■目指せムスタング博士インターハイ出場

前回は軽くP-51ムスタング各型の基本を見て置きました。
今回はもう少しキチンとムスタングの進化を見るとどうなるか、
市内大会レベルを超えて、一気にP-51 インターハイ出場を狙うには
どの程度知っておく必要があるのか、というのを見て行きます。

まず大きな流れとして、アリソンエンジン搭載の初期型と、
マーリンエンジンを搭載して大幅に製のアップした後期型に分かれます。
初期のムスタングは全てイギリスの発注によって
開発、改良がなされ、そこに途中からアメリカ陸軍が少しずつ関わって来て
徐々にその開発主導権を握って行きます…というかイギリスが興味を無くして行きます。

この開発の主導権がアメリカに移る辺りは、レンドリース法の成立によって、
アメリカ陸軍がノースアメリカン社に発注して、これをイギリスに無償貸与するという形になった事、
さらに後で見るようにアメリカ陸軍航空軍上層部を占めていた
ボンバー・マフィアたちが対ドイツ戦略爆撃の野望達成のため、
どうしても護衛用の高高度長距離戦闘機が必要だった、という面が大きいです。
(ただしその後もイギリス側から多くの要望が出ていて、これが開発に影響を与えてたが)

詳しくは後でまた見ますが、とりあえずムスタングの開発の始まりとしては、
第二次大戦開戦後、欧州戦線における航空機の不足という事情がありました。
このためアメリカ参戦より2年早く1939年から第二次大戦に巻き込まれていた
イギリスとフランスはアメリカから大量の兵器購入を計画、
そのための委員会を設立して、代表をアメリカに送り込んでいたのです。
後に電撃戦の敗北によってフランス代表は脱落するんですけども…。

で、その中で本来カーチス社のP-40の買い付けを希望してたイギリスの代表に、
自社開発の新型戦闘機の開発を提案したのがノースアメリカン社の辣腕社長、
キンデルバーガー(Kindelberger)で、それを後押ししたのが、
あのブラジルから来た男、設計部門のシュムード(Schmued)でした。

この提案をイギリスが受け入れ結果、生まれて来たのが試作戦闘機、NA-73Xとなります。
その初飛行は第二次大戦の開戦から既に約1年経ってしまった1940年10月。
フランスは降伏した後で、すでに連合軍から脱落、一方のアメリカと日本はにらみ合い状態で、
その参戦までまだ1年以上あった段階でした。

以降の展開は大筋で以下の図の通り。
ただしこの図でも一部の試作機、そして微妙にややこしい偵察型
などは無視しており、決して完全ではありませぬ。その点はご容赦あれ。

実はムスタングの進化は前回のA型→B&C型→D型という単純な3段変化だけではなく、
本来イギリス向けだったムスタングシリーズ、さらに別ルートの軽量型P-51(実はほとんど別の機体)が
加わって、結構難解になってますので、今回(アリソンエンジン編)と
次回(パッカード マーリンエンジン編)に分けて、少し詳しく見て行きます。

ちなみに初期のアリソン ムスタングは、意外なほど資料が無く、
これほど有名な戦闘機ながら、結構、謎だらけです。


ムスタングシリーズ最初の機体、イギリス空軍用(RAF)の試作機はNA-73Xと名前が付けられました。
ノースアメリカンのNA、数字の73番(ノースアメリカン社73番目のモデルらしい)
そして、最後になんとなく(笑)試作機っぽい、Xの字が付いてるわけです。
(試験飛行はイギリス空軍(RAF)では無く、全てノースアメリカン社の手で行われてる)

その後、イギリス空軍がNA-73Xの性能に満足したため、量産機の製造が決まり、
イギリスによって機体はムスタングと命名されました。
スピットファイア、ハリケーンのように、戦闘機を数字ではなく名前で呼ぶのが
イギリス式ですから、型番無しで単にムスタングです。
すなわちP-51に関しては、ムスタングの名前の方が
先に存在していた事になります。
ここからしばらくはイギリス空軍主導による開発が続きます。

後にアメリカがそのムスタング I の先行量産型の供与を受け、テストを開始したときに、
初めてP-51(XP-51)の名が与えられるのですが、
アメリカ側の命名もちょっとややこしく、この辺りは後でまた見ます。

余談ですが、Mustangの日本語表記、ムスタングは、ちょっと無茶苦茶な読みで、
原音に近い読みならマスタンとなり、まるで違います。
名詞の最後のGは通常発音しない、という英語の原則すら無視した、
無茶苦茶なこの呼び名を定着させたのは
どこのスカポンタンだと常に思いますが、今さら私だけがマスタンと呼びます、
というわけにも行かないので、この記事ではムスタングで押し通します。

ちなみに海外で日本語読みのムスタングの発音は、まず通じません。
逆にスピットファイアはカタカナ読みでも結構通じます(笑)。

脱線終了。
ここで再度進化系統図を載せておきます。
引き続き、イギリス空軍側の展開を見て置きましょう。

 
試作機NA-73Xの後、イギリス空軍向けの最初の生産型となったのがムスタング I で、
これが最初に量産されたムスタングとなります(総数で620機)。
この機体の特徴は、その武装で12.7o(0.5cal.)×4門、7.7o(0.303cal)×4門と
2種類の機関銃(どちらもブローニング)を計8門も積んでいた点でしょう。
さらに12.7o 2門は機首下という他のムスタングに見られない搭載方法でした。
この機首下の12.7o機関銃は後にA-36アパッチにのみ引き継がれます。

その後、ムスタングの最初の改良型となったのが、ムスタング I A(ワン エー)型でした。
これは武装強化型で、機首下の12.7o機銃を取り外を外し、
さらに主翼の武装を20o機関砲×4門に変更したもので、
スピットファイアの20o機関砲と同じように、ビヨーンと銃身が主翼から飛び出してるタイプです。
ちなみにイギリス空軍は、ムスタングを最初から地上攻撃任務に付けていたため、
この武装強化は対空戦闘用ではなく、地上攻撃、
主に地上車両対策ではないかと思われます。

ただし 名前にAが付いたものの、武装以外は、特に変更はありません。
というかアルファベットで主翼の武装を区別するのがイギリス式であり、
機体が進化するとA→B→Cと名前に着くアルファベットが進んでゆくのはアメリカ式なのです。

ついでに、この機体からはレンドリースの無償貸与だったため、
アメリカ陸軍が発注してイギリスに貸し出す、という形になっており、
このためP-51という名称がアメリカ陸軍から与えられています。
すなわちこれがP-51の最初の機体です。
なので、よく知られてるP-51Aの前に、この無印P-51が存在するんですね。
この点はアメリカ人でも知らない人がいくらでも居るくらい存在感が無いのですが(笑)、
実際のアメリカ陸軍のムスタングはまずP-51があって、次にP-51A、P-51B/C、P-51D、P-51H、
という形で進化して行くのでした。
もっとも最初のP-51はイギリス向けのムスタングI A と合わせても150機しか造られてないので、
無かったようなもの、なんですけども。

さらにアメリカ陸軍のP-51は、ほぼ全機が後に偵察型のF-6Aに改造されるのですが、
後にP-51II という名称に再度変更されたようで、これもある意味、P-51A前のP-51です。
ちなみに改造されずに残された無印P-51は2機のみと見られ、
この2機は後に見るマーリンエンジン搭載のB型への改造試験機にされてます。

この武装強化型の I A までがイギリス空軍が主導したムスタングの開発でしたが、
以後、イギリス空軍はそれほど熱心にムスタングに関わらなくなります。

実はこの段階、1942年初頭の段階ですでに最強のスピットファイア、
Mk.IX(9)の開発のメドが立っており、さらに地上攻撃用なら
ハリケーンもあるし、という事で、すでにイギリス空軍は
ムスタングへの興味を失いつつあったからでしょう。
コソ泥のような無差別夜間爆撃が主体のイギリス空軍の場合、
単座の長距離戦闘機の需要も無かったですしね。

ちなみにイギリス空軍向けムスタングと、
それがアメリカに渡った後の呼称をまとめると、こんなところに。

 イギリス空軍名

ムスタング I 

ムスタング I A 

 アメリカ陸軍名

XP-51(性能試験機)

P-51(最初の実用機)

 ノースアメリカン社内名

NA-73(前期型)/NA-83(後期型)

NA-91

 武装

7.7o×4 12.7o×4

20o×4


ちなみにムスタング I の機関銃は、0.303cal の7.7oであり、
アメリカで使われていた0.3cal. すなわち7.62oでは無かったのに注意。

ただし、実はこの点もちょっと謎があり、アメリカがムスタング I をXP-51として試験した時の
報告書を見ると、その武装は0.3cal 7.62oだ、としており、これが事実なら、
ムスタング I は他のイギリス機とは互換性のない機関銃を積んでいた事になります。
が、例によってこの辺り、あまりに資料が少なくて、なんとも言えないのです…。


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