■境界層から乱流へ


ここで、まずは境界層の確認からやっておきましょう。



物体に沿って流体が流れる場合、物体の表面、流れの最下層には
摩擦によって完全に静止する極めて薄い層、静止層が必ずできます。
これは層というより膜に近いのですが、とにかく文字通り完全停止してる部分で、速度0です。

この静止層が持つ、粘性(摩擦)抵抗は、せん断応力として
その上の層を引っ張って足止めし流れの速度を低下させる働きをします。迷惑ですね。
その影響を受け、減速した流れの層を境界層と呼びます。

ただし上部の流れは粘性抵抗の影響が徐々に小さくなる上に
通常流れの層に引っ張られるため、少しずつ高速化します。
よって境界層の中では速度ごとに層状の流れとなり、これを「層流」と呼びます。層流翼の層流ですね。

この層流の境界層なら、速度低下によって時間あたりの吸気量が減る、という程度であり、
物体表面から数cm程度の厚さなので、空気取り入れ口を少し持ち上げた形で設置してやれば問題解決でした。

ところがこの層流は長距離を移動するとどんどんエネルギーを失い、最後はまともに流れなくなってしまいます。
そしてこれは高速化する事でも発生しやすくなるのです。
そうなると層流は乱流に遷移してしまい、以後、乱流境界層と呼ばれるやっかいな層状の気流になります。
そしてこの乱流境界層はさらに進むと最後は機体から剝離して単なる乱流となって後方に流れてゆきます。

では、実際にこれらがP-51の冷却部にどう影響するのか。



以前にも紹介したP-51Bの量産1号機。というか、生産型の先行試作機の写真をもう一度。
ムスタングの胴体下の冷却用空気取り入れ口はかなり後部に位置してますから、
高速飛行時に機体表面を流れて来た境界層は、この位置に来るまでに乱流境界層になっていました。
さらにこれだけの距離を流れると、機体の剥離が始まっており、
こちらはこちらで乱流となって機体から出っ張った部分を直撃していました。

NACAの関係者の証言によると、空気取り入れ口のすぐ手前で、その境界層の剥離が起こっていたらしいのです。
では、どうするか。

余談ですが、このP-51Bの写真を見て、あれ?と思ったあなた、
ちょっと待ってね、後で説明するから(笑)。



従来のアリソンムスタングでは、単純に機体表面の境界層を避けるため、
1.5インチ(3.8p)だけ、空気取り入れ口を胴体から浮かしていたのでした。
ちなみにこの数字は実験で求めたものでは無いようなので、
おそらく勘(笑)と従来のイギリス機のデータ辺りに基づいたものです。

そして過給機の中間冷却器も無かったので、全体の高さは低めでした。
でもって、誰も気が付いて無かったのですが、実はこのくらいの高さが、
この直前で発生してる乱流を避けれるギリギリの高さだったのです。
このため乱流による振動発生をうまく避けれたのですが、それは単に偶然にすぎません。

そして開口部が小さかった事、中央部が僅かに下に押し下げられる形だったことで、
機体表面の乱流境界層もある程度まで避けれていたのです。

…ひょっとして途中から取り入れ口の大きさを調整する可動部が消えたのって、
下に向けて可動部を開いたら乱流に巻き込まれて振動が発生したからじゃないの、
と今、思いつきましたが、残念ながら、あの辺りの資料は驚くほど残ってないのでよくわかりませぬ。



■Photo : NASA/NACA

でもって試作型XP-51Bマーリンムスタングではご覧のようにドカンと冷却部ダクトと空気取り入れ口を大型化たので、
まず盛大に機体表面の乱流境界層を吸い込むことになりました。

さらに下に向けて大きく突出させたため機体表面から剥離した乱流にモロに突っ込む形となってしまったのでした。
上下のダブルパンチだったわけです。

では対策を考えてみましょう。
まず胴体表面の乱流境界層を避け、なおかつ十分な気流の流入を確保するには、
機体表面から十分離れた位置に広い開口部を取り付ける必要がある。

一方で、開口部が下の乱流の中に入らないようにするため、そんなに下まで大きくは伸ばせない。
となると開口部をそれほど大きくすることも出来ない。
さあ、どうするか。



こうしたのです。

まず開口部を前方にに延長し、機体から剥離して乱流化する前の気流を取り入れられるようにしました。
次に従来より大きく胴体との隙間を取り、乱流境界層を避け、その上の通常流の気流を取り込めるようにしたのです。

そして、もう一つの変更がダクト開口部に加えられました。
空気取り入れ口を斜めに切り取る事で、必要な面積を維持したまま上下幅を狭くし、
機体から剥離した乱流に開口部が入る事を避けたのです。
(空気取り入れ口より後部は乱流内に残るが、ダクトの内部に乱流が入らなければ振動は起きなかった)

NACAの資料だと、これによって流速の遅い境界層付近の気流が先にダクト入り、
機体から遠い流速が速い気流が後から入るようになった結果、
ダクト内でキチンとした層流が維持されたとの事です。

こうして空気取り入れ口部分の振動問題は解決を見たのでした。



ちなみに、後にF-16の空気取り入れ口が、ほぼ同じような構造を採用してますから
このマーリンムスタングの設計がいかに先進的だったかが判るかと。

ただし、ほとんど知られてないし、そういった証言も資料も何も残ってませんが、
丁寧に残された写真をチェックして行くと、実はそう単純ではないらしいのだ、
という話も少ししましょうか(笑)。



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