■マーリンエンジンがやって来ちゃった

そんなわけで意外にややこしいアリソンエンジン搭載ムスタングの流れを
前回は見て来たわけですが、結局、どの機体も、
低空で活躍する戦闘爆撃機、つまり地上攻撃機として利用されてました。

すなわちアリソンエンジン搭載ムスタングは、
空で敵と戦って航空優勢を維持する、という
戦闘機の王道な使い方をされた事は英米共に全くなく、
A-36に至っては、急降下爆撃機にまでされてしまったわけです。

このため正直言って、どうも中途半端な存在で、アメリカ陸軍が配備に加わりながら、
全1500機前後の生産で終わってるあたり、アリソンエンジン ムスタングが
どういう機体だったかをよく表してると言えるでしょう。

もっとも、これは高度5000mを超えると性能が頭打ちになってしまう、
1段式過給機(ちなみにギアは1速なので1段1速)しか積んでない
アリソンエンジンムスタングの宿命という部分でもあり、
このままでは、打つ手は無いわけです。

それでも操縦性はいい、速度も速い、航続距離も長いのは間違いない。
ただし欧米の機体に比べるとやや重いので、上昇能力と加速性は見劣りがするが、
この点はエンジンパワーがあれば、補完できるはず、という感じの機体であり、
(スピットのMk.IX(9)とムスタング I で比較すると離陸重量で500s近く重い。P-51Aだとさらに重い)
とにかく、その潜在的な能力は注目されていたわけです。

でもって1942年当時のイギリスではすでに2段2速過給機を搭載して
高高度対応&高出力化のマーリンエンジンの60シリーズが登場しており、
これによってスピットファイアの性能が劇的に向上してました。
何度か書いてるように、過給機が2段式になれば圧縮率が上がり、
同じ体積でより大量(高密度)の空気をエンジンに送り込めますから、
高高度でも性能が維持され、さらに基本的な出力も上昇します。
(高速に仕事をできて(高馬力)、しかも力持ち(高トルク)なのだ)

…だったら、ムスタングにも60型以降のマーリン積めば、
十分、制空戦闘機として使えるんじゃない?
というアイデアが出てくるのは自然の流れでした。



2段式過給機に、さらに液冷の中間冷却器(inter cooler)まで
搭載していたマーリンの60シリーズ。
写真はアメリカ製のパッカード V1650-7ですが、中身はマーリン60シリーズとほぼ同じ。
ちなみにこのエンジンのシリンダーカバーにはロールス・ロイスの文字が無いですね。

写真で白枠で囲った部分が2段2速過給機なのですが、
エンジン全長の1/3近くを占める大きさを持つ巨大なものになってます。
ついでに手前にパイプで繋がれて飛び出してるのは中間冷却器の冷却用循環ポンプ。
当然、これが接続されてるのが中間冷却器ですね。

マーリンは、基本的にエンジン本体の改良よりも、
その過給機によって常に出力が強化され続けた、という部分が大きいエンジンです。
これがロールス・ロイスの強みともいえ、
エンジンと過給機は別メーカーだったアメリカとの大きな違いの一つです。

ちなみにアメリカの代表的な過給機メーカーがゼネラル エレクトリック(GE)社で、
この高温、高回転に耐える過給機タービン開発の経験から、
ジェットエンジンメーカーに転身する事になります。
この点は自ら過給機を生産してたロールス・ロイスも同じような部分があるわけです。
(ただしロールス・ロイス社の場合、ローヴァー社のジェットエンジン工場を買収してから
本格的に乗り出して行くのたが)

余談ですが、Rolls-Royce の日本語読みも変で、本来なら
ロール“ ズ ”・ロイスと、濁音になります。
細かい話ですし、ロールス・ロイスと発音しても意外に通じちゃうんですけどね(笑)。

とりあえずマーリン60系をムスタングに搭載する、というアイデアが最初に出て来たのは、
ムスタング I が実戦投入され始めた1942年春ごろ、
イギリス側、とくにエンジン屋のロールス・ロイス社周辺からだったのは間違いありません。
が、その後の展開は微妙によく判らない部分が多く、現実には
英米がほぼ同時に、マーリン60系エンジンの搭載を試みる事になります。

はっきりしてるのはロールス・ロイス社の開発陣がこの改良に乗り気だったことで、
理論値計算を行って恐ろしく高速な戦闘機になる事を確認、
これを基にイギリス空軍にムスタングへのマーリンエンジンの搭載試験を提案してます。
これがいつ認可されたのかはっきりしないのですが、とりあえず
最終的に提案は通り、その改造はロールス・ロイス社自身が行う事になります。

で、この計算データは当時ロンドンに居たアメリカの駐在武官にも渡され、
これを基にアメリカ側もまた、独自の試作機の製造を決定してるのです。
このため1942年7月に、ノースアメリカン社にその試作機の発注を行ってます。
この段階では、アメリカでもパッカード社でマーリンエンジンの量産が始まっており、
その気になればアメリカの戦闘機にこれを積むのは問題なかったのです。

ちなみにアメリカ側の決断は、
陸軍航空軍(Army Airforce 1941年6月設立)の一番偉い人、
そしてボンバー マフィアの総支配人、アーノルド将軍が直接判断した、とも言われてます。
となると、この年末から本格的に始まることになっていた対ドイツ戦略爆撃に置いて、
長距離が飛べる高高度戦闘機としての使用を期待しての発注、という可能性が高いでしょう。
そしてこの判断がアメリカの爆撃を救う事になるのが、後に証明される事になります。

とりあえず、わずか1か月半程度の差ですが、
先に試作機を完成させたのはイギリスで、ムスタング X (10)の名で、
1942年の10月13日から性能試験に持ち込まれます。
最初の機体に積まれてたのはマーリン65型だったようです。

ちなみにこの段階ではまだムスタングはII までしかなかったのに、
なんで突然数字がX (10) まで飛んでしまったのかは全くわかりませぬ。

その後、マーリン60系統エンジンを搭載、
プロペラも4枚に増やしたムスタングのX(10)は
1942年の10月から翌43年の2月にかけ、5機が製造され性能試験が行われてます。
(初期の機体ではプロペラはスピットファイアMk.IX(9)のものがそのまま使用されたらしい)

ちなみに機首下に過給機用の中間冷却装置を埋め込んだため、
後のP-51B&Cとは似ても似つかない設計となっており、
おたふく風邪をひいたP-40、あるいはダイエットに成功したタイフーンみたいな印象の機体でした。
この改造は先に書いたようにロールス・ロイス社で行われており、
この辺り、航空機製造の経験が無い、というのがよくわかる改造になってます…。

それでも性能試験では予想通りの結果を叩きだしました。
試験飛行で実に時速約430マイル、690km/hを叩きだし、
650q/h前後が限界だったスピットファイアMk.IX(9)より高速で飛べる事を証明してます。
さらに予想通りの高高度性能も確認されました。
ただし、例によってちょっと重いので、上昇力、加速性では、やや見劣りしましたが。

この性能にはイギリス空軍も驚いたようですが、
速度は速くても上昇力でスピットに負ける事、航続距離が長いのは事実だが、
当時もその後も、イギリス空軍は長距離単座戦闘機を欲してなかった事、
そして何より、イギリスにおけるマーリン60シリーズエンジンの製造は
スピットファイアに回すのが精いっぱいで、新型戦闘機に回す余裕は無かった事などにより、
ムスタング X(10) は量産に移されないで、試作機だけで終わってしまう事になります。
(そのスピット用マーリンすら足りず、後にアメリカのパッカードマーリンを得て、
スピットファイアXVI(16)が造られる事になる)

もっとも、マーリンエンジンが十分あったところで、
メーカーであるノースアメリカン社はアメリカの会社ですから、
そこまでエンジンを届けるのは一苦労でしょう。
このため、せいぜい、既存のムスタング I と I A、
そしてムスタングIIのエンジン換装が限界ではないか、とも思いますが…。
どうもこの辺り、よく判りませんね。

もしかすると性能試験によってアメリカの注意を惹き、
パッカードマーリンの使用を決断させたかった、という可能性もありますが、
ムスタング X(10) の初飛行前にすでにアメリカは独自開発を決めてるので、
イギリスが自分で造ってテストする必要は無いはず。
まあ、とりあえず最終的な目的はよくわからない、としておきます。

でもって一方、アメリカ側は遅れる事約1か月半、1942年11月30日に
パッカードマーリン1650-3を搭載したXP-51Bが初飛行します。
ちなみにこれは無印のP-51を改造したもので、
よって主翼から20o機関砲がビヨーンと飛び出してる機体でした。
ところが試験開始直後に冷却系のトラブルに見舞われ、
大ピンチに陥るのですが、この辺りの話はまた後で。

その冷却系のトラブルが解決した後、
アメリカ側のXP-51Bも試験飛行で十分な高性能を叩きだすのですが、
アメリカ陸軍航空軍は、その性能試験が完全に終わる前、
1942年の年末、12月28日ごろに早くもマーリン搭載のP-51 B型の製造契約を結んでいます。

この辺り、イギリス側のデータが届いていて高性能である事が判断できたこと、
さらに対ドイツ戦略爆撃が始まりつつあり、護衛戦闘機の開発を焦っていた可能性もあります。
ただし陸軍航空隊の公刊戦史によると、P-51ムスタングが
戦略爆撃機の護衛に使えるぜ、と判断されたのは1943年になってから、
とされてるので、見切り発車で造ってみたら、うまく行った、
といった泥縄的な部分があった可能性も高いですが…。




■Photo US Air force / US Airforce museum
 
というわけで、ついに登場、マーリンエンジン搭載ムスタングP-51 B型。
この写真については空軍博物館がB型だと断言してるので、それに従います(笑)。




その後、カリフォルニア州イングルウッドの工場だけでは生産が間に合わない、
という事でダラスの工場でも作られるようになり、
工場が違うだけながら、なぜかこちらはC型と呼ばれる事になります。
つまり、生産工場以外、B型とC型は同じ機体です。

このため、外見から両者を判別する事はほぼ不可能で、
シリアルナンバーを見て、資料と突き合わせるしかありませぬ。
なので、この記事では基本的にP-51 B & C型といった表記にしておきます。

ちなみに生産型の完成は試作機の初飛行から半年近く経った1943年の5月頃であり、
夏ごろから、その生産が本格化したと思われます。
その後、B&C型による戦略爆撃の護衛任務が本格化するのは
さらに半年近く経った翌1943年の12月ごろからでした。

B & C型は最終的に3700機前後が造られ、
1943年末以降の対ドイツ戦略爆撃に置いて、護衛戦闘機として
重要な役割を担ってゆく事になるのです。
もっとも、その約半年後には早くもD型が戦場に登場してくるんですけどね。

ちなみにB&C型もイギリスへの無償貸与、
すなわちレンドリースの対象となってたんですが、
その供与数は、940機前後とそれほど多くありません。
これがアメリが陸軍が引き渡しを渋ったのか
イギリス側がそれほど欲しがらなかったのか、はっきりしませんが…

ちなみにイギリスでの呼称はムスタング III です。

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