■あなたの知らない北アメリカ人

さて、今回からムスタングをもう少し詳しく解説して行こうと思うんですが、
まずはそれを造ってしまったノースアメリカンという会社から見ておきましょう。
そしてあらかじめ宣言して置きますが、今回は大脱線回です(笑)。

直訳すれば北アメリカ人ことノースアメリカン社は
T-6テキサン、B-25ミッチェル、P-51ムスタング、そしてF86セイバーを
造った会社、という事くらいは近所のおばちゃんでも知ってると思われます。
が、それ以外にも戦後のノースアメリカン社は、高速の超音速機を得意とし、
そこから宇宙まで飛んで行ってしまう機体までこの会社は造ってました。
この辺りの戦後のノースアメリカン社の動きもちょっと見て置きます。

まず意外に知られてない気がしますが、
ノースアメリカン社は戦後は宇宙開発事業も行っており、
アポロ計画の司令船を造ったのは、この会社でした。
(月着陸船の方はグラマン社製)

さらにスペースシャトルの軌道船はロックウェル インターナショナル社製ですが、
実際は、合併吸収されていたノースアメリカンの関係者が
その設計に深く関わっていたと思われます。
ここの設計チームは、宇宙船でも極超音速航空機でも、
それなりのノウハウを持ってましたから。



この大気圏突入カプセルを含むアポロ司令船を造ったのも
ノースアメリカン社だったのでヤンス。
対して月着陸船はグラマン製なので、アポロ計画の宇宙船は
大戦期の陸海軍主力戦闘機メーカーの合作だった、ともいえます。



とにかく無茶苦茶な高速機、そして半宇宙船ともいえる
実験機、X-15もノースアメリカン社製ザンス。

ロックウェル・インターナショナル社に吸収合併された後、
スペースシャトル軌道船の設計に、
ここら辺りのノウハウはいろいろ役立ったと思われます。




世界初の実用超音速ジェット戦闘機F-100もノースアメリカン社製です。
この機体をきっかけに、ノースアメリカン社は、
超音速高速機を得意ジャンルの一つとして行きます。

そしてX-15からXB-70までのマッハ3を超えてくる極超音速実験機、
さらに以後の超音速機に決定的な影響与えた
A-5ヴィジランティなどもノースアメリカン社製です。

ついでながらF-100の段階ではエリアルール2号はもちろん、
単純に音速を超えるだけのエリアルール1号もまだ未発見だったため、
その音速突破は、文字通り力技でのごり押しでした。

そんなこともあってF-100は限りなく欠陥機に近く(涙)、
この点は後にボイドが戦闘教官時代にその一部を証明してます。
さらにムスタングの設計者、シュムードがその改修点を指摘しながら会社に受け入れられず、
(彼は直接の設計には関わってない)
その後、ノースアメリカン社を去る一因にもなって行きます。

もっともF-100からF-106まで続く全てのセンチュリーシリーズは
キチンとした理論的な裏付けも、明確な運用戦略も無しに夢と希望と予算(笑)だけで
作られた機体のオンパレードであり、特にF-100だけがダメだったんじゃないですが…。

カーチス・ルメイと戦略航空司令部(SAC)が空軍を牛耳ってた
1950年代から60年代初頭にかけ、連中は完全に狂ってましたからね。

ちなみに通常の超音速機は膨大な燃料消費と引き換えにエンジン出力を上げる
アフターバーナーを点火してる間のみ超音速が出せます。
このため、あっという間に燃料を使い果たしてしまうので、
超音速飛行できるの時間は極めて限られます。

なので超音速戦闘機と言っても、普段は音速以下で飛んでるわけで、
マッハ2出る機体の方が、マッハ1.2しか出ない機体より早く目的地に着けるとは限りません。
その辺りは最高速度では無く、巡航速度の優劣で決まります。

この辺りは超音速巡行が可能なF-22のような特殊例を別にすれば、
基本的にどの機体も同じです。

そんなノースアメリカン社の超高速機の中でも、
一部で人気なのが超音速爆撃の実験機、XB-70 ヴァルキリーでしょう。
せっかくなので、ちょっと脱線しますよ。ウハハハのハ。

 
■Phioto US Air force / US air force museum


なんかオモチャみたいな安っぽさが無くもないですが、
マッハ3でソ連を核爆撃してやろう、というルメイの悪夢ともいえる機体が
1964年9月に初飛行した、このXB-70 ヴァルキリーですね。
写真はアメリカ空軍博物館で保存されてる1号機。
ホントは垂直尾翼にNASAのロゴが入ってたんですが、展示に当たって消されてます(笑)。
(初期塗装に戻した、とも言えるが…)

このXB-70はマッハ3の巡航速度(!)で高度20000m(ジェット旅客機の倍の高度)を
一気に飛びぬけて、ソ連を核爆撃してやれ、というスゴイ発想の機体となってます。
まあ、実際にやってみたらそんな性能、無理だったんですけど(笑)…

さらに初飛行が行われた1964年9月の段階で
既にICBM、大陸間弾道核ミサイルが実用化されてしまい、
わざわざ飛行機でソ連まで爆弾を持って行く必要がなくなってしまいました。
よって、既に初飛行の段階で計画はキャンセルが決定されてたのです(涙)…。

なので本来はそこでオシマイ、だったのですが、たまたま当時、
SST(Supersonic transport/超音速輸送機関)の研究に入っていたNASAが
その実験研究に最適の機体として注目し、空軍と共同で各種飛行試験を行う事にしたのでした。
このため以後1969年まで5年近く、超音速旅客機に関するさまざまな試験がこの機体で行われてます。
(試験末期には空軍は機体運営の手助けだけで実験からは手を引き、NASAが主体となった)

そんな本来キャンセルされた計画の機体のはずなのに2機の実験機が造られました。
ただし1号機はそもそもマッハ2を超えるとまっすぐ飛ばなかった、
と言われてる(笑)問題児で、その解決のため2号機では製造途中で
主翼に上反角をつけたりしており
その結果、2機はかなり異なる構造を持つ機体となってます。

このため、当初の実験は唯一まともに飛べる(涙)2号機が行っていました。
が、1966年6月8日、エンジンメーカーであるゼネラル エレクトリック、すなわちGE社の要請で、
宣伝用写真の撮影飛行中、2号機は事故で墜落、失われてしまいます。


■Phioto US Air force / US air force museum

事故直前の写真。
宣伝用写真の撮影のためにGE社製のエンジンを積んでるアメリカの軍用機で
編隊飛行中の悲劇でした。
写真でXB-70の右翼下に見えてるF-104が、この後突然その右翼に接触、そのまま横転しながら
ヴァルキリーの垂直尾翼を破壊し、自らも発火しながら墜落してしまうのです。



■Phioto US Air force / US air force museum

事故直後の直後の写真。
右で回転しながら火だるまになってるのがF-104で、パイロットは死亡してます。
(この段階で機体は二つに分断されてた)
左に見えてるXB-70には既に垂直尾翼が1枚しか無くなってるのに注意。
残ってる右側の尾翼も上部が破損して失われてます。

よく見るとXB-70は主翼の端を下げており(この機能については後述)、
ここにF-104は引っかかってしまったらしいです。

この後、XB-70は機体の制御を失ってスピンに入り墜落、
2名のパイロットの内1名が死亡、もう1名が重傷を負いました。

悲劇的な事故でしたが、機体に致命的な欠陥があっての墜落ではないので、
NASAは残された1号機を2号機に近づけるような改造をして実験続行を決定、
その後も3年近く、超音速大型機による実験は続きます。

ただしいろいろと実力不足の機体でもあり、マッハ3での巡行を目指していたものの、
実際は一定時間以上その速度で飛ぶことはできませんでした。
NASAによるとXB-70の2機の総飛行時間は252時間38分となってますが、
この内、マッハ3を超えて飛んでいたのはわずか1時間48分だけだったとされます。
NASAが目指していた超音速輸送機関はそこまで高速では無かったので、
実験中、この点が問題になる事はあまり無かったようですが。

そんな過渡期的な機体なんですが、
とりあえず技術的にはいろいろ変なことをやってる機体で、
せっかくなので、少し見て置きましょうか。

まず機体のケツまでビヨーンと主翼が伸びてる無尾翼デルタなのに、
離着陸時には、主翼後端のエレボンを、
(無尾翼デルタ翼に採用されるエレべータ(昇降舵)とエルロン(補助翼)を合体させた装置)
フラップのように下げて揚力を稼いでます。

機体中央付近の重心点から見て、そんな後ろの位置で揚力を上げたら
当然、強烈に機首側を押し下げてしまい、その結果、
結婚20年目のダンナのように頭が上がられなくなってしまい、永遠に離陸できません。
さらに着離陸時には頭から地上に突っ込んでゆく事になり、普通は死にます。
じゃあどうするの、というと、長い機首部の先、コクピット後ろのカナード翼で
強制的に機首部を持ち上げ、これで解決してるのです。
(テコの原理で重心(支点)から遠くで力を掛けた方が小さい力で済むのでこの位置にある)
おそらく実際に空を飛んだ機体の中では、もっとも変な目的のカナード翼じゃないでしょうか。
(ソ連のTu-144が似たような事やってるが)

実際は飛行中のバランス取りにも使ってたようですが、
それでもただ飛ぶだけなら、必要は無かったように思えます。



■Phioto US Air force / US air force museum

これまたアメリカ空軍が夕撃旅団で使ってくださいと言わんばかりに撮影してくれた写真。
超高速飛行試験終了後、着陸態勢に入ったXB-70。

奥を飛んでるのはこれも無尾翼デルタの超音速爆撃機B-58ですが、
こちらは胴体後部がツライチで、着陸時でもフラップなんか降ろしてないのが判ります。
これが正しい無尾翼デルタの離着陸です(笑)。

ちなみになんでB-58が一緒に飛んでるの、というと、
超高速飛行中のXB-70の状態を観察する追尾機として
後を付いて行ける高速な機体がこれしか無かったからですね。

対して手前のXB-70は主翼後部のエレボンを、フラップのように下げてるのです。
これで離着陸時に必要な高い揚力を稼いでます。
このむちゃくちゃな技を可能にしてるのがコクピット後ろ、ダンボの耳のようなカナード翼でした。
重心点から遠く、そして軽い機首部に付いてるため、これで機首を強引に上へ持ち上げてるのです。
それでもご覧のように、カナード翼には翼面積の半分近い巨大なフラップが付いていおり、
いろいろムチャやってるのが見て取れると思います…。

ちなみに、このカナード翼は主翼からは大きく離れた位置にあるため、LERX代わり、
すなわちヨーロッパ製の戦闘機たち、ラファールやタイフーン、グリペンのカナード翼のように高迎角時に
ここで乱流を起こして主翼の揚力を稼ぐ、という構造にはなってません。
実際、当時の映像を見ても、ここの乱流は主翼から乖離した所を流れて行ってます。
(そもそも位置が上過ぎる)

この辺り、コンコルドのようにダブルデルタにして、主翼の前半で高迎え角時の揚力を稼げばいいのに、
と思ってしまいますが、1950年代から始まったこの機体の開発時には
まだそこら辺りの研究が完成されて無かったのかもしれません。

ついでに主翼後部のエレボンが細かく分割されてるのも見て置いてください。
これの理由はよくわかりませんが、おそらく揚力の配分を細かくやってたんじゃないかと。
この分割式エレボンは、鶴の羽のような印象があり、
この機体の美しさの一因となってるように思います。

さらについでに写真のXB-70は塗装がボロボロになってますが、
これは超音速飛行、おそらくマッハ3での飛行試験の結果、
衝撃波の背後熱によって塗料が焼けてしまったもの。
(当サイトの記事では何度も書いてるように大気摩擦が高熱の原因ではないのに注意)
いや、それって試験失敗でわ…?
高速飛行試験時の写真はあまり残ってないので、以後、改善されたのかは不明なんですが…。

ついでに主翼下面はそれほど焦げてないのに、その翼端部分だけ、妙に焦げてるのに注目。
これは後で見るように、高速飛行中はここを下に折り曲げて衝撃波をぶつけて反射させ、
主翼後部の揚力を維持する、という豪快な事をやってるためです。


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