■アリソンエンジンはアメリカ国産100%です


すでにP-51 H 型の量産が始まった後に初飛行したXP-51Jは、
従来のマーリンエンジンの代わりに、アリソンが開発した2段過給機付きエンジン、
V1710-119を搭載、その試験飛行用に造られたものでした。

ただし、このエンジンそのものがまだまだ試作段階で
そもそも5基しか造られなかったとされています。
すなわちアリソンエンジンのテストにノースアメリカン社が
巻き込まれた、という面があり、実際、その開発はトラブルの嵐だったようです。

このP-51Jが陸軍から正式に発注されたのが1944年の6月30日で、
実はこれ双胴のP-82ツインムスタングの最初の量産型、戦中型の
マーリンエンジン搭載P-82B(終戦により大半がキャンセルになるが)、
そしてP-51Hの量産発注と同じ日で、この段階ではまだアメリカも
しばらく戦争が続く、と思っていたのかもしれません。

ちなみにアリソンもゼネラルモーターズ(GM)の関連会社、
というかその一部門でした。
つまり、シボレーやキャデラックと同じ、GMの持つブランドというか、
部局(Division)でありアリソン部局(Allison Division)なのです。
ここら辺り日本人にはイマイチ判りにくいのですが、
部局というのはトヨタにおけるレクサスみたいなもので、
同じ会社内の製品において高級、安物の分類を明確にするために造られるブランドです。

まあ、アリソンはどう見てもブランドではないのですが、
ホンダのホンダジェットみたいなもの、トヨタがレクサスと並んでトヨタジェットという
ブランドを立ち上げた、と考えれば近いですかね。
なのでGMの子会社だったノースアメリカン社に対して、
アリソンは親会社の立場になります。

よってXP-51Jの開発はアリソンから開発に関して強い圧力を受けた、
という面もあったようです。
さらに1945年の段階でマーリンエンジンは1基あたり約6000ドル
という安くない金額をロールス ロイスに設計許諾料として支払っており、
アメリカ陸軍としても、国産エンジンで行けるなら国産で、と思ってたフシがあります。
これが後にP-82(F-82)の悲劇につながるんですが…。

ちなみにこの時代の6000ドルがどれだけベラボ―か、というと、
1945年の段階でP-51Dの価格が1機 50985ドルでしたから、
機体価格の約12%が単なるエンジン設計の許諾料で占められてる事になります。
ただし、後にP-82(F-82)では、この6000ドルをケチったために、
より壮大なお金の無駄遣いが展開される事になるんですがね…。

さて、ここでもう一度、進化系統図を。



とりあえずF型の機体を基にこのエンジンを積んだのがJ型、XP-51Jなんですが、
すでに試験が終わって倉庫で眠ってたXP-51Fを引っ張り出して来て改造したのか、
新たに造りなおしたのかはよくわかりませぬ。

で、完成状態がこの写真。
これ試作型軽量P-51の特徴である、ヤケにでかい
キャノピー(天蓋)がよくわかる写真にもなってます。
ついでにプロペラは4枚、武装はF型のまま12.7o×4門でした。



■Photo US Air force / US Airforce museum

この機体の最大の特徴は機首部で、エンジンの
過給機空気取り入れ口が消えてしまってます。
プロペラの上にも下にも、空気を取り込む穴が開いてないのです。

実はこの機体、胴体下の冷却ダクトの空気取り入れ口から
エンジン用の空気をも取り込むようにしており、
この結果、もっともスマートな機首を持つムスタングとなりました。

ただし、そのスマートさとは裏腹に、
まだ開発中のV1710-119エンジンを積んでいたため、
結果的にはムスタング史上、最大にダメダメ
という機体になってしまうのですが…

とりあえず2機が製造されたのですが、あまりにエンジン トラブルが多く、
ノースアメリカン社のテストパイロットによって
一号機が7回、二号機が2回飛行しただけで終わってしまいます。
そもそも戦時緊急出力でも最大1900hp程度であり、そこまで苦労して開発する
エンジンでもあるまい、という事で1946年2月に軍に引き渡された後は
そのまま計画中止になってしまったようです。
ただし、その内1機は後にP-82E(F-82E)ツインムスタング用の
アリソンエンジンのテスト機に使われてます。

でもって、このアリソンエンジンのトラブルは相当、強烈なものだったようで、
設計責任者のシュムードは、これでアリソンに相当、悪い印象を持ちます。
ところが、後にP-82ツインムスタングの戦後量産型(長距離戦闘型)で
再びアリソンエンジンのトラブルに巻き込まれる事になるのです。
このため、戦後型のP-82の開発中に次のような逸話が残ってます。

シュムードは戦中から古いラサール クーペに乗ってました。
(ラサールは進学校ではなくキャデラック系列のブランドで1941年に消滅)
終戦後も彼がこれに乗り続けてるのを見て、
周りが車の買い替えをしてはどうか、と勧めたそうな。

この時、同僚の一人が、当時GMの車に搭載され始めていたオートマチックギア、
いわゆる最新のオートマ車を彼に勧めたところ、
「ダメだね」の一言で却下されました。
なんで?と聞くと
「GMの技術者の判断でオレの車のエンジン操作まで行われるのはゴメンだ」
と彼は答えたそうな。

といった感じで、予想以上に長い話になりつつある
軽量化ムスタングの話、その2はここまで。

次回、ようやくP-82(F-82)、ツインムスタングの登場です。


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