■カーチスの影

さて、そんな感じに設計が始まったのですが、この段階、最初の仮契約の直後に
イギリス側の購入責任者、英仏購入評議会の“サー”スタン・ヘンリーから
ノースアメリカン社側で交渉にあたっていた副社長のアトウッドに対し一つの要請が出されました。

それは本来、カーチスのP-40を購入するために彼はアメリカに来たのであり、
それに代わって新開発の機体をノースアメリカン社に発注した、と本国に説明するに当たり、
P-40の各種データを利用している、とした方がやりやすい、
よってP-40の試験データをカーチスから手に入れてくれ、
という変わった要請を出したのです。

他所のメーカーの機体のデータを手に入れろってのも無茶な話ですが、
それを聞いたアトウッドはガッテんだ、とばかりに直ぐにカーチス社に向い、
速攻で掛け合ってその購入に成功しています。
この辺り、いくらあのカーチスでもそこまで人が良いとは思えないので、
イギリスのヘンリーが、あらかじめ段取りを取って置いてくれたのかもしれませぬ。

とりあえず1940年の5月1日、つまりムスタングの設計が開始された直後、
データ購入に成功した事を本社に手紙で伝えてますので、
おそらくその後数日中にはカリフォルニアのノースアメリカン社に
カーチスの試験データが送られたのだと思われます。

でもって、カーチスのよく判らないところは(笑)、すでに量産が始まっていたP-40の原型、
XP-40の風洞データ、各種試験データだけではなく、まだ開発中で、
原寸大模型くらいしかなかった新型機(ただし採用されずに終わる)、
例のXP-46のデータまでセットでノースアメリカン社の売ってしまった事でした。
まあ、本来ならこれもイギリスの購入候補でしたから、その関係でしょうかね。



このカーチスのP-40は元が空冷エンジンのP-36だけに設計は完全に時代遅れで、
今さら秘密にすることも無い、という事だったのでしょうかね。
ちなみにデータの販売価格は不明。
写真はP-40E(キティホーク)ですが、この新型P-40のデータも含まれていたのかはよく判らず。


■Photo US Air force / US Airforce museum

例によってアメリカ空軍の写真なので小さいですが、これが新型機XP-46。
P-40の特徴とも言えるアゴラジエターを止めて、腹の下にラジエターを移動してます。
(ただしどうもオイルクーラーはその前に見えてる別の空気取り入れ口を使ったらしい)

この腹の下のラジエター配置などが、後にP-51の設計に影響を与えた、とか言われてますし、
P-51があれだけ早く設計できたのは、P-40とXP-46の基本データがあったからだ、とも言われてます。

ただし、この話は極めて怪しいです。
ノースアメリカン社がデータを買ったのは事実ですが、
シュムード本人はP-40のデータに関しては私が調べた範囲では言及しておらず、
他のムスタングの設計者たちはこの点をほぼ否定しています。
例の設計準備課によって、すでに基本設計は終わった後にデータが来たので、
その影響は全くなかった、としているのです。

この点について証言してる関係者は二名いるのですが
二人ともそのデータは使われてない、と断言しています。
一人は、計画担当技術者(Project engineer)であった
ゲルケンス(発音はジェルケンスかも/George Gehrkens)で、彼によればそもそも
そのデータが入った箱がカリフォルニアのノースアメリカン社に着いた後、
一度も開けられずに放って置かれたはずだ、誰も見もしなかった、との事。

もう一人は空力担当の責任者、エド ホーキー(Ed Horkey)で、
こちらはXP-46の風洞データだけは見たけど、結局P-40の焼き直しで、
見るべき点は無い、として自分たちでゼロからデータを取りなおした、との事。

でもって、カーチス社のデータを参照した、と証言してるのは、
どうもそれを買いに行ったアトウッド本人らしく、
この辺り、自分のやった事に対して高く評価した話、という部分があるような気もします。
ついでにアトウッドはシュムードとは微妙にウマが合わなかったようで、
後にアトウッドが社内の実権を握るようになってからシュムードはノースアメリカン社を去ります。

実際、先に見たような先に全体のフォルムの決定があり、のP-51では、
後から出て来たデータを利用するのも、設計を参考にするのも困難と思われます。
すでに4月の初めから設計を始めていたと思われる機体に、
5月に入ってから出て来たデータがどれだけ役に立ったかはやはり疑問でしょう。

といった感じで今回はここまで。
次回はムスタングの特徴とも言える、主翼とラジエターの設計の話でございます。


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