■宇宙往還機までの道のり

さて、アメリカの宇宙大好き集団NASAが行った有人宇宙飛行に関しては、
いくつかの時代区分がありました。

設立直後、人工衛星でも有人宇宙船でも
既に先行されてたソ連に対して追いつけ追い越せという事で
力技の連続となった1959〜60年代半ばのマーキューリー&ジュピター計画。

そこからケネディーの暴走で始まった
1972年までの人類の月進出計画、すなわちアポロ計画。
そしてその熱狂が去った後のスカイラブあたりまで。
(余談だがラブであってラヴではない。宇宙愛ではなく宇宙の研究所、略してSkylab)

そして、その次が本格的な人類の宇宙進出になるはずだった
スペースシャトルの時代でした。

その後の現在、2011年以降のNASAは有人宇宙飛行に関しては
無計画に近い無気力な時代に入ってるわけですが、
それは今回の話とは関係ないので触れませぬ。

今回の記事の目玉はその第4世代、スペースシャトルであり、
その中の軌道船(Orbiter)は主翼も尾翼もあるし、
かてて加えて空まで飛んるし、
そもそも人類が造った唯一の実用重力エンジン超音速機だ、という事で、
航空機愛好機関で取り上げてみよう、という話なのです。

が、その前にせっかくなので少し脱線しますよ。
…いつもの事ですよ。



人類が地球上の物体を大気圏の外まで到達させるのに初めて成功したのは、
おそらくこのドイツのV2ロケットによります
(人類不要なら巨大隕石の衝突、巨大な火山爆発などによって
大気圏外まで地球の岩石などが飛んでゆく事は何度もあったけども)

大きな放物線を描いて地平線の彼方まで飛んでゆく、
弾道ミサイル(Ballistic missile=BM)であるV2は、最大到達高度で80qを超えており、
さらに真上に上がるだけの垂直発射でなら地表から200q近くまで飛べたとされます。

確認された(計算上なのかレーダー探知なのかわからないが)高度記録では
1944年6月のテストで174.6qまで上昇した、とされてます。
これは現在NASAが規定している地球大気圏高度、100q前後を軽く超えており、
世界最初の弾道ミサイルであるV2は、世界最初の宇宙ロケットでもあったのです。

ただし、あくまで上まで行っだだけ、後は落下しただけであり、
地球周回軌道には乗ってませんから、とりあえず宇宙まで到達しておしまいでした。
まあ、それでもすごいですけどね、ドイツの技術力。

そんなナチスドイツのチョー秘密兵器の代表格、V2ミサイルを生み出したのが
あのヴァンヘー・フォン・ブラウン(Wernher von Braun)率いる開発陣でした。
このブラウンが終戦時にアメリカ軍に投降、
本人の意思もあってアメリカで宇宙ロケットの開発を続け、
やがてアポロ計画で人類を月に送り込むことになるのです。

でもってブラウンはロケットのために悪魔に魂を売った、
というような部分もある人でした。
ドイツでナチスと手を組み、それがだめだとなると、
あっさりアメリカに自らを売り込んで、戦後はアポロ計画まで突っ走ります。

当初、彼はナチ党員でもあり、さらには悪名高き
ヒムラー率いる親衛隊(SS)の士官ですらありました。
判りにくいですが、親衛隊(SS)はナチス党の私設軍であり、国軍ではありません。
ゆえにナチスの一部であり国軍とは常に一定の対立関係にありました。
まあ、ここの辺りはヒムラーの権力闘争手段、という面もあるんですが、
ここではあまり深入りしないで置きます。

ブラウンのこういった政治的な行動もロケット開発の金を引き出すため、
国からその資金援助を得るための手段だった、ともされます。
V2ロケットに関してはドイツ陸軍と親衛隊(SS)が
その管轄をめぐって奪い合いをやってましたから
SSに入った、という事はブラウンはその方が得だと判断した
という事でもあるでしょうね。
(本人は半ば強制的に入れられたのだ、とアメリカに渡った後で証言してるが…)

その彼がV2の開発を行った陸軍の研究開発施設は
旧ポーランド国境近くのペーネミュンデ(Peenemünde)にありました。
これはドイツ国内でもかなり東側で、当然、大戦末期にソ連軍がワーッと怒涛の如く
東から押し寄せてきたときに、真っ先に狙わる位置にありました。
ところがソ連軍はなぜかここを無視して進撃してしまったため(笑)、
終戦直前、1945年の5月に入るまでドイツ側の手に残ったのです。
海沿いのため、ベルリン到達最短ルートから外れてたからでしょうかね。

この結果、妙に宙に浮いてしまったブラウンとその研究チームでしたが、
やがて1945年4月ごろ、ソ連軍の接近が報告され始めます。
ドイツ側の研究者にはソ連に捕まったら一生収容所、
という恐怖がありますから、ここで彼らは研究所からの脱出を決意しました。

ちなみにこの段階で、研究所の持ち主であるドイツ陸軍からは
一兵卒として研究者全員そこで戦えという指令が届き、
一方、ブラウンが所属していたSSからは
そこを脱出して、アルプス方面のSS部隊に合流せよ、という命令が届きます。

一見するとSSの命令の方がお得ですが、
実は最高機密を知るロケット開発者をアルプス基地に軟禁、
万が一、連合軍の手に落ちるようなら皆殺し、という計画でした。

ブラウンはこれを見抜いており、とりあえず、SSの脱出命令を盾に
ペーネミュンデを抜け出し、その後はアメリカ軍に合流すべく西に向かいます。
その脱出行中、巡り合ったアメリカ兵に、
あの有名なV2ロケット開発チームが皆さんに投降したいと考えてますぜ、お買い得ですよ
と伝え(一部意訳)、この結果、見事にアメリカ軍に保護されています。

この時、本来ならSSによってアルプス基地に向かわされてたはずなんですが、
一説にはヒムラーの命令書を偽造、それを使って逃げ切ったという話も。
あの人、良くも悪くもただの学者先生ではないんですよ。
ここら辺りの一連の行動はちょっとした戦争映画並みのスリルに満ちてます。

さて、よく言われてるように戦後のアメリカのロケット開発を担って行くのが
このドイツからやって来てたブラウンとその仲間たちとなります。
ただし、彼らは最初からアメリカの宇宙開発を牛耳ってたわけではありませぬ。
当初は海軍の支援を受けたアメリカ国産核弾道ミサイルチームに対し、
陸軍の核弾道ミサイルを担当していたのがブラウンたち、という状況でした。

その開発中に人類初の人工衛星、スプートニクをソ連が打ち上げてしまいます。
そこで急遽、これに対抗するため、アメリカも人工衛星打ち上げを計画するのですが、
当然、宇宙ロケットなんて持って無く、海軍、陸軍、それぞれが開発中の
核弾道ミサイル(BM)を宇宙ロケットに改造して使用する事になります。
大気圏外まで飛んで行ってから落下する長距離弾道ミサイルは、
その先頭部に人工衛星を載せれば、そのまま宇宙ロケットにもなったからです。
(実はこの点はソ連も同じで、連中の最初のロケットは核弾道ミサイルとして開発されてたもの)

まず1957年の12月に海軍の弾道ミサイルから改造された
ヴァンガードロケットが打ち上げを行うものの、あっさり失敗、
全国民注目の中での失敗だったため、海軍はその面目を失います。

が、その1か月後、1958年1月にブラウンたちの開発した陸軍の弾道ミサイルである
レッドストーン から開発された宇宙ロケット、ジュノー1で、打ち上げが成功します。
これによってアメリカ初の人工衛星、エクスプロラー1は地球の周回軌道に載り、
以後、アメリカの宇宙開発はブラウンたちのチームが牛耳って行く事になるのです。
(この段階ではまだNASAは存在せず、アメリカ初の人工衛星は、
その打ち上げも管理も、陸軍が行っていたことは興味深い)

もし海軍のヴァンガード ロケットが先に成功していたら、
アメリカの宇宙開発の歴史は、おそらく全く異なるものになっていた可能性があり、
となるとアポロ計画が失敗してた可能性も低くない気がします。

スペースシャトル以降のNASAの巨大プロジェクトの迷走ぶりを見ると、
ブラウンが統括していたアポロ計画までの奇跡のような計画遂行ぶりは、
彼が率いるドイツ人チームの力が大きかったと思われるからです。

ただし、戦後の世界のロケット開発は全てドイツの技術の模倣だ、というのは間違いで、
ソ連が手に入れられたのはブラウン脱出後の主流とは言えない技術者だけで、
しかもブラウンは手ぬかりなくその資料を隠ぺいしてしまっていたので、
結局、戦後のソ連はほぼ自力で宇宙ロケットを開発する事になります。

ついでに言うなら、アメリカ側は確かにほぼブラウンの技術によりますが、
そもそも多段式ロケットなんかはアメリカのゴダードがすでに開発してた技術ですし、
ブラウンたちとは別に、アメリカ人によるロケット開発も行われてましたから、
もしドイツ人が来なかったとしても、最終的にはロケットの開発には成功してたでしょう。
ただし、上で説明したような理由で、アポロ計画は失敗してたと思いますけどね。

余談ながら、そんなドイツ人技術者の一人に、意外な人物も混じってました。
メッサーシュミットのMe109とMe110、そしてV-1飛行爆弾の設計をしたローベルト・ルッサーです。
彼は後にアポロ計画に参加、そこで品質管理の大きな標準指標となる
ルッサーの法則を導入してます。



ドイツの主力戦闘機、Me109を設計したルッサーは、その後、メッサーシュミットとケンカ別れし、
V-1飛行爆弾の機体設計などをした後、戦後、アメリカに渡りました。
そこで海軍の研究に加わった後、あのアメリカ最強の頭脳が集まるジェット推進研究所に移籍してます。

後にジェット推進研究所がブラウン率いる宇宙開発チームに協力する事になり、
この結果、ルッサーもアポロ計画にも参加してるのですが、
それは設計者としてではなく、プロジェクト全体の進行管理のような立場だったようです。
ただし、後で見るルッサーの法則により、彼自身はあまりに複雑な月探査のための機器類に対し、
恐らく失敗に終わる、と見ていたと言われてます。

その後、ドイツに帰って再びメッサーシュミット社に復帰、F-104のライセンス生産などに関わったようです。
これだけ波乱万丈な人生を送った技術者も珍しいんじゃないでしょうか。




ついでにルッサーの法則も少し紹介して置くと、
「完成品の信頼度は、組み込まれた各部品の信頼度の相乗(かけ算の和)に影響される」
というものですね。あえて数式にするなら、

n個の部品で作られたシステム全体の信頼度=部品1の信頼度×部品2の信頼度×……部品nの信頼度

となります、
どういう意味かといえば、各部品の信頼度が完成品にあたえる影響を述べたもので、
各部品のわずかな信頼度の欠如でも、それが積もり積もって
全ての部品を組み込んだ最終製品では、えらいことになるぜ、というお話です。

例えば全ての部品の信頼度が99.5%、とか聞くと十分じゃん、と思ってしまいます。
が、通常の工業製品は多くの部品から成り立っている以上、
部品数100個なら100乗でその信頼度は60.6%と信頼性はかなり低くになってしまいますし、
部品数が1000個なら0.67%とそんなの危なくて使えるか、という製品になってしまいます。

よって最終的な製品の安全性を考えると、各部品にゆるされる欠陥、誤差は極めて小さいわけです。
アポロ計画をはじめとするNASAの基準として有名な99.9999%の信頼性、
100万分の1までパーツの欠陥を絞り込む、という数字は、
このルッサーの法則から導きだされた、最終的にロケットの安全性を確保できる数字です。
当然、これはパーツ単位の信頼性の話で、完成品のロケット全体の信頼性が
99.9999%てわけではなかったりします。この点は結構勘違いされてますね。

ちなみにこの品質でも部品数が100なら信頼性は99%、1000なら90.5%、
10000なら36.8%となってしまい、膨大な部品の組み合わせとなるロケットなどでは、
かなりギリギリの数字なのです。
99.9999%の信頼性、とか聞くと驚いてしまいますが、
実際はそれでもギリギリの数字だったりします。

ただしこうなると、ネジ一本ごとの信頼性とか見てたら終わらないので、
ある程度まとまった機器ごと、エンジンノズル、エンジンの燃焼室、管制装置、燃料関係など、
全体を100程度の部位に分けた上で、それぞれの信頼度を99.9999まで持って行き、
あらためてそのすべての相乗を取るしかありません。

まあ、言うほど簡単ではないんですが、それは今回のお話とは関係ないので、
とりあえず、これ以上の深入りはしないで置きます。


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