今回の写真はスミソニアン航空宇宙博物館の別館、
ウドヴァー・ハジー センターで展示されている機体。
これが、月光唯一の現存機です。

横須賀の追浜基地に配備されていた7334号機で、
もともと不調のため予備機とされていた機体だとか。
記録によると、この機体は少なくとも2回、
アメリカ陸軍で飛行テストされており、
よって、一度塗装は全て剥がされ、
無線、及び速度&高度計(マイル&フィート式に換装)を
アメリカ陸軍のものに取り替えてしまっていたはずです。

レストア時にそれらは基に戻されてますが、
この辺りのオリジナル度は低いと思われます。

試験終了後、しばらく軍が保管、最終的に1950年代に
スミソニアンに寄贈されました。
その後は約20年ほど雨ざらし状態だったものの、
分解されて荷造り用の箱に入っていたようです。

なので屋外にむき出して置かれた状態ではなかったようですが、
1979年にレストアの準備のために確認したところ、
機体の一部が腐食してしまっていた状態だったとのこと。
それでも日本機の中では、比較的恵まれた状態で保存されていた、
と考えてよく、資料性は高い機体でしょう。

実際、本館で展示されてるゼロ戦52型に次いで
日本機として2機目のレストア機に選ばれたのは、
比較的修復が楽そうだったから、という面もあったようです。

ちなみに、1983年までかけて修復されたのですが、
当時はスミソニアン(NASM)も本館展示の
Me262がレストアした機体の中で最大のものでした。
なので、大型機体のレストアをして経験値を上げようぜ、
といった面もあったようです。

天下のスミソニアン(NASM)でも、安定したレベルの
レストア技術を手に入れたのは
1980年に入ってから、という事なんでしょう。

 

まずは横から。
月光を横から見ると、こんな感じで
コクピットなどがエンジンナセルで見えません。
視界は悪いでしょう。

が、この機体が特殊なのではなく、
ジェット機を別にすると、当時の双発戦闘機は
全てこんな形になります。

せっかく機首部からエンジンを外せたんだから、
何もわざわざこんな前方にエンジンを置かなくても…と思うところですが、
コクピットをプロペラ面より後ろに置かないと、
脱出時に気流で後ろに飛ばされたパイロットが
プロペラでミンチにされてしまうのです。
ゆえにどこの国の双発戦闘機もこういった形状になってます。

月光の11型には2式陸偵の機体のまま、夜間戦闘機に変更されたものと、
偵察型時代の名残、コクピット後にあった電信員の座席を取っ払って、
機体上の凸凹をなくしたスッキリタイプの2種類が存在します。
この機体は後者、背面スッキリ型ですね。

このスッキリ型は、従来とかなり異なる機体になってるんですが、
なぜか形式名称は月光11型のままでした。
なので同じ11型でも、湯飲みとティーカップくらい
それぞれ形状が異なるものが混在する事になってます。
ここら辺りはP-47のD型やスピットファイアのMk.XVI(16)と似てますね。

なので展示機のような背面がすっきりした改装後の型は、
とりあえず11型後期型と呼ばれるようです。
ただし、あくまで通称で正式には11型のままとなっています。
結局、月光の正式分類は11型と、武装変更型(斜め上銃を3丁に増設)である
11型 甲の2種類しかないようです。

ちなみに先に導入されていた偵察型は2式陸偵のままであり、
ほぼ同じ機体なんですが、こちらは
あくまで別の機体扱いとなっています。





もう脱線も慣れて来たぜ。

P-47はD型の生産途中から下の水滴型風防に
切り替わるのですが、形式はD型のままでした。

さらにこのころから塗装をやめて、ジュラルミン地むき出しとなったため、
この両者が同じP-47Dと言われても、誰がだまされるか、
と言う感じになっております。
スピっトファイアの後期のタイプもこの手のが多いですね。




パイロットの脱出はまず無い大型機では、エンジンはより後ろ、
機体の重心としてバランスのいい位置に置かれます。
前のめりなエンジン配置はコクピットからの脱出あり前提の軍用機ならではの構造です。



が、爆撃機は撃墜されるし、脱出も必要です(笑)。
とりあえず主翼より後ろの銃座にいる連中は手近な窓から飛び出しましたが、
コクピットの乗組員はそうは行きません。

どうするか、というと爆弾庫の扉を開けて飛び出すのがベスト。
(爆弾庫は通常プロペラより後ろにあったし下から出れば尾翼にもぶつからない)
ただし機体最前部にいる爆撃手などは墜落中に爆弾庫までたどり着くのは難しいので、
機首下面にあった乗降口から飛び出す、というような段取りになってました。

が、機内が与圧されていて、余計なドア類が一切なかったB-29の脱出は面倒で、
専用の脱出口(emergency hatch)から飛び出してました。
ただしこれ、それぞれの座席位置に併せて
機体の真横及び上側にあるため、コクピットの連中はプロペラに、
後部の連中は尾翼に巻き込まれる可能性が高いように思われ…。

さらにそれぞれの脱出口のサイズもかなり狭く、B-29はB-17などに比べると
脱出はかなり困難だったんじゃないかなあ…



真正面から。
エンジンはプロペラが胴体に接触しないギリギリの位置にあります。
パイロットの脱出を考えると、コクピットをプロペラ面から前には
出せないのが判るでしょう。

なんでこんなに胴体に密着してるの、
というと重量物は可能な限り回転軸の近くに置かないと、
運動するのにより大きな力が必要になり
性能が低下するからです。

ただでさえ重いエンジンを主翼に取り付けてしまった結果、
胴体を中心軸にして主翼をグルッと回すロール運動、
すなわち旋回に入る運動の性能は確実に落ちています。
このため可能な限り、その影響は最低限に抑える必要があり、
その結果が回転中心(胴体)近くにエンジンを置く、というこの配置です。

ついでにエンジンナセルを主脚の収納部にしてるのも、
当時の双発機ではよく見る構造です。

ジェットエンジンではこれが出来ないため、
ジェットエンジンをエンジンポッドに入れて主翼にぶら下げた
初期のジェット機は、その脚の収納に苦労してますね。



短足ジェットの名で必要以上に筆者に親しみを感じられてる
イギリスのグロスター ミーティア。

写真は戦後型ですが、主翼に収容する脚を、
エンジンポッドと胴体の間に収めねばならず、
よってこれ以上長い脚には出来ないのが判ると思います。
好き好んで短足なわけではないのです。



どんどん本題からズレてゆきます…

胴体内に双発エンジンを収めた、というよりは
胴体両脇にエンジンを貼り付けた、という感じですが、
それでも主翼にポッドでぶら下げない、
さらに胴体横に空気取入れ口を設けるなど、
実は10年以上時代を先取りしてる部分があったのが
この双発ジェット機、ベル P-59でした。
これなら主翼の脚の取り付けにあまり制約もなくなります。

まあ、それ以外の部分がいろいろアレなので、
失敗作であるのも事実ですが(笑)…



これは古い写真ですが、かつて可能だった後部からの撮影。
ごく普通の双発戦闘機(予定)という感じですね。

主翼の付け根に見えてる黒い帯は
コクピットに乗り込むとき滑らないようにする滑り止めのゴム。
尾輪式の姿勢の機体はかなりキツイ角度になってるので、
多くの機体にこういった滑り止めが付いてました。


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