■加速装置としてのラジエター

さて、最後に層流翼と並ぶムスタング伝説の一つ、ラジエター排気が
推進力を生んでいた、という話を見て置きましょう。
先に結論を書いてしまうと、予想外の結果になっております、この話…

さてシュムードによるとムスタング I の生産が始まった後、アメリカ陸軍との契約により、
機体の風洞データを取る事になり、このため風洞用の模型に、
電気モーターで回るプロペラを付けて試験場に持ち込みました。
(プロペラ後流の影響も含めて試験データを取るためと思われる)

ところが出て来たデータをどう検討しても、実際に飛んでるムスタング I より
低い速度でしか飛べないはずだ、という事になってしまったのだとか。

これを調べたのがノースアメリカン社の熱力学担当だった
ジョー・ビワ―(Joe Beerer)で、彼はやがて1935年にイギリスの航空技術研究機関、RAEの
技術者だったメアディス(Fredrick Meredith)が発見していた
メアディス効果(Meredith effect)の報告書にたどり着き、これが原因だ、とします。
それはラジエターの高温排気と細い排気口が推力を生み出している、という説でした。
そんな魔法のような事がなんで?というと、原理としては以下のようになります。
ここで先の図をもう一度。



先ほどは冷却までを見たわけですが、今度は冷却装置の後半部、
ラジエターを通過した熱い空気の排気を考えます。

メアディス効果では、まずラジエターによる加熱で大気の膨張が起き、
その膨張エネルギー(=圧力)で気流が押し出され加速される、としてます。
ちなみに後で見るように高度6000m辺りでなら、大体1.4倍まで膨張しますので、確かに力が生じてます。
もっとも水が水蒸気になる時のような約1800倍の膨張とかに比べると微々たるものですが…

さらに冷却とは逆、広いラジエターの設置空間から、狭い排気口を通じて気流が出て行くため、
吸気時とは逆にその流速は上がります。すなわち流れを押し出す力が生じてます。
(この場合も全圧、全エネルギーは一定で静圧が落ちて動圧が上がっただけなのに注意。
圧力とエネルギーが等価である流体力学ならではの保存現象)

このように加速された排気の噴流が機体から排出される時、
つまり外に押し出される時、機体はそれと反対方向の力を受けて押されます。
(作用反作用の法則)
これはロケットエンジンやジェットエンジンの推進原理と同じであり、
これが推力を生んでいる、というのがメアディス効果です。

ただし報告書の原文を読んでないので、ムスタング設計関係者の発言を元に
判断してますから、多少、本来の理論と異なる部分もあるかもしれません。
それでも流体力学的、熱力学的に、これ以外の説明は難しいですから、
基本的には間違っては無いはずです。

では具体的にどのくらいの推力が生じるの?というと、ムスタングの場合、
推力約300ポンド(約135sf)という数字が世の中に出回ってます。
ただし、この数字の出どころは、例の副社長、アトウッドらしいので、
その信憑性は微妙なのですが、少なくともノースアメリカン社の人間の証言ですから、
とりあえず、これを信用するとしましょう。
ちなみに単位はkgf、質量に重力加速度gを掛けたものですから、通常の力の単位に換算すると
135×9.8=1323N(=s m/ss) とかなりの大きさになります。
(1N(ニュートン)=1s m/ss 以下は判りやすいようにs m/ssで単位は統一)

この時代のプロペラ機の推力の計算は厄介なのですが、
同時代のジェット戦闘機、P-80が最大推力で約20400s m/ss、
Me262が8800×2で17600kg m/ssといったところですから、
P-51の最大推力はおそらく10000〜15000s m/ss くらいだったと思われます。
となると1323s m/ssは約10〜13%の出力向上ですから、影響力のある数字だと言っていいでしょう。

では、本当にそんな力が出たのか。
これを確認するためにメアディスの報告書を探してみたんですが、
少なくともネット上では見つからず。
なので、仕方ない、実際にそれだけの推力を得れるものかどうか、を検討してみましょう。

まず、どの程度の噴流の速度があれば1323s m/ssの推力が発生するかを考えます。
ちなみにこれは噴流が1323s m/ssの力を得るために必要な速度ですから、
機体の速度とは関係なく必要な速度となります。
機体が時速100qで飛んでようが、600qで飛んでいようが、
1323s m/ssの力を得るために必要な排気の速度です。

でもって流体の推力は、以下の式で求められますから、この式を変形すれば流速が出ます。
流体力学の基本単位、圧力ではなく、推力、純粋な力を求める式なのに注意。

1/2×質量(m)×流速(v)×流速(v)÷(流速/1秒)=1323s m/ss
(カッコ内のアルファベットは力学で通常使う略号)

判る人はすぐピンと来ると思いますが、流速の二乗までが
流体の運動エネルギーを求める式です。
その発生したエネルギーを1秒間に移動した距離で割れば
「力」すなわち推力になりますから、最後にそれを追加してます。
これは結局、一秒間に進んだ距離の事ですから式を単純にするため“L”としましょう。
(FL=E  =  F=E/L 1秒間の移動距離なのは1秒が力学における時間の基本単位だから)

1/2×質量×流速×流速÷L=1323sm/ss

では、この式で流速を求めるのに必要な要素、質量を求めてみましょう。
質量を求める式は密度×体積 でした。

まずは密度から考えましょう。
197度の高い沸点温度を持つエチレングリコールを利用したラジエターを通過した大気は
少なくとも100度以上まで上昇していると思われます。
問題はこの推力が得られる高度なんですが、エンジン最大出力時なら低高度、
最高速度を得てる時なら高高度、どっちだか判断がつかないので、
平均的な戦闘高度である6000mとしましょう。
この条件で100度前後の気体の大気密度は0.44 s/mmm程度まで下がっています。
(参考までに地表で気温20度の場合、約1.2kg/mmm)

次は流体の体積。
これは排気口の大きさ(面積)と流速(1秒間の移動距離)で決まりますから、
最初にムスタングの排気口の大きさを考えます。



写真はD型のラジエター出口フラップですが、一定高度以上の飛行中はここまで閉じてしまいます。
アリソンエンジンでもほぼ変わらないはずなので、これで計算しちゃいましょう。
ムスタングの機体幅はせいぜい80p、この隙間は10pあるかないかですから、その面積は最大でも

0.8m × 0.1m = 0.08u

となります。
でもって体積ですから、あとは奥行きの数字が必要です。
つまり1秒間にどれだけの長さの空気がここを通過するか、ですね。
速度が判らないので、この数字もわかりませんが、
気流が1秒間に進む距離ですから、最初の式で使った“L”と同じだ、という点に注目。
なので、ここでも同じ文字を使います。

となると計算に必要な1秒間に排気口を通過する気流の質量は、

質量(m)=0.44 s/mmm × 0.08 u ×L m

=0.0352L s


とりあえず、これを上の式の質量の部分に代入して、計算してみましょう。

1/2×質量×流速×流速÷L=1323s m/ss

= 1/2×0.0352L ×流速(v)×流速(v)÷L=1323s m/ss

= 0.0176kg/m× 流速 × 流速=1323s m/ss

= 流速 × 流速 =75170 mm/ss

= 流速 =√
75170  mm/ss

= 流速 = 約274.2 m/s

割り算によって長さ“L”が消えてしまったので、極めて単純な計算となりました。
単位もキチンと速度の次元になってるのを見て置いて下さい。
でもってこれは秒速ですから、3.6倍して(36000秒分)時速にすると987q/hとなります。

………いや、音速一歩手前ですよ。どうでしょうか、それ。
と思ってしまうところですが、その点を確認するために、ここで連続の式を使って、
ムスタングの絞り込まれたラジエター排気口で、実際にどれだけの加速があるか、を考えて見ます。
つまりラジエター直後の広い空間から、狭い排気口までの加速を調べます。
連続の式は

密度×流速×通過する断面積=一定

でしたね。
問題はラジエター後部の表面積ですが、目視でほぼ正方形なので0.8×0.8=0.64uとしてしまいましょう。
この辺りは、あくまで大雑把な目安、として見てください。
ここでラジエター背面での流速が不明ですが、自動車と同じなら
だいたい機体速度の20〜35%となります。
なので680q/h 前後の最高速付近で飛んでる場合を考えると、
130q/h〜227.5q/h前後の流速がラジエターを抜けて来た後、あるはずです。
ただし自動車のラジエターに比べてムスタングのラジエターは倍以上の厚さ(通過距離)があるので、
ここでは最低値に近い値、秒速35m、時速126qまで気流は通過後に減速するとしておきます。
密度は既に見た0.44 kg/mmmですから、

0.44 kg/mmm × 35m/s × 0.64u = 9.856kg/s

最後の一定値の単位が妙な次元ですが(湧き出し量)、ここではそこまで深く考えず、
この数字が維持されるのだ、という点だけを考えます。
つまり、密度や通過面積が変れば、速度がそれに合わせて変化して、
この9.856という数字を維持します。

この気流が流れ着く排気口は絞り込まれてる、つまり通過する断面積が小さくなってますから、
上の式によれば、速度は速くなるはずです。
この部分の面積は、推定で約0.08uでしたね。
これを上の式に当てはめると、排気口における噴流速度が判ります。

0.44 kg/mmm × ? m/s × 0.08 mm = 9.856 kg/s

  約 280m/s  = 9.856 ÷ 0.44 ÷0.08

流速は280m/s まで加速される、という事になります。
すなわち時速1008 q/h。思わぬ高速です。

先に見た1323kgm/ss の出力に必要な速度は247.2m/sでしたから、
あれれれれ、意外にいい感じの数字になってしまってますね(笑)。
どうも、この数字を見る限り、メアディス効果はある、と考えざるを得ません。
えー、そうなの、と思いますが(笑)…

ただし最初に断ったように、これはあくまで目安の数字を使った計算ですから、
いくつかの数字、ラジエータの通過速度や表面積が変れば、数字は変わります。
さらに実際は排気口の外、高度6000mの空はマイナス20度以下の世界ですから、
排気口に近い排気は冷やされて密度が上がるはずです。
このため、そこまでの速度は出ないと思われますが、それでも近似した数字にはなるでしょう。
となると、どうもメアディス効果はある、と考えざるを得ません。

ただし、これは最高速度に近い速度、680q/h前後で飛行中の話なのに注意してください。
速度が落ちれば、ラジエター通過後の気流速度もどんどん落ちてゆくので、この数字も小さくなります。
最終的な噴出速度はラジエター通過後の速度に正比例しますから、
飛行速度が半分になれば、噴流の流速も半分になります。
そこから推力を求める場合は、速度は二乗で効いて来ますから、速度が半分になれば、
得られる推力は約1/4近くまで低下してしまいます。

例えば飛行速度が360q/h、すなわち秒速100mまで低下した場合、
今回の計算条件だと、推力は176s m/ss とプロペラ推力の1.1〜1.7%前後まで一気に低下してしまい、
さすがにこれではほとんど機体の推力に貢献してない、という事になります。
メアディス効果を得るには、一定の飛行速度が必要で、それも比較的高速である、という事です。

ついでに、ここまではラジエターの熱による膨張力を考えてません。
今回の計算条件だと外気に比べてラジエター通過後の体積は1.4倍に膨らんでおり、
これが狭い排気口に向けて一定の力を加えてるはずですが、
それが無くても効果が確認できてしまったので、今回はこれはパスします(手抜き)。

また、一番注意が居るのは、ラジエター後部で推力が生じてるのは事実ですが、
同時にラジエターは大きな空気抵抗源になっており、その損得勘定を考えないといけない、という点です。
ラジエターの抵抗力の大きさははっきりしませんが、エネルギー保存の原則から、
ラジエター排気の効率化で得た力より小さいとは考えられません。

この高速排気で生じる力は、ラジエターで生じる抵抗よりは小さいはずであり、
よって機体に新たな推力を与える、というほどの大きさのものでは無く、
生じた抵抗値の損失を補てんするに過ぎない、という事です。
(これはラジエターの熱を考量に入れても極めて小さいの同じ事になる)

つまり、高速排気によって選られる機体の高速化は、機体の推力が増えたのではなく、
抵抗値が相殺されて小さくなった結果、と考えるのが事実に近いでしょう。

といった、感じで結論を書くと以下の通りです。

■ラジエター排気の高速化による機体速度の上昇はあると見ていいようだ。

■ただし効果があるのは高速時飛行時に限られる。
高度6000mという戦闘機の主戦場の高度では
時速400qでも550s m/ss程度の推力しか出ない。
これはプロペラ推力の3〜5%だと思われるので、この辺りが下限だと思われる。
ただし、先にも書いたようにいくつかの数値は推測なので、
もしかしたら、もう少し低い速度からでも効果はあるかもしれない。

■その効果はラジエターによる空気抵抗の損失を補うものに過ぎない。
つまりただのラジエターなら100の抵抗になっていたのを80に減らす、といった効果に過ぎない。
ラジエターで生じる抵抗値を上回る推力を出す、つまり新たな推力を付け加えるわけではない。


という感じでしょうか。
とりあえず、計算が間違ってなければ、速度、高度に関する一定の条件が揃えば、
メアディス効果は存在する、という予想外(笑)の結論となりました。

ただし今回の計算はゼロから全部、自力でやってるので、どこかに見落とし、
計算違いがある可能性も残ります。
もし何か発見したら掲示板等でご連絡願います。



はい、今回はここまで。


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