番的にスピットの12番目の番号が空いてたからそうなったもの。

グリフォン
(1段2速)

 Mk.V(5)


1941年3月ごろから量産開始。

あのドイツの、いわゆるドイツのメッサーシュミットの野郎が、
その場しのぎで作ったくせに実は最強だった
Me109Fの1&2型が1940年年末ごろから登場してきたわけさ。

F型の1と2はドイツ機のクセに、
100オクタンガソリン専用のエンジンなんざ使ってたから、
Mk.I、さらにそれ以下の性能しかないMk.IIではいろいろやばかった。
全戦争期間を通じて、最初で最後ではあったが、スピットを性能的に
完全に圧倒してしまうMe109が、登場してしまったのである。

でもって、RAFの皆さんは驚いたビビった頭を抱えた。
当面実用段階に至らなそうなMk.III(3)&IV(4)でどうすんだよ、と。

そしたら、小手先のパワーアップですが、
とロールスロイスが持って来たマーリン45が登場、
さらにふと横を見ればそこにMk.Iがあるじゃあーりませんか!
合体させるでしょう!これは!もう!人として!
で、出来てみた機体は、ほとんどMk.Iのエンジンを代えただけにしては
そこそこの性能で、すぐに生産に移れたから、即採用となり、
1941年春ごろから戦線に登場しはじめる、

これがMk.V(5)。

で、その場しのぎの機体かと思いきや、
なにせ戦争のピーク時だったので、
マルタ島方面や北アフリカ戦線に対応したトロピカル型、
意外な傑作機となってしまった低空用のLF型など
数々のバリエーションが登場、気が付いたら6500機もつくられていて、
シリーズ中最大の生産型となった。

基本的には I 型のエンジンを代えただけだが、
高速時にゆがんで性能が落ちないよう、
主翼のエルロンが羽布貼りから金属カバーのものに代えられ、
武装タイプとしてCウィングも採用となっている。

 また、この機体からスリッパ型とも言われる、機体に密着する箱型の
増加燃料タンク、増槽が装備できるようになった。
機体内燃料だけだと750km程度の航続距離だったが、これを使うと、
最大1800kmまで航続距離を伸ばせたとされる。

もともとは、はるか地中海のマルタ島などへの空中輸送用(フェリー)として
開発された増槽らしいが、うまいぐあいに大陸への反攻時期に重なり、
偵察タイプを中心に多く用いられていたらしい。

ただMk.V(5)は、あくまで応急型であり、
性能的にドイツ機を圧倒するところまで行っていない。
よくて互角、というところだし、早くも同じ年、41年の秋からは
Fw190Aが登場、かなりの性能差で圧倒されることになり、
完全に旧式化してた2年後の43年の春から秋にかけては、
オーストラリアのダーウィンで、ゼロ戦に惨敗することになる。

どうも、正直ピリっとしない機体ではあったが、
数の力で、もっとも活躍したスピットであることも確かである。

ちなみに、海軍向けシーファイアもこの機体の改造からスタートする。

マーリン
(1段1速)

 Mk.VI(6)


1941年7月初飛行。
高高度対応のHF型が登場した最初の機体。
つーか、このタイプは全機、高高度用なんで、全てHFなんですが。

ドイツの高高度爆撃&偵察機、ユンカースJu86Pの本土飛来にアッタマに来た
RAFが開発した、高高度型スピットファイア。
ただし、そのエンジンは1段1速のマーリン45の改良型である47に過ぎず、
4枚プロペラなどに変更したものの、どう考えても高高度性能はたかが知れていた。

しかも高度12000mを超えるとなると酸素マスクだけでは足りず、
どうしても密閉型コクピットに空気を詰め込んで
気圧を保つ与圧コクピットが必要となり、
そのためのコンプレッサーまで開発されている。
ただ、最後まで与圧コクピットの空気漏れには悩まされたらしい。

しかも実際の性能的には高度11000m前後が限界で、ターゲットとしていた
Ju86P(とR)の飛行高度14000mにはとても届かなかった。
その上コクピットは密閉のために外からネジ止めされ(笑)、
パイロット自ら中から開けられない(後に改善)ステキ飛行機だった。
失敗作だろう。

それでもうっかり100機近く造ってしまったので、通常の作戦に紛れ込んで
一部でこっそり使われていたらしい。パイロット大迷惑じゃん…。
 

マーリン
(1段1速)

 Mk.VII(7)


ついに完成した2段2速過給器付きマーリンエンジンを見たRAF幹部が
「あのころは俺も若かった」
とばかりに一段一速で無茶やったMk.VI(6)の反省を踏まえて再度造った高高度型。
1942年7月に最初の試作型が初飛行。

ただしエンジンはマーリン61、64、71だったから、
与圧コクピットを除けば、後から出てくるMk.VIII(8)やIX(9)となんら変わらず、
これまたあまり意味のない機体となった。

実際、本気の最大の仮想敵、Ju86の迎撃(撃墜はしてない)を後に果たしたのは、
Mk.VI(6)でもVII(7)でもなく、通常のMk.IX(9)を改造した機体だった。
立場ないよなあ…。

が、これまたうっかり140機近く造っちゃったらしい。
引き込み式尾輪など、それなりに先端の工夫もあったのだが…。
ついでにエルロン(補助翼)が通常型より短い、という特徴もある。

多分、いらなかったからだろう、アメリカに1機プレゼントされ、
これが戦後も生き残ってしまい、現在、
スミソニアンの航空宇宙博物館に展示されている。

 マーリン
(2段2速)

 Mk.VIII(8)


1942年年末から量産開始。
次の主力型スピットのエンジンは2段2速過給器つきマーリン61系だ、
というのは疑問の余地がなく、それならせっかく造ったMk.VII(7)をベースに、
しっかりした機体を作ろう…、と思ったのがいけなかった(笑)。

そもそもMk.VIIの機体はコクピット周りが特殊で、
与圧システムといっても胴体の一部を完全に作り変える必要があった。
よって、量産化するにあたって意外に手こずってしまい、
結局あとから出てきたMkV(5)戦時緊急改良型のMk.IX(9)に
主力の座を奪われてしまった。

またこのパターンかよ、って気が(笑)。
なのでマークナンバーの若い、このVIII(8)の方が後からデビューする、
という事態が生じてしまっている。

しかも凝ったつくりのくせに、戦時急造型のMk.IX(9)に多少性能的に劣るらしい(涙)。
が、まあ機体の素性は悪くなく、せっかく造ったんだしってことで、
1600機ほど生産され、主に地中海からイタリア戦線で使用された。
アジア方面にも1943年暮れごろから回され、日本陸軍を苦しめている。
また、オーストラリアでゼロにケチョンケチョンにされたMk.V(5)の交代要員として
送り込まれているが、こちらは再戦の機会がなかった。

ちなみに数字の上では、最初に低空、通常、高空用の各型、LF、F、HFがそろった
タイプなのだが、実際のデビューはMk.IX(9)の方が先。
 

マーリン
(2段2速)

 Mk.IX(9)


1942年夏ごろから量産開始。
2段2速過給器搭載のマーリン61を積んだ究極のスピットファイアである。

 1段1速のマーリン45だったMk.V(5)の後継機として、
2段2速の新型過給機搭載のマーリン61系を搭載したMk.VIII(8)が予定されていたが、
開発はやや迷走気味だった。

そこに1941年暮れにあのドイツの、いわゆるひとつのドイツの、
あのフォッケウルフのラスボスことクルト・タンクのあの野郎による
Fw190Aが登場、スピットファイアMk.V(5)を性能的に圧倒してしまった。

Mk.VIII(8)はまだまだ開発途中だ。
よって、RAFの皆さんは驚いたビビった驚いた頭を抱えた。
Mk.VIII(8)は妙に凝った造りにしちゃったから、まだまだ量産に持ち込むのは無理だ。
どーすんだよ?

で、マーリン61という最強エンジンはすでにあるんだよなあ、と思い直し、
ふと横を見たら、そこにMk.V(5)があるじゃあーりませんか!
合体させるでしょう!これは!もう!人として!

で、出来た機体は、ただのエンジン交換だけとは思えないほど
ハラショーでブラボーな高性能機となったのでありました。

ただし、61系エンジンは2段2速過給器のため1回り大きく、これを収めるため、
機首部を12.5cm(5インチ)延長、エンジンマウント部も強化している。
さらにラジエターも右翼下だけから両翼下搭載型となり、
気化器の空気取り入れ口も少し大型化、さらにプロペラも1枚増やして4枚にした。
(ここら辺の改修は、マーリン61搭載の先輩機、Mk.VII(7)とVIII(8)から採用済み。
ただし全長はMk.VII(7)とVIII(8)よりさらに1.5インチ=2.4cm長い)

とはいえ、ほぼMk.Vの機体であり、すなわち、Mk.Iそのまんま。
いろいろと手を入れた機体より、結局Mk.Iの設計が一番優れていたことになる。
おそるべし、ミッチェルのデザイン。

事実上のスピットの完成形であり、グリフォンスピットはおろか、
ジェット機の生産まで始まっていたヨーロッパ戦線終戦後の
1945年の夏まで生産が続行され、Mk.V(5)に次ぐ、約5900機が生産された。

スピットファイアは、これをもって完成型にたどり着いたと見ていい。
あらゆるドイツ戦闘機を性能的に凌駕し、
Me262の登場まで、この優位は全く動かなかったと見ていい。 
P51ムスタングが出て来なければ、連合軍の最優秀戦闘機は本機だったろう。

なにせミッチェルの基本設計のママなので、空力設計が古く、
しかも航続距離は短いままだったので、速度、航続距離でP-51に見劣りする。
半面、軽量だったので、上昇力、加速などではP-51より優れていた。

ドイツ機がいつ飛んで来るか判らない、というヨーロッパでは
とにかく離陸したらすぐに高度を稼ぎたいので、
この上昇力の高さは魅力で、イギリス空軍がマーリンエンジン搭載のP-51に
さほど興味を示さなかったのは、ここら辺も原因の一つだと思われる。

マーリン
(2段2速)

 Mk.X(10)


PR Mk.Xと同一機。
 

マーリン

 Mk.XI(11)


PR Mk.XIと同一機。
 

マーリン

 Mk.XII(12)


1942年秋から生産開始。
最初のグリフォンエンジン搭載の量産型スピットとなった。
イギリス本土に低空進入してくるドイツの戦闘爆撃機、Fw.190の迎撃用、という
最初からえらくニッチ産業的な目的で開発された機体。
後にはV-1飛行爆弾の迎撃にも使われている。

緊急用、ということもあって、Mk.VIII(8)とIX(9)の機体を随時、
生産ライン上で改造して造ったらしい。
(IX(9)ではなくまだ生産が続いてたMK.V(5)を使ったとする資料もあるが、
VIIIとVでは機体の全長、エンジンマウント部など多くが異なるので、この話は怪しい)
そのためもあってかプロペラは2段2速マーリン系と同じ4枚。

そのデビューはMk.IX(9)の直後であり、
Mk.VIII(8)登場よりもちょっとだけ早いのに注意したい。
その気になれば、いつでもグリフォンエンジンに切り替えられたのである。

そうしなかったのは1段2速グリフォン エンジンの性能がイマイチだったから。

この機体のエンジン、グリフォンMk.IIIとIVは
1段2速過給器ながら完全な低空用だった。
定格高度は250m(!)で、1730馬力(hp)を発揮したが、機体性能は
似たような目的で作られたMk.IX(9)のLF型に比べてもさほどパっとしない。
このため結局、100機程度の生産で打ち切られた。
(最初からその程度しか造らないつもりだったようだが)
ちなみに製造された機体の区分は低空用のLF型ではなく、全て一般用のF型だった。

この結果、やはり2段2速過給器が要るよね、という事で
2段2速過給機搭載グリフォン用に開発されたのが後継型のMk.XIV(14)であり、
それを主翼の設計変更などで改良したのがMk.XVIII(18)、
そして最終的にこれ以上の改良は無理だから、
もう全部造り直しちゃおうぜ、となったのが新型スピットであるMk.21となる。

ただしイギリス側はドイツ機に対して3:1の損失率、すなわちMk.XII(12)が
一機撃される間に3機は堕としてると主張してる(笑)。
実際は半分以下の戦果だったと思うが、それでもドイツ機に対し
ある程度まで互角に戦えていた可能性もあり、
単純に失敗作とも言い切れない面があるかもしれない。

なお海軍型のグリフォン シーファイア、Mk.XV(15)はこの機体から発展したもの。

 

グリフォン
1段2速) 

 Mk.XIII(13)


PR Mk.XIIIと同一機。

マーリン

 Mk.XIV(14)

 
1943年末ごろ量産開始。
最初にして最後の本格量産型グリフォンスピットとなった。
2段2速過給器を搭載した2000馬力級グリフォン61シリーズの65型を搭載し、
量産型スピットとしては初めて時速700kmを超えてきた。
プロペラも5枚ペラとなっている。

当初はMk.VIII(8)の設計を基本的に流用したが、
さすがにここまで来るとミッチェル設計の機体も限界で、
主翼、胴体、共に大幅な設計改修が行われた。

ちなみに生産途中から水滴型風防型に切り替えたので、
従来のファストバック(ハイバック)と水滴風防の二種類の機体が存在する。

それなりによく出来た機体だったが、戦線に登場した1944年には、
ほぼ空の戦いは終わっており、正直、使い道はほぼなく、
主な用途はイギリス本土に飛来するドイツのV-1爆弾迎撃だった。

このため、約900機の生産機のうち、約半数は写真偵察も可能な
FR.XIV(14)として製造されている。

グリフォン
2段2速
 

 Mk.XV(15)

 
海軍のシーファイアに使われたナンバー。

 

 Mk.XVI(16)


1944年9月量産開始。
最後のマーリン型スピットファイア。

Mk.IX(9)とほぼ同じ機体で、エンジンをアメリカ製のパッカードマーリンとしたもの。
このエンジン、ライセンス生産とは言え、
細かい部分で本家ロールスロイス製とはかなり異なるので、
整備、修理時に同じ工具や部品が使えず、
現場での混乱を避けるために新しいマークナンバーを与えたらしい。
最終的に約1000機が生産された。

とっくの昔にグリフォンスピットの量産が始まってる中での製造開始で、
いかにMk.IX(9)型が優れていたかがわかる。
1945年に入ってからの製造型は水滴風防型となり、E型翼の搭載もやってるようだ。
(Mk.IX(9)も同じ)

1945年の7月ごろまで生産が続いたようで、まあたいしたもんである。
ちなみに、中にはMk.IX(9)として生産されたが、
後に修理でエンジン換装されてパッカードマーリン搭載となり、
Mk.XVI(16)に変身してしまったスピットもあるらしい。

ここまでがまともに投入された、正規ナンバーのスピットファイアとなる。
この後の機体は、事実上、出がらしみたいなものである。

 

パッカード
マーリン
(2段2速)

Mk.XVII(17) 


海軍のシーファイアに使われたナンバー。 

 

 Mk.XVIII(18)


1945年夏ごろから量産開始(年末説もあり)されたグリフォンスピット。
ちなみにこれは後で見る新世代スピットファイア、
「量産型」Mk.21よりも遅く、何を考えていたのかよく判らん部分である。

Mk..XIV(14)に次ぐ量産型スピットとして計画された機体だが、
いろいろ改良を施したてたら時間がかかりすぎてドイツは降伏、
アタフタしてるうちに日本も降伏してしまって戦争には間に合わなかった。

基本的にはMk..XIV(14)の改良型で、
主翼を従来のものから一新し、強度を上げうえに、
翼内スペースを広げ、そこに燃料タンクを積んだ、というのがポイントらしい。

全部で300機程度の生産で終わっているが、
この機体も全体の1/3は偵察兼用のFR型として作られた。

主翼以外に目をやると、エンジンはMk.XIV(14)と変わらず、
性能的にもほとんど同じ。
最初から水滴風防型だったくらいが目立った違いか。

そしてこの機体が、ミッチェルの基本デザインを踏襲して来た
最後の量産型スピットでもあった。

グリフォン
2段2速

 Mk.XIX(19)


PR Mk.XIXと同一機。
 

グリフォン

 Mk.XX(20)

 
 先に見たグリフォン搭載用の試験機、Mk.IV(4)の二機を1941年末に改名したもの。

一号機が飛んでわずか一か月後に、急にXX(20)まで番号を飛ばしたのは、
1941年末ごろから空軍省(Air Ministry)が戦闘&試作スピットと、
偵察型のスピットの機体番号が重ならないよう整理整頓し始めたため。
(後にMk.X(10)以降は海軍型も含めた連番とし、
同じ番号の機体が存在しないようにした。
逆に言えば、そこまでは戦闘機、偵察型、海軍型でそれぞれMk.IやらIIがある)

しばらく他の機体と重複しないだろうと20番まですっ飛ばしたらしいが、
最終的にはそれでも足りなかった事になる(笑)。

 その後、先に初飛行したDP845機は、
最初の量産型グリフォンスピットMk.XII(12)に積まれた
グリフォンVI(6)にエンジンに変更、その先行試作機となった。
量産型がMk.XII(12)と若返った番号になったのは、この段階で新型スピットは
キチンと順番に命名されるようになっており、12番の数字が空いてたから。

一方、二号機であるDP851機はその改造は行われず、
二段二速グリフォン搭載の最初の試作機、Mk.21となる。

ただし“暫定型”のMk.21で、後に量産されるMk.21とは別の機体である。
この点はややこしいので、詳しくは次で述べる。

グリフォン
(1段2速)

 Mk.21
(DP851)


さすがにXXだのXIXだのイギリス人でも
何言ってるんだか判らなくなってきたようで、
このMk.21から機体名称はアラビア数字となった。

そしてヤヤコシイ事にMK.21は同じ名前で全く別の二種類の機体が存在する。
ここら辺りはスピット大好きイギリス人の資料でも
混乱してる事があるので要注意である。
しかも両者ともF型なので、混乱しやすいからタチが悪い。

とりあえず、このDP851機は先に見たように、
グリフォン搭載用スピット試作機の二番機であり、
1942年8月にMk.XX(20)として初飛行した機体だった。

その後、2段2速のグリフォン61型エンジン用試作機に改造される事が決まり、
単純に20の次の番号、MK.21が与えられた。
よって、後に登場する「量産型」Mk.21とは完全に別物である。
ちなみにこちらを“暫定型(Interim)”Mk.21と呼んでいた、
という話もあるが確認はできず。

その後、2段2速グリフォンエンジンを搭載して
1942年12月に(1943年1月説もあり)Mk.21としての初飛行に成功している。
ちなみに当初は4枚ペラだったが、後に5枚に変更した。

最後は1943年の5月13日に着陸事故を起こして除籍。
ちなみにこれらはMk.XIV(14)の生産開始より早いので、
そのエンジン試験も兼ねていた可能性がある。

この機体は純粋に2段2速のグリフォン61リシーズのテスト用だったので、
従来のMK.XX(20)からの構造の大きな変更は無かったらしい。
よってミッチェル設計による旧世代最後の機体となったのがこの機体である。

ミッチェル世代最後の機体と、新設計の最初の機体がどちらも同じ名前、
21型なのはおそらく空軍省が何も考えていなかっただけだが(笑)、
なにか不思議な感じがする部分ではある。

グリフォン
2段2速



■新世代スピットファイア

ここまで見て来たように、スピットファイアは1937年に初飛行した機体、
ミッチェルが設計責任者だった時代の機体を改造しながら新型エンジンを次々に搭載、
近代化に対応して来ていました。

が、航空技術が最も進んだ第二次大戦期において、
5年以上昔の設計の機体ではさすがに無理が出始めてきます。
さらにグリフォンエンジンの出力増大に対応する機体構造の強化、
速度増加に耐えられる主翼構造、といったものが1942年ごろから求められ始めます。

その結果、胴体構造も主翼も一気に新設計にしてしまったのが、
新世代スピットファイア、Mk.21以降の機体です。
いや、それはもう別の機体じゃん、と思うし、実際、当初はヴィクター(VIctor)、
勝利者と言う、ドイツが負けそうな段階で出て来る戦闘機の名前としては、
かなりひねりの無いものに変更される予定だった、という話もあります。

が、最終的にスーパーマリン社は、これもあのスピットファイアですよ、
と主張する事にした結果、Mk.21はその一族に加わることになったのです。
この辺りの理由は不明ですが、新型機とするより、あのスピットの新型、
とした方が売り込みやすかったのか、とも思います。
まあ、結果的には商売としては散々で終わるんですけどね…。

ちなみにスーパーマリン社はそれとは別にスピットの発展型とも言える機体、
スパイトフル(Supermarine Spiteful)を平行開発しており、こちらは1944年6月に初飛行したものの、
わずか19機(先行試作2機を含む)の生産で終わってます…

ここまで見て来たようにスピットはその搭載エンジンによって
「マーリン型」「グリフォン型」に別れるのですが、同じグリフォン型でも、
ミッチェル設計世代のMk.XII(12)、XIV(14)、XVIII(18)までと、Mk.21以降はほぼ別物となっています。
それは設計だけでなく、ほとんどまともに量産されず、実戦にも投入されず、
結局、何の役にも立たなかった、という面でも同様でした。

この辺り、なにか別の分類をした方がいい気がしますが、
あれだけスピット大好きなイギリス人も、あったかなかったかよく判らんような
新世代スピットには無関心なようで、特にこの世代を指す呼称とかは無いようです。
一部で最終世代(Last generation)、末期生産型(Latest production)などと言った
表記も見られましたが、一般的ではありません。
昭和の日本の航空雑誌などではスーパースピットファイアなどとも書かれてましたが、
そういった英語表記は私は見つけられませんでした。

ちなみに最後はその改良型としてMk.22とMk.24が造られていますが、
事実上、ほとんど同じ機体で、新世代スピットは全部一緒、と考えてもさほど問題は無いです。
さらにいえば全部合わせても500機以下の生産数で在り、
スピットの全生産数からしたら、在って無いようなモノでもあります。

とりあえず、この一覧では「量産型」のMk.21以降は新世代スピットファイアとして、別表にまとめました。

 Mk.21
(PP139以降)

  
名前は同じMk.21だが、先に見た試作機とは全く別の機体。
ほぼ完全新設計の新世代スピットである。

それを区別するためか、飛行試験レポートなどでは
こちらの機体はMk.を省いた状態、F 21と表記されている事がある。
(必ずではない。Mk.表記のあるレポートもある)
余談ながらこの機体は開発開始当初、
XXI(21)とローマ字表記だった、という話もある。

1943年7月24日、すなわち先代のMk.21、DP851の墜落から約2か月後に
初飛行した試作機、PP139機がその最初の機体となる。
両者の登場間隔が短い上に名前が同じなので、
同じ機体の2号機と勘違いされやすいが、
既に述べたように、全く別の機体であるから要注意。
なお、PP139は後に主翼を交換され、別の試作機、Mk.23になった。

ちなみに、この初飛行は唯一まともに量産されたグリフォンスピット、
Mk.XIV(14)の生産開始よりわずかに早い。

量産開始も意外に順調で、最初の量産機、LA187機は1944年1月に初飛行している。
(ただし先行量産型で、試験機として使われて部隊配備はされず)
同年7月には部隊配備が始まっているので、とりあえず実戦には間に合ったのだが
活躍らしい活躍はないままに終わっている。

設計に関しては、おそらく空力的なデータを取り直すのを嫌ったからか、
従来のミッチェル世代の機体と見た目は大きな差が無い。
が、実際はほぼ完全新設計となっており、胴体の構造強化などが行われたし
各部の寸法なども結構、変わっている。
さらに主翼でもエルロンの大型化を始め大きく手が入っており、
従来のスピットとは事実上、別物の機体と考えていい。

が、さすがに1944年の段階ではジェット化の時代も、終戦も見えていたし、
従来のスピットでも死に際のドイツ相手には何の問題も無かったため、
わずか120機の生産で終わった。

ちなみに最初の契約は初飛行直前の1943年6月に行われ、
(Mk.XIV(14)の生産開始前なのに注意)
この段階での空軍省からの発注は1500機だったから、
1/10に削減されてしまった事になる。
(実際は後に追加契約があったので、もっと削減されている。
量産が軌道に乗るまで時間が掛かり過ぎ、さらにヘタレのドイツが速く降参しすぎた)

大戦中の連合軍の機体としては、ちょっと多めに作っちゃった試作機、
というレベルの数であり、存在しなかったに等しいだろう。

 グリフォン
2段2速

 Mk.22

 
ファストバック(ハイバック)式のコクピットだったMk.21の機体を
全周視界を確保した水滴風防とし、
電気系統を12Vからより強力な24Vに変更したもの。
後は安定性確保のため、垂直尾翼がやや大型のものに置き換えられた。
(一部の機体はMk.21と同じ尾翼だった説あり)

ほんとにそれだけらしい。
こんなんで、なぜ新しいマークナンバーとなったのかは、謎としか言いようがない。

とはいえ、オリジナルのMk.21よりは多い、285機前後が生産されたと見られる。

 グリフォン
2段2速

 Mk.23

 
MK.21の先行試作機、PP139機に新型の主翼を取り付けた
試験機らしいが、詳細はよく判らず。
ちなみに筆者は未だに写真を見た事が無い機体。

 グリフォン
2段2速

 Mk.24

 
最後のスピットファイアだが、これも事実上Mk.22のマイナーチェンジ。
なんでまた、最後にこんなマークナンバーの安売り状態になったやら。

燃料タンクの増設、ロケット発射装置の搭載、無線機の変更、
その程度しか変わっていない。機関砲が短銃身型になっていた、という話もあり。

結局81機しか製造されてないが、そのうち27機はMk.22からの改造だったらしい。
とりあえずこれが最後の空軍型スピットファイアである。

そしてスピットの最後の勤務地、アジアの香港で、Mk.24は
前後の1955年まで現役機として留まっていた。
デビュー以来17年間第一線に留まっていた計算になる。

 グリフォン
2段2速



●参考文献

Spitfire
Alfred Price著

*大御所、Priceの本だがさすがに古いのもあって記述の一部は怪しい。
ただし貴重な写真とデータが多いので、基本となる一冊ではある。

 Phil H. Listemann著の
Squadrons! シリーズ

Ultimate Spitfires
Peter Caygill著

RAFによる各スピットの試験飛行報告書類


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