■初期P-51のややこしさについて

さて、イギリス向けのムスタング I 生産開始の段階では
まだアメリカによる事実上の兵器の無償貸与、レンドリース法案は成立してません。
(使用後にアメリカに返還する、というだけの条件で無償で兵器が同盟国に貸し出される)

よって、この機体の発注は全額イギリス空軍負担の自腹だったのですが、
後にムスタング I の生産型の内、2機が無償でアメリカ陸軍に供与されます。
これはアメリカの企業が造った海外輸出用兵器は、必ずアメリカ軍にも納入し、
性能検証試験を受ける事、というルールがあったためらしいです。
これがアメリカ最初のムスタングで、試験用の機体なのでXP-51と名付けられました。

そのムスタング I の4号機ことXP-51は1941年8月にアメリカ陸軍の研究開発部門の総本山、
ライト・パターソン基地に初めて持ち込まれました。

ところがこの機体、一度飛んだ後は10月まで基地でホッタラかされており、
アメリカ陸軍は、それほど興味を示さなかったようです。
ちなみにこの最初に納品されたXP-51 1号機は
ウィスコンシン州オシュコシュのEAA博物館で現存してるのですが、
ムスタング I にはまともな現存機がないので、これが唯一のムスタング I の現存機であり、
そしてXP-51である、という不思議な機体になってます。

で、本来ならこのまま終わってしまった可能性も高いのですが、
秋ごろから始まったテストで、意外な高性能を示した事(ただし高度5000m以下で…)、
そして何より直後の12月に日本が真珠湾攻撃を行って、
アメリカも戦争に巻き込まれた事でその辺りの風向きが変わって来ます。

そんな流れの中でなのか、1941年12月、日米開戦後に2機目のXP-51がアメリカ陸軍に納入されました。



■Photo US Air force/ US Air force museum

写真は1941年12月に納入された2号機。
ちなみに1号機は武装を付けたままの納入だったのに、2号機では武装が外されてます。
理由はよくわからず。

ちなみにXP-51のシリアル番号は8月に納入された1号機が41-083、2号機が41-039です。
さらにちなみに2号機の方はテスト終了後、スクラップにされてしまって現存しません。
で、この2号機納入のころから、アメリカ陸軍としても本格的に試験を始めたようで、
1941年年末から翌年、1942年の春にかけ、多くの試験飛行をこなしています。

それでも先に書いたように中身はイギリスのムスタング I のままなので、
(無線機などがアメリカ陸軍のモノに変更されてた可能性はあるが)
機首下には12.7o機関銃取り付け部の出っ張りが見て取れます。

で、この時の試験飛行において、高高度性能を別にすれば(笑)そこそこの性能を示したことで、
アメリカ陸軍は急遽、その採用を決定、武装とエンジンの変更をノースアメリカン社に指示して、
これが “最初にアメリカ向けに生産された” ムスタング、P-51Aとなります。

この機体はエンジンを同じアリソンのV1710でも、新型のV1710-81型(わずかに出力が向上)にし、
機首下の12.7o機関銃を廃止、さらに主翼の武装を12.7o(0.5cal.)×4門に変更したものでした。



というわけで、最初にアメリカ陸軍の要望を取り入れて造られたムスタング、P-51 A。
従来のムスタング I との最大の違いは、機首下の機銃が無くなっている事、
そして主翼の機銃も全て12.7oにされ、片翼2門ずつになってる事です。
とくに機首機銃は後で出てくるA-36に対しても、判りやすい識別点となってます。

ついでに、例のプロペラの上の空気取り入れ口、妙にビヨーンと長い印象がありますが、
ここには防塵フィルターも入ってます。

ここで念のため、進化表を再掲載。


とりあえず、ムスタング I 、すなわちXP-51から開発されたのがP-51Aで、
これが後のアメリカ陸軍向けP-51の全ての始祖となって行きます。
対して無印P-51は、イギリスが2番目に造ったムスタング、20o機関砲搭載の I A を
ほぼそのままアメリカが受け入れたもので、その後の機体発展にはつながらず、
ここで進化系統は途絶えてしまいます。

が、さらにここに別の進化系が加わって来ます(笑)。

A型の採用決定の少し前に、ノースアメリカン社の辣腕社長、
キンデルバーガーからの提案により、アメリカ陸軍は
XP-51、すなわちムスタング I を基にした急降下爆撃機の開発も決定、
これを後にA-36 アパッチ(Apache)として採用してるのです。

ただし売り込んだキンデルバーガーも、本来は戦闘爆撃機程度のつもりで、
まさか急降下爆撃機になるとは思ってなかった、という話もあります(笑)。
そもそも最大の弱点であるラジエターを地上から丸見えの腹の下、
すなわち対空攻撃に弱い場所に積んでるムスタングに、
その任務はキツイと思われるのです。
それこそピストルの弾ですら、ラジエター周辺に命中して故障してしまうと、
あっという間に液漏れして、エンジンがオーバーヒート、墜落になりますからね。
(朝鮮戦争で、地上攻撃するF-51(P-51)に対し、中国兵が
小銃やピストルまで使って反撃してたのは、実は無意味では無かったのだ)

このため、後に被弾に強い空冷式のP-47が対地攻撃に活躍するようになると、
A-36は進化の袋小路に入ってしまい、
それ以上の展開は無く、これにてオシマイとなります。



■Photo US Airforce museum

ムスタングシリーズの変わり種が、急降下爆撃機このA-36でしょう。
ちょっと見づらいですが、ムスタング I の機首下12.7mm 機関銃を残したまま、
主翼の武装をP-51Aと同じ12.7o×4門に変更しています。
すなわち全部で12.7o×6門ですね。

さらに急降下爆撃用にダイブ ブレーキを搭載しており、
写真で主翼の上下に飛び出してるデザイナーズ ブランドの
ハエ叩きみたいなのがそれです。

ちなみに、こちらの機体はノースアメリカンが命名権を持ってたようで(笑)、
A-36なのでAから取ってアパッチ(Apache)と命名されてます。


といった辺りがイギリスの発注によって誕生したムスタングと、
それがアメリカに渡ったあとのP-51の初期の発展の系統となります。
いわゆるアリソン エンジン搭載ムスタングの流れはこれでだいたい見たわけです。

ちなみにアリソンエンジン搭載ムスタングの生産数は全部で1570機前後、
その内760機前後だけがイギリス向けで、最終的には
アメリカでもほぼ同数(わずかに多いが)が採用されていた事になります。

といった感じで今回のアリソンエンジン ムスタング編はここまで。


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