■エンタープライズで試すのだ

さて、そんなわけで完成したエンタープライズ号ですが、
その後、飛行試験の聖地、カリフォルニア州のエドワード空軍基地に持ち込まれました。

ここで、しばらく各種地上試験を行った後、翌年1977年の2月に、
747の背中に積んで最初の飛行が行われ、8月にはそこから切り離して
単独の滑空飛行試験に入り、これを成功させてます。
これによって無動力による滑空で、高高度からキチンと目標針路に侵入、
そして無事に着陸まで行う事に成功、計画は大きく前進したわけです。



■Photo : NASA

これがスペースシャトル運搬搭載用に改造された747で、
シャトル運搬機(Shuttle Carrier Aircraft)の頭文字を取ってSCA、
あるいは747 SCA の名を持ちます。
ついでにこの滑空試験は着陸進入及び着陸試験
(Approach and Landing Tests/このApproachは着陸進入の意味)
の頭文字を取ってALTと呼ばれてました。

写真は搭載状態飛行試験の最終時のもので、シャトルの脚が出てるのは、
実際に切り離した後、ちゃんと脚が出るかをこの時、確認したため。
足回りの油圧装置は極めて貧弱で、本来は地上の整備工場でのみ使うものでした。
このため空気抵抗がある空中では、しまう事ができなったようです。
(進行方向に対して折りたたむ)

注目はスペースシャトル横、黒い機首部の直後の丸いハッチが開いてる点で、
ここから操縦席に乗り降りします。

……どうやって(笑)?
その答えが、右側に見えてるクレーンのような機械で、
この先のゴンドラにパイロットたちを乗せて、あそこまで持ち上げ、
帰還時には同じようにこれで地上まで降ろすのです。
なるほど、これじゃ緊急脱出用の射出型シートがないと、
何かあっても逃げようがないですね…。

手前に居るのは当然、そのパイロットたちで、青い服がシャトルの、
黄色い服が747SCAの関係者たち。
ちなみに、青い服のシャトルパイロットの内、向かって右側に居るのは、
フレッド・ヘイズ(Fred Haise)で、この人はあの奇跡の月旅行、
宇宙空間の大事故から無事生還したアポロ13号の乗組員の一人でした。



滑空試験中のエンタープライズ。
これは9月に行われた2回目の飛行時の撮影。
最終的に1977年中にエドワーズ空軍基地において
5回の滑空試験が行われました。

この試験で大きな問題は出なかったものの、
PIOが発生し、その対策が講じられることになります。
(PIOは操縦者の想定していたの違う反応を機体が示して、
ロール、ピッチなどの振動を引き起こす現象で、
おそらくフライバイワイアの調整不足だったと思われる)

よく見ると、尾部のロケットノズル部にイカの頭のようなカバーがついてますが、
これは後部のゴチャゴチャした部分から生じる乱気流を防ぐ整流用のカバー。

747の背中に積まれた状態で後部に乱流が生じると、
747の垂直尾翼がその中に入ってしまい、
舵が効かなくなる、という現象を防ぐための工夫で、本来なら不要な物。
ちなみにSCAの747はこれを避けるため、通常の垂直尾翼のほかに、
左右に小型の垂直尾翼が追加されてます。

なので、最後の2回の滑空試験ではこれを取り外して、
本来の状態(エンジンは実物大模型のダミーだが)で試験してます。
…この時の747SCAのパイロットはかなり怖かったと思いますよ。
当然、そういった事ができる一流どころが呼ばれて仕事してるのですけども。

なので、この尾部カバー(Tailcone)は747SCAにシャトルを搭載する時、
必ず取り付けられ、2011年に引退後、各地の博物館に
空輸された時にも、これが付けられてました。



■Photo : NASA

2012年の引退時に生き残った4機のスペースシャトル(エンタープライズを含む)は
各地の博物館に送り込まれる際に、アメリカの観光名所をデモ飛行して行きました。
写真はニューヨークに運び込まれたエンタープライズで、
尾部のカバーが在るのが見て取れます。
ついでに、SCAの747に小さな垂直尾翼が2枚追加されてるのも見て置いてください。

さて、話を戻します。
とりあえず1977年中に滑空試験は終了、78年からは模擬発射台に乗せての
各種テストに移行、ここで初めて外部燃料タンク、
ブースターロケットの取り付けが行われました。

これらの試験も78年中にはほぼ終了、その後は最初に書いたように
宇宙飛行可能な状態に改修される予定でしたが、
それが中止になってしまったわけです。
ちなみにこの決定はギリギリまで迷っていたようで、
計画中止になった段階で、既に1981年中の3回前後の
宇宙飛行計画が立てられてました。

この結果、完成からわずか3年後の1979年に
エンタープライズは早くも退役する事になり、
一度、ノースアメリカン・ロックウェウル社の工場に戻されてます。、
この時、コロンビア、チャレンジャーに一部のパーツが流用された、
という話なのですが、詳しい事は不明です。

最終的に1981年に再度NASAがこれを引き取って、ヨーロッパおよび
アメリカ全土で展示されるツアーに出された後(1983〜85年)、
1985年にはスミソニアン協会の航空宇宙博物館に寄贈されてしまいます。

ただし、スミソニアンもこんな巨大な機体の展示場所が無く、
2003年の12月に航空宇宙博物館の別館、ウドヴァー・ハジーセンターが
開館するまで、倉庫に眠ったままでした。
さらに現在はニューヨークに展示場所が変わってるのは既に書いた通りです。


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