■完成型としてのD型

でもってD型の途中 (P-51D-20番台 1944年10月ごろ生産開始分) からは
5インチロケット弾(HVAR)の装備も可能となっており、片側5発、計10発の搭載が可能でした。
(生産段階で小規模な変更が在った場合、P-51D-5、D-10といった型番が付く。
20番台は5、10、15に次ぐ、四つ目の生産型版)

この点は20番台の社内形式が取得された1943年5月の段階で、すでに戦争の大勢は決着が付いていて、
爆撃機の護衛だけではなく、改めて対地攻撃任務にも投入される事になった…わけではなく、
おそらく話は逆で、この段階(B型の生産開始時)だと、従来のまま対地攻撃任務が主になる、
といった可能性が捨てきれず、それに合わせて開発されたものだと思われます。
実際、当初20番台のD型は400機しか発注されてないので、保険的な意味合いがあったように見えます。

ちなみに、多くの資料では20番台以降のP-51D型はロケット弾発射装置が搭載された、とされますが、
ノースアメリカン社の資料(Airframe contract record)には20番台以降の型番が無いのです(笑)。
20番台を最後に型番が消えてしまっており、以後は無印の単なるP-51Dとなってます。
一部の資料には25、30番台のP-51Dがあったような記述が見られますが、
その根拠が何なのか、私には確認できませんでした。

この辺り、朝鮮戦争の時かき集められたP-51(F-51)は
ほぼ全てこのロケット弾発射装置を付けてますから、単純に20番台以降に発注された400機+5001機分は
全てこの装置を持っていた、と考えるべきなんでしょうかね。
(社内番号NA-122の4000機とNA-124の1001機。
おそらく前者がいわゆる25番台、後者が30番台だと思われるが、
先にも書いたようにノースアメリカン社の資料にその数字は無い)



こんな感じに主翼下面にロケット弾の固定レール(前部)&発射電源プラグ&後部フックが追加できます。
当然、シュムードの機体ですから(笑)、取り外しも可能で、
使わないときはキレイな主翼下面の状態に戻せます。

ただし朝鮮戦争あたりの機体から、写真のように5インチHVAR×3 と500ポンド爆弾懸架装置を
混載できる状態で、あらかじめ取り付けたままにした機体が増えてます。
(HVARを3発に減らせば500ポンド爆弾も1発搭載出来た。凄まじい攻撃力と言っていい)
もはや地上攻撃が主で、空戦やらないんだから、
そこまで空気抵抗を気にしなくていい、という事でしょうかね。

ちなみに写真は朝鮮戦争時代の懸架装置で、第二次大戦時のものとは形状が異なりますから注意。
参考までに前方にあるのがロケット弾の固定レール、
後ろ側にあるのが尾部の固定用具と発射電源のプラグです。

ついでに主翼内側、写真で奥に見えてる爆弾懸架部には
増加燃料タンクも搭載出来たのですが、
その場合、懸架装置を増加燃料タンク用に取り換える必要があります。

でもって、同じくP-51D-20番台の機体から搭載されたものに、K-14ジャイロ式照準器がありました。


This is photograph FRE 3191from the collections of the Imperial War Museums

これですね。
反射ガラス板が横長で、そこへのレティクル(照準円環)投射レンズが二つあるのがK-14の特徴でした。
片方がジャイロ鏡からの反射を受けます。
なのでジャイロとなる鏡も内蔵してるので、従来のN-9照準器より、かなり大型になってます。

意外な気もしますが、射撃照準器に関しては、アメリカは完全な後進国で、
第二次大戦参戦の段階では、ドイツ、イギリスに比べ、かなりお粗末な装置しか持ってませんでした。
下手をすると、日本とどっこいどっこいだったかもしれません。
このため多くの機体で、イギリスの照準器のライセンス生産型を使っていたのです。
ボンバーマフィアが牛耳っていたアメリカ陸軍航空軍では(そもそも最高指揮官のアーノルドがその代表者だ)、
戦闘機の開発はかなり軽視されてましたから、その影響でしょう。
この最新式のジャイロサイト、K-14も実はイギリスからのライセンス生産ですから、
最後までアメリカはイギリスに追いつけなかった、という事になります。

ジャイロサイトというのは、文字通り、内部にジャイロ装置を持ち、
それによって目標の未来位置を正確に予測して、
その予測位置を反射ガラス面に投影するものです。
パイロットは黙ってその指示された位置に弾を撃てばいい、という事になります。

この辺りを厳密に説明すると、連載一回が潰れますから、簡単に言ってしまうと(手抜き)、
通常の空中戦ででは必ず目標の未来位置に弾丸を送り込まなくてはいけません。
まあ、真後ろから直線飛行してる間抜けな敵を撃ち落とすなら話は別ですが、
通常、そんな敵はまず居ません。

旋回して逃げる、ダイブに入る、さらにそこからズーム(急上昇)に転ずる、といった激しい機動を行ってきます。
この時、高速で飛んでる目標の戦闘機は、撃った弾丸が到達するまでの数秒間でもかなり移動してしまうため、
現在見えてる位置に対して弾を撃っても、それが到達する頃にはすでに敵機はそこに居ません。
つまり絶対に命中しません。
なので弾が届くまでの数秒後の未来位置、例えば旋回中なら、今見えてる機体の位置ではなく、
その鼻づらの先目掛けて弾を撃ちこまないと命中はしないのです。

が、どれだけの距離を動くのか、は角速度、旋回角度、急降下角度などによって
細かく変動するため、未来位置を予測するのは、相当なベテランか、天才で無いと極めて困難です。
あるいは時間差がほとんどなく弾が届く肉薄射撃、という手もありますがそれも難しいでしょう。
エースパイロットの多くが不意打ち、一撃離脱を推奨してるのは、
動かない敵なら、この困難を回避できるからです。
つまり、直線方向の単純な未来予測で命中させられます。

で、ジャイロサイトは、搭載されてるレティクル投射用の鏡をジャイロとして回転させてます。
これはジャイロ効果、回転する物体はその姿勢を維持しようとする、という特性を得るためで、
ここから従来の姿勢から現在はどれだけ傾き、そしてどれだけの角速度で移動してるのか、を割り出します。
その数字が判り、目標までの距離が判れば、未来位置は計算で出ます。
これを予め計算で求めて置き、その予測位置に対し反射ガラスの上にレティクル(円環)を投射するよう
この照準器を調整して置くわけです。
後はパイロットが黙ってそこに弾を撃ち込めば、難しい事は何も考えずに撃墜達成、となります。
(ただし距離は見えてる機体の大きさから割り出すので、必ず敵の機体サイズの情報が必要となる。
朝鮮戦争のF86あたりからは、この距離の測定に早くもレーダーが使われ始める事になるが)

つまり、難しい事を考えなくても、経験が浅くても、
その言われたとおりに撃てば当たる、という夢の照準装置です。
これによって大幅に撃墜数が増えた、とされますが、残念ながら、具体的な資料がありませぬ。
ついでにジャイロサイトは、ドイツも大戦中に実用化まで漕ぎつけてました。
…日本?日本ですか。…ありましたね、そんな国も…。


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