機体前半部。この機体も枕頭鋲採用でして、リベット頭の出っ張りがありませぬ。1937年初飛行の機体だとすでにこれが標準だったんでしょう。
ただし、以後の写真を見てもらえば気がつくように、各点検用の扉部に取っ手が付いており、これが幾つか飛び出たままになっています。この辺りのツメの甘さがイタリアですかね…。



もう少しアップで。
先に少し触れた胴体横に見える青い円形ラウンデル、これが胴体側面用のモノで、ここに大きく書かれてるのが例のファスケースです。薪の束に斧が縛り付けられてるの、判りますかね。ただしこのラウンデル、かなり小さく、上空で視認できたとは思えないので一種の装飾なのか、それとももっと深い考えがあったのかよく判らないところです。

機首部上面から飛び出してる竹やりのようなのがブレダ社製12.7o機銃(Breda-SAFAT 12.7o)の銃身が入った筒部。銃身そのものではありませぬ。なぜか斜めに切り取られてますが、その理由は不明です。

ついでにその筒部の下の機首部にはスリット状の空気抜き穴があるんですが、ここにはエンジン、機銃といった高熱になるものは何も無いはずで、なんでこんな事をしてるのかよく判りませぬ。



今度は反対側から。
コクピット後ろの無線アンテナ支柱とそこから尾翼まで張られたアンテナ線が判ります。ただしMC.200は当初、無線を搭載してませんでした。こういったキャノピー(天蓋)無し型が生産されるころには搭載されるようになっていたのか、現地で改修されたものなのか、この辺りはよく判りませぬ。
コクピット右下で飛びだしてる筒状のモノは南方用の燃料冷却装置か、ジャイロコンパス用のバキュームポンプに使うものじゃないかと思うんですが詳細不明。これは後に水冷エンジン搭載のMc.202になった後にも残ってましたから、重要なものなのだと思いますが。

ついでにコクピット左右横、キャノピー(天蓋)の残存部分に水滴型の出っ張りが見えますが、これも謎。写真などで見る限り、中は空洞のようなので、飛行中にヒジでも置くのかとも思いましたが、それにしてはやや位置が高いような。イタリア機は謎だらけだ…。ちなみにこの水滴型の凸部があるパネルは搭乗時には乗り降りが楽になるよう、左右とも外側に開きます。

胴体横の青地に箒のエースという絵柄は部隊章で、第372飛行隊のもの。372と言う数字はその飛行隊名で、その5番機という事になります。博物館の解説によると鹵獲時の塗装を再現したものとの事。



脚回りなど。MC.200 は折りたたみ収納式の主脚を採用した最初のイタリア戦闘機なんですが、同時採用になったフィアットのG.50も引き込み脚なので同着一位、という感じでしょうか。

ついでに主翼下面の「州」の字のようなファスケースを見といてください。斧部が外向いてるの、判りますかね。

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