■それは滑らかな戦闘機で

P-51は当時としては最先端の空力的な設計、
すなわち可能な限り空力抵抗値を低くした設計となっています。
この点はNACAの協力による部分が大きいのですが、
シュムードによる初期設計も、これを強く意識しており、その効果は大きいものがありました。

ムスタングの開発に当たってシュムードが最もこだわったのが
機体周囲の気流の流速を可能な限り均等にする、という事だったとされます。
それは余計な乱流を生じさせず抵抗値を減らす、という事ですから、
機体表面を滑らかにして凹凸を取り、
角ばった部分を造らず、面と面は曲線で繋ぐ構造にする必要があります。

角ばった部分を造らないのが気流の剥離と渦の発生を防ぎ、機体速度の向上につながる、
というのは少なくとも1930年代には既に常識になっており、
1933年初飛行の画期的な高速機、He-70はこのルールを採用してました。
(社長だったハインケルの証言による)

そこに滑らかな機体表面、という条件を付けくわえたのがシュムードで、
このため、ぺらぺらの薄い外板によって機体表面に凸凹を生じないよう、
ムスタングの外板の厚さは最も薄い部分でも0.04インチ(約1.02o)までと、
他の機体に比べ、しっかりした厚みのものになってます。
(構造設計担当のシュライヒャー(Schleicher)の証言による)

せっかくなのでちょっと脱線。
機体外板の厚みの情報というのは意外に少なく、
アメリカで大戦機のレストアをやってる人が航空機関係のネット上掲示板で
この機体のこの部分の外板の厚さ、知ってる人いる?的な質問をしてたりします。
そして私の知る限り、この手の質問にキチンとした回答が付かないことも珍しくないのです。
(本来なら整備マニュアルにある程度の情報はあるはずだが)
まあ、レストアによる機体は、こういった面からも、あくまで参考用であり、観賞用であり、
実機の資料としての価値は、いろいろ微妙なんですよ(笑)。

私が現存機の来歴にこだわる理由の一つがこの辺りです。
見て楽しむ、雰囲気を楽しむ、という点ではレストア機でも十分ですけども、
それ以上の情報を求めるのは、無理があるし、無意味です。

ちなみに同じノースアメリカン社のT-6 テキサンだと
0.04インチの厚外板を使ってるのは強度が要る尾翼周りと主翼前縁周辺くらいのもので、
あとは0.032インチ(0.81o)板が多く、場所によっては0.025インチ(0.64o)まで薄くしています。

P-40でも一部に0.0.25インチまでの薄い外板を使ってたはずなので、
P-51はかなり厚めの外板を、機体全体に使っていた事になります。
ただしP-51と同じく新世代機であるP-47の外板情報を私は持ってないので、
これがP-51の特徴なのか、世代の問題なのかはわかりませぬが…。

とりあえず、この厚めの外板の結果、機体全体が凸凹の無い滑らかな表面となり、
さらに機体の構造強度も上がったのでした。
その代わり、以前に見たように、重量が重くなってしまったわけですが…。
ちなみに後の軽量型ムスタングで、この外板を薄くしたかどうかは確認できず。
数字を見る限り、やってない気がしますが…。

ついでながら外板の厚さによって使えるリベットの種類も変わるそうで、
ここら辺りもレストア機では面倒な問題を含んでたりします。
ただし、そんなことまで脱線してられないので、
今回はそこには踏み込まず、先に進みましょう、はい。
(ちなみに外板の厚さと素材ごとに適した詳しいリベットの情報は
FAAがほぼ持ってるはずなんですが、サイトでは見つけられず)



胴体の縦と横の面、そして主翼への繋がりが、全て角ばってない、
滑らかな曲線で繋がれてるのがムスタングの構造です。
まあ、当時としては空力抵抗を抑えるための一般的な工夫ではあるんですが。

シュムードによると全て円錐の一部を切り取った曲面になるように工夫されてる、
との事ですが、外から見た限りでは、そこまではわかりませぬ。
とりあえず写真では分厚い外板によって、目立つような凸凹もシワもない
キレイな機体表面となってるのも見て取れるかと。

ちなみに、これによって主翼周りも滑らかな表面になっているのを
層流翼のための加工とする説明が多いですが、怪しいと思ってください(笑)。

層流翼についてはNACAとの絡みで後で少し詳しく見ますが(多分…)、
空力抵抗値を抑えた、すなわち小さな抵抗で飛べる主翼の翼型(翼断面型)の事で、
すなわち同じエンジン出力ならより高速で飛べる翼型だと思っておけば大丈夫。
正確には飛べるはずだった(笑)翼、という部分が大きいのですが…。
さらに本来これはクリティカル翼などと同じ、高速域で造波抵抗を減らす翼型なんですが、
その辺りの層流翼に関する詳しい話は、NACAとムスタング編でまたやります(多分…)。

で、ムスタングの主翼表面の滑らかさ関しては、
単に厚めの外板使って機体表面に凸凹を造らない、
というシュムードによる設計方針によるもので、たまたまの結果でした。
外板の繋ぎ目の隙間をパテで埋めてるのも、単に空気抵抗の削減が目的で、
それ以上の野心は無かったはずです。
滑らかな表面、繋ぎ目を埋める、といった工夫は、
1930年代のエア・レーサーの経験から高速化の条件として知られてましたから、
純粋に空力的な工夫で、層流翼とは、ほぼ無関係でしょう。

そもそもムスタングの設計時期、1940年には層流翼の必要特性(主翼表面が平滑である事)
の細かい内容なんて、NACAですらキチンと掴んでません(笑)。
層流翼と表面の滑らかさ(凸凹の無さ、そして塗装の滑らかさ)の関係が明確になるのは
終戦直前、1945年3月のNACAのNACA-TR-824レポートが最初で、
それ以前は、なるべく滑らかである事に越したことはないけどね、位の認識でした。
少なくとも、1940年のムスタング設計開始時には、それ以上の情報はありませぬ。
(ただし1945年のNACA-TR-824レポートも、正直、よく判らん部分が多く、完全とは言い難い。
そもそも層流翼は理屈ではその通りだけど現実は厳しいのよ、という感じの仕組みなのだ。
最終的な結論は1950年代、翼面上衝撃波に強いクリティカル翼型などの研究が出てくるまで待つ必要がある)

NACAが本格的に層流翼に取り組み始めたのは、ムスタングの設計開始の約1年前に発表された、
1939年におけるヤコブス(Eastman Jacobs)の一連の研究からでした。
(レポートNACA-WR-L-345とNACA-SR-125の二つ。全てはここから始まった。
ただし基礎研究はイギリスのテイラーとジョーンズによるものが大きい。
ヤコブスは1935年にケンブリッジを訪問、層流翼のヒントを得て完成させた)

ヤコブスが1939年6月に提出したレポート、NACA-WR-L-345の中で、
層流翼の表面に少しでも凸凹や付着物があると、その空力抵抗削減の効果が落ちる、
と報告しており、表面の平滑性の重要さを早くも発見してるのでした。

ただし同レポートでは “高級車並みのような表面仕上げは要らないだろう”
(the finish did not need to be as smooth as high-grade auto mobile finish)
と報告していて、それほど表面仕上げの必要性は強調してません。
具体的には、400番の水布(Water cloth)で表面を磨けば十分とされてます。
水布なる英語は初めて聞いたのですが、当時3M社が売り出してた耐水サンドペーパーですかね。
だとすると模型を作ったことがある人なら判ると思いますが、400番はやや荒く、
(少なくとも鏡面仕上げには程遠い)
その仕上げていいならムスタングの主翼でも問題ない、という事になります。

ただし、この辺りはあくまで縮小模型の実験で、実機の大きさだと話は別とか、
(レイノルズ数の限界の問題も絡んでくるのだが)
塗料の厚みのムラによる凸凹にも問題があるとか、いろいろあるんですが、
それはまたいずれ、機会があれば。

ついでに言うなら、同年に発表されたフッド(Manley Hood)の
主翼表面の影響の研究(レポートNACA-TN-724)で、主翼外板の凸凹(波うち)は
層流の流れに影響がある、と書かれてるにも関わらず、肝心な層流翼に関する言及はありませぬ。
表面塗装のツルピカ度よりも、主翼前部の凸凹、つまり前部表面外板の波うちの方が
層流翼にとって脅威になる事が多いと思われるんですが(条件にもよるが)、
この点はまだ認識されてなかったように見えます。

実際、シュムードの手記を見ても、
層流翼の設計において翼厚やキャンバ(翼の断面の曲りの大きさを)に
かなり細心の注意を払ってるものの、表面仕上げに関する記述は特にありません。
NACAからも、特にこの点の細かい要請は無かったように見えます。



主翼部をアップで。

層流翼には、主翼表面の滑らかさがある程度重要とは既にわかってたので、
その点を意識して、より平滑な表面にされた可能性もありますが、基本的には、
とにかく空力抵抗を減らしたい、というシュムードの設計方針に従っただけのものでしょう。

ついでに、機体全手をこれだけツルピカにするのは、工場の作業が面倒そうな気がしますが、
そこはキンデルバーガー率いるノースアメリカン、機体の生産性(組み立てやすさ)には気を使っておりました。
(でなきゃ実質3年9カ月で1万5千機も造れない)
後に1945年から、工業力が高いとは言いかねるオーストラリアのコモンウェルス(イギリス連邦というスゴイ社名)が、
あっさりP-51Dのライセンス生産を行えたのは、おそらくその辺りのおかげでしょう。
(最初は部品単位で持ち込んでの単なる組み立て工場だったが、
最後は全部地元製造で1952年ごろまで造ってた。ついでにイギリス製マーリンを積んだ
唯一の量産型ムスタングもオーストラリアの同社が造ってた)



その平らな機体表面と対照的な存在として日本の紫電改を(笑)。
丸い空冷エンジンを積んでるので、全体は曲線で構成されてるのですが、
機体表面はベコベコで、凸凹だらけなのが見て取れるかと。
当然、それらは全て気流の渦(抵抗)の発生源になりますから、褒められた構造ではありません。

ついでながら紫電改の主翼も層流翼の一種(LB翼と呼ばれてた)のはずなんですが、
この凸凹の表面では、ほぼ意味が無かったでしょう(涙)…。
さらについでに日本の層流翼の研究は独自のものに近いのは事実ですが、
開発時期からして、おそらくNACA-WR-L-345レポートの内容をある程度知っていたか、
少なくとも、アメリカでの成功を聞いてからの作業開始でした。
少なくとも層流の制御ができる翼型がある、と知ってから作業を始めたのは間違いありません。
つまり、その発明の難易度は一段低いのです。

ちなみに層流翼の誕生を告げたNACA-WR-L-345レポートは、
表紙に“現在はまだ機密指定外(UNCLASSIFIED)”との注意書きが入ってます。
よってドイツでさえ、まだ第二次大戦に入る前のこの時期に、
このNACAレポートを日本人が手に入れる事ができなかった、
と判断する根拠は何もないのです。
同時に、誰かが入手していた、と証明するのも、現在となっては困難ですが…。

以下、余談。
LB翼の開発者、谷一郎さんは戦後、岩波新書の「飛行の原理」など、
それなりにキチンとした、そしてそこそこに(笑)判りやすい本をいくつか書いてます。
実は、筆者もだいぶその本で勉強させてもらってます。
この中で、彼は極めてあっさりと、層流翼は1939年NACAのヤコブスの発見による、
と明確に指摘し、ただし詳細な情報が入って来なかったので、
日本ではその翌年に“筆者がによって解決が与えられた”とだけ説明しております。
少なくとも、オレ様が独自に発明したなんて事は、言ってません。

これは研究者として、ある程度まで信頼できる人物である事、
そしてやはり本人も、新たなる発見とは思ってなかった事、などが読み取れる部分です。
ついでに、飛行に関する流体力学の基本中の基本の一つ、カルマンの
「飛行の理論」を日本語訳にしたのも谷さんです(ただしこっちは正直、私は半分もわからん)。
さらについでながら、東大名誉教授までなった人ですが、本来は、
あの“東大第二工学部”助教授だったことは覚えて置いていいでしょう。
さらについでながら、空襲の中でも背広姿で過ごしてた、という伝説もある人で、
まあ、癖のある人ではあったようです(笑)。

以上、余談、終わり。

話を戻します。
紫電改が表面がこんな凸凹になったのは、
主に軽量化のために外板を薄くした結果なんですが、
軽量化で得られる高速化と、機体表面の凸凹で生じる抵抗値の値の大きさとの
損得で見た場合、軽量化の効果は微妙な気がしますが…。
まあ、上昇率だけを見るなら軽量化の方が
より高性能化に効くので、さっと高度を稼ぎたい局地戦闘機、迎撃機としては
それなりに意味のある設計ではありますが。

ちなみに、上のムスタングは、ほぼ製造当時のままの機体(スミソニアンのもの)に対し、
下の紫電改(アメリカ空軍博物館のもの)はレストア機なので、
その資料性はやや微妙な部分はあります。

特に外板の大半は張り替えてる可能性が高いです。
ただし当時の写真を見ても明らかに凸凹してますから、
大筋でこんな感じと考えてよく、参考資料にはなるでしょう。
スミソニアンの機体も同じような機体表面ですし。

ついにでながらゼロ戦を始め、軽量化のための薄い外板によって生じる
凸凹の機体表面、というのは日本海軍戦闘機の特徴の一つとなってます。
(工作精度の問題もあるかもしれないが、それよりなにより外板が薄いのだ。
日本陸軍の単発戦闘機は五式戦しか見た事ないが、これは思ったほど表面は凸凹してない)

といった辺りで、今回はここまで。



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