■川西 紫電改 21型甲(N1-K2Ja)  Kawanishi siden-kai type 21 kou (N1-K2Ja)/ George II



今回紹介するのはオハイオ州デイトンのライト・パターソン基地にあるアメリカ空軍博物館で展示中の紫電改です。

終戦後、343空部隊で有名な大村基地と、海軍航空隊の本山、横須賀の追浜基地から2機ずつ計4機の紫電改が接収されて、アメリカに持ち込まれました。この機体はその内の1機となります。他の3機の内1機はスクラップにされてしまいましたが、残りは、スミソニアンの航空宇宙博物館(NASM)ウドバー ハジーセンター、そしてフロリダ州ペンサコーラにある海軍航空博物館にそれぞれ展示中となってます。

この機体が大村、追浜どちらの機体かはよく判らないのですが、とりあえず製造番号5312号機とされているので中期型、すなわち最初の改良型である21型甲/N1K2-Ja という事になります。ちなみに機体の塗装は追浜の機体のものになってますが、その根拠は不明です。

アメリカの日本機は長期間、雨ざらしの屋外展示だった機体が多く、この空軍博物館の紫電改もそういった状態からレストアされたもの。ただし意外に状態は良かったとされ、ほとんど野ざらしで朽ちかけていたスミソニアンの紫電改よりは資料性が高いと思われます。

日本の戦闘機ですし、人気の高い機体ですから、機体解説はいいですね(手抜き)。
とりあえず水上機の強風を基に、2000馬力の誉エンジンを積んだ紫電という陸上戦闘機が造られ、さらにそこから生まれたのがこの紫電改となります。といっても、強風、紫電、紫電改の三段活用は毎回大幅な設計変更が行われており、ほぼ別の機体と考えていいと思われます。じゃあ、なんでそんな手間暇のかかる開発をやったの、と言えば、私は知りませんし、理解もできませぬ。

海軍最後の実戦投入された新型戦闘機ですが、総生産数はおそらく406機ほど。
これは連合国の戦闘機はもちろん、爆撃機、攻撃機、さらにはドイツのUボート(第二次大戦期で約1250隻)やアメリカのリバティ・シップ(約2700隻)より少ないという、戦争に使う兵器としては問題外の数量だったと思っていいです。さらに初飛行は1944年の元旦1月1日で、これはアメリカのジェット戦闘機P-80 よりわずかに7日早いだけでした。いよいよ日本海軍も2000馬力時代に突入だヤッホー、という頃には世界はとっくにジェット機に向っていたわけです。

とりあえず、私はこの機体の性能試験飛行の資料を見た事が無いのですが、どれだけ高性能であろうと、これらの前提条件が動かない限り、存在意義は無かった、と思っていいでしょう。まあ、そんな機体です。

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