■俺はベルト給弾で行くぜ

さて、ではA-36から始まる12.7o×2搭載のムスタングの給弾ベルトはどうなっていたのか。
どうして機銃の前後位置をズラさずに設置できたのかを見て行きましょう。

ムスタングでは機銃搭載部の主翼の奥行きがそれほど無いので、
2丁をズラして搭載する空間的な余裕はありませんでした。
それをやれば、確実に1丁は主翼の前に銃身が飛び出す事になります。
では、どうしたのか。


This is photograph FRE 2889 from the collections of theImperial War Museums


こうしたのです。
判りますかね、右側の弾倉に繋がる部分はキチンと上下二つに別れて平行する形なのですが、
そこから機関銃に繋がる給弾レール部が曲げられて、ほぼ同じ位置で給弾が可能としてます。
これを実現するために、給弾用のレールは上下で重なり合う立体構造とし、
この構造の結果、機銃の位置がほとんど前後にズレてないのがわかるでしょう。

立体給弾方式とでも言うべきやり方で、CADも無い時代に
よくまあこんな複雑なラインの立体造形を設計したものだと思います。
とりあえず、これによって機関銃をほぼ同じ位置で左右に並べて搭載できるようにし、
主翼の外に銃身が飛び出すのを防いだわけです。

ただし、この構造で普通に横から給弾すると今度はベルトの位置に合わせて
機銃に高低差を付けないとならず、どちらかの機関銃本体が
主翼上に飛び出してしまいます。それじゃ意味がない。

そこで機関銃を斜めに倒し、上側から給弾するようにしたわけです。
よってより低い位置で給弾を受ける画面右の銃(胴体から見て外側の銃)の方が、
やや強い角度で寝かしてあります。
この結果、給弾ベルトは右から来るのに、給弾は銃の左からする、
という妙な構造になってしまってました。

ついでながら写真は右翼のもので、左に見えてる丸いものは給油口のフタです。

ちなみに英語圏の資料では機関銃庫(Gun bay)の容量が小さく、高さが低かったから、
機銃を寝かせた、と説明されてることが多いですが、間違いです。
機関銃を積むだけなら、普通に直角に立てた状態でも入りますし、
実際、P-51Dでは直角に立てる形での搭載に変更されましたが、問題なく入ってます。
この斜め配置は、機関銃の銃身を外に出さないための工夫なのです。

ちなみに弾倉には片側630発ずつ、1門あたり315発の弾丸を積んでました。
この時期のM2なら1分で500〜600発は撃てますから、
およそ30秒前後で全弾撃ち尽くしてしまう計算ですね。
無駄弾は撃てんなあ、という所です。

さらに脱線するなら、搭載部の高さが足りないため機関砲を斜めにした例も確かにあり、
20o機関砲×2にした後のF-4Uの後期型がそれです。
ただしこれも厳密には給弾装置がはみ出してしまうので銃を斜めにしたもので、
銃本体だけなら、普通に搭載出来ていた可能性が高いです。
まあ少なくとも銃を斜めにする、という発想はノースアメリカン社のものだけでは無かったわけです。

でもって、事実上のムスタング最終進化形態、D型では、
機銃が一つ増えて、3門となりました。
A型の段階で、すでに火力の弱さは指摘されていたので、当然の進化です。
が、3門となると、この立体ひねり給弾ベルト(命名 夕撃旅団)は使えません。
3層となった給弾ベルトのレールの高さは主翼内に収まらず、上に飛び出してしまいます。
ではどうするか。



こうしたのです。写真はP-51D-5の操縦用マニュアルから。

判りますかね。機銃は3門あるのに、給弾ベルトの列は2列しかありません。
よく見れば一番左側(外側)の機関銃に繋がる給弾ベルトが見えないのです。
どうなってるの、というと給弾ベルトの弾倉の一部を二階建てにして、
一番外側の機銃には、その下の階の弾倉から給弾してます。
なので外側の2門(写真では左側の2門)は前後にズレないで、同じ場所で
上下2階建て構造の弾倉から給弾を受け、一番内側の一門だけが、
少し下がった位置で(というか本来の理想の位置)
もう一つの弾倉から給弾を受ける、という構造になってます。
この構造にしたためD型からは機関銃の斜め設置をやめ、
通常の垂直設置となってる点も、見て置いて下さい。

この結果、上(前)の段の弾倉は上下二つに区切られるため、ここには270発しか入らず、
対して、一番内側の機銃に給弾する下(後)弾の弾倉は
上下ともぶち抜きで使えたので、500発入っていました。
すなわちD型は270発までは片翼3門×2で、計6門分の強力な火力を持つのですが、
それを過ぎると、左右で1門ずつ、なんと計2門の12.7oのみ、
という貧弱な火力になってしまいます。
ただし、この点を問題視した報告や手記を見た事ないので、意外に何とかなったのか、
あるいは興奮してる空戦中は、そんなの気が付かなかったのか…。

でもって、ちょっとだけ補足を。
マーリンムスタングとなったB/C型では、空戦中、高いGを機体に掛けると、
給弾が停まってしまう、という事態が頻発し、現場ではちょっとした混乱が生じてました。
なんで?という点を理解するため、ここでもう一度、同じ写真を見て置きましょう。



機銃に繋がる給弾レール部はどちらも少し前後に曲がっており、ここに強い力がかかると、
給弾ベルトが詰まって停まってしまったのでした。
そして一度弾切れを起こした機銃は空中では再装填の手段がないため、
もはや弾があっても撃つことができない、という事態になってしまうわけです。

ただしこの問題は、同じような構造になってるA-36やP-51Aでは報告を見たことが無いので、
もしかしてB型になる時、何か変更があったのか、あるいは
まともな戦闘機とは言い難いA-36やP-51Aではそんな派手な機動をしなかったので、
問題が発覚しなかっただけなのか、この辺りはよく判りませぬ。

が、対策は意外に簡単でした。
詰まると言っても弾がゴチャゴチャになってしまうのではなく、
単に力が掛かって給弾レールの中を曲がり切れなくなっただけでした。
つまり装填用電気モーターをより強力なものにすればよく、
現地ではとりあえずB-26の胴体上銃座の12.7o機銃用に使われていた
給弾用モーターを補助装置として取り付け、十分な引き入れ力を確保して解決してます。
(booster としてるので、追加して取り付けたのだと思う)

ただしこの改善は生産工場では一切対応しておらず、現場での改造だけに終わってます。
このためB-26の配備数を超える機銃部のモーターの発注が行われ、
メーカーも軽いパニックになった、という話もあるようです。

この点を改善したのがD型の給弾部で、レールをあまり複雑に取り廻さないようにしています。

ここでもう一度、この写真を。





左側の二階建て給弾の二丁は直線的な単純な給弾となってるのが判ります。
対して一番内側の機銃はややカーブしながらの給弾となってるんですが、ここで注目なのが、給弾レール。
この写真だと判りにくいのですが、
少なくとも上の写真のB/C型のレールとは全く別物になってるのは見て取れるはず。

どうもこれガッチリ固定されたレールでは無く、ある程度、自由度を持って曲がるような構造に見えます。
先に見たF-4Uでも同じような構造のレールを使っており
この時期、アメリカ機では一斉にこのタイプが採用されたのか、と思うのですが、
この辺りは驚くほど資料が無いので、なんとも言えませぬ。
とりあえず、これも給弾ストップ対策の一つだと思われます。

ついでに、機関銃がD型から直立になったのは給弾ベルトの関係ですが、
この給弾トラブルの対策も兼ねていた、とされるので、
機銃の反対側から斜めに給弾する、というのは無理があったのかもしれまぬ。

といった辺りが、P-51における給弾事情です。
H型ではまたちょっと変わるのですが、解説するほどのものではないので、
ここではパスさせていただきます(手抜き)。

といった感じで今回はここまで。


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