■そして本命は製造力が不足してた

さて、そんなベル社だけでなくP-38を造っていたロッキード社にとっても、
これは商売上の大チャンスでしたから、英仏購入評議会へ売り込みを行って
先に見たように1940年4月12日に国外譲渡協定を成立させてます。

ただしP-38は最高機密の排気タービン過給機を搭載してるため、
これをわざわざ外した機体を新たに開発、輸出する、という
なんだその面倒な話、という内容になってました。



上から見ると、エンジンナセルの後ろ、主翼の後端辺りにヤカンと煙突みたいなモノが見えてますが
あれが排気タービン過給機の本体部分。

いろいろアレだったP-38を一定レベルの戦闘機にしてしまったのは、
この過給機による高高度対応、そして高出力化がキモでしたから、
排気タービンを外す、というのは、ハイブリット車から発電装置を外すくらいの改造でした。
ええ、そんなもん、使い物になるわけが無いのです(笑)。

ちなみに飛行中の左右のプロペラによる空力的な悪影響を避けるため、
両エンジンは逆回転するように作られていたのですが、
輸出用の機体では、これもやめてしまいました…。
よって通常のアリソンV1710-15を2基搭載、となるのですが、
これはP-40と同じエンジンだったため、
整備や供給面で有利、という変な理由付けがされてたようです。
どうかなあ、それ…(笑)。

とりあえず、これがライトニングI で、600機を超える発注がフランスからされてたのですが、
その降伏によって、イギリスが引き取る事になったものでした。
ただし、イギリスは最初からあまり乗り気ではなかったようで、143機にまで機数を減らしてます。
その上、引き渡しは1942年2月からと、そんなのもう忘れてたわい、という時期になってしまうのです。
(後から開発が始まったムスタングより遅いのだ…)

その後、とりあえずイギリスは最初の3機を受け取り試験したところ、
その低性能ぶりに以後の受け取りを拒否、
残りの140機近い機体はアメリカ陸軍が引き取って、
各種テスト用の機体、そして練習機にしたようです。
(アメリカ名はP-332/PR-332(練習機))

ちなみに、この時期なら、とっくに排気タービン過給機の規制は解除されてますから、
(しかもレンドリース法案成立後だから事実上、無料でもらえる)
改めてイギリスはターボ過給機付きのP-38をライトニングII として発注したのですが、
どうも最終的には興味が無くなってしまったようで、こちらは量産されずに終わりました。
さらにちなみに、アメリカでのライトニングという愛称はイギリスの命名を受けたもので、
ムスタングと同じように、これもイギリスから名前をもらった機体になってます。
イギリスからは嫌われてたんですけどね…

まあ結局、これも英仏がアメリカの航空機メーカーに事実上だまされたパターンで、
特にP-38は安くない機体でしたから(エンジン価格だけでも2個で倍なのだ)
イギリスのアメリカ戦闘機への不信感をより強める結果を招くのでした…。
(誤解無きよう書いておくと、P-38はキチンとターボチャージャーを積んで、
寒冷地域でなければ(オイルが凍らなければ)一定の性能を持っていた。
アメリカ陸軍のトップエースと、2位のエースの乗機はP-38だ。
両者ともドイツ抜き、日本軍相手だけのスコアだけだけど…)

さて、そんな中で、最後に契約が成立したのが、
本命ともいえるカーチスのP-40でした。
ちなみに、契約では1941年には配備開始予定だった新型機、
XP-46の購入も可能とされてました。
ただし機体開発がちょっとアレで、XP-46は後にキティホークに化けるんですが…。

それでも最も早く納入、配備まで漕ぎつけてますから、
英仏購入評議会がやった戦闘機の買い物の中では、ムスタングに次ぐ当たりでしょう。
ただし、これまたフランスも契約してるんですが、
例によって敗戦までには間に合ってません…。

ちなみに厳密にはこの段階でカーチスはライト兄弟設立のライト社と合併してたので、
カーチス・ライト(Curtiss wright) 社なんですが、
ここでは通例にしたがって機体名はカーチスP-40としておきます。
(犬猿の仲だったカーチスとライト兄弟の会社が合併したのは、
大恐慌によって両社とも営業が行きづまったから…)

ついでながら、この会社、製品によって会社名を使い分けるという
ブランド戦略みたいなことをやっていて、もう一つの主要製品である空冷エンジンでは
ライト社の名前のまま製造を続けてました。
なのでベストセラーとなった空冷エンジン、ライト サイクロン シリーズ、
R-1820、R-2600、R-3350などもこの会社の製品です。
ついでに言うならプロペラなんかも造ってるんですが、そこまで脱線してると
終わらなくなるんで、今回は触れず。

とりあえずイギリス向けの機体としてP-40BとCがトマホーク II A&Bの名で採用され、
これは契約成立から半年足らず、早くも1940年の8月ごろから
引き渡しが開始され、1941年初頭からは実戦部隊への配備が始まりました。
最初はまだロンメル大暴れし始めたばかりの北アフリカで
当時イギリスが設立した砂漠空軍(Desert Air Force)
に対地攻撃用のハリケーンの代替機として送り込まれてます。
よって実戦でもきっちり運用された機体となりました。
ただし初期に納品されたトマホークは防弾装備が一切なかったうえに、
折りたたみ式の尾輪が砂を噛んでしまって、一度畳むと着陸時に開かなくなる、
といったトラブルに悩まされたようですが…。

その後、改良型のP-40E以降がキティホークの名で
イギリスに送られる事になるのですが、これは先に見たように、
本来なら新型機のXP-46になるはずだったのが、開発の遅れで、
急遽間に合わせで作られた改良型でした。
そして最後の最後まで、XP-46の量産型は現れないで終わるのです…。

それでも、なにせ詐欺みたいな商売が続いた
アメリカ陸軍戦闘機3姉妹、P-38、39、40の中では、
英仏購入評議会からの最低限の要請を満たした唯一の機体と言えます。

ついでながらイギリス空軍はカナダでP-40の飛行試験を行っており、
低空でなら性能的に十分とし、地上攻撃教、そして植民地軍(Commonwealth air force)用として
活用できる戦闘機である、と見ていました。
ちなみに本国のイギリス空軍も実戦で使っており、
先に見たように主に地中海(北アフリカ)などで地上攻撃用に投入されました。

でもって、この地上攻撃用P-40の後継として考えられていたのがムスタングで、
このため高高度性能は要求されなかったのです。
まあ、ムスタングの契約段階ではマーリンの2段2速エンジンはまだ量産前、
ターボチャージャーも解禁前ですから、他に手は無いんですけどね。



アメリカ空軍博物館に展示されてるカーチス キティホークMk.I A。
(アメリカの国籍章を付けて展示されてるが、中身はキティホークでカナダ空軍が使用してたもの)
アメリカ側ではP-40E以降に相当する機体で、イギリスに渡ったP-40としては
トマホークに次ぐ2世代目、キティホーク世代の機体となります。

ちなみにカーチスの戦闘機は伝統的に名前にホーク (Hawk)、鷹が付きます。
なのでP-40のアメリカ名はウォーホーク(Warhawk)、戦争鷹。
対してイギリスの命名、Kitty Hawk は直訳すれば子猫鷹。
…なんだそれ(笑)、という感ですが、この辺りはイギリス人らしい、
ややヒネッたユーモアで、これはライト兄弟初飛行の地の名前です。
カーチス・ライト社の製品で、ホークなら、
変な名前のキティホークが面白そうだ、という感じでしょうか。

本来なら新型のP-46が来るはずだったのに、開発が遅れ、
その代わりに、急きょ送り込まれたのがこのキティホーク シリーズでした。
なので、この辺り、やや皮肉が込められていた可能性があります。

ついでにキティホークっていう地名が、そもそもなんだそれ、という感じですが、
さらに加えてライト兄弟が飛んだ一帯は悪魔殺し丘(Kill devil hills)という名前で、
どうもノースカロライナ州の人たちは、地名のセンスが変だったんでしょうかね?
ちなみに、後にアメリカは空母の名前にもキティホークを使ってますが、
子猫という名前がこれだけ兵器に付けられた20世紀というのは変な時代なのかもしれません。
空母 子猫鷹とか、私なら悪い冗談としか思えませんが…

…と思ってせっかくなので調べてみたら、地元のネイティブ アメリカン(インディアン)の
言葉で、鴨狩の地、と呼ばれていたのが、その発音を聞くと、
キティ ホークに聞こえたので、そのままそうなったのだとか。
なんか北海道のアイヌ語地名、石狩みたいなものでしょうか。
ちなみに悪魔殺し丘の方は由来がわからず…。

さて、そんなわけで、当初イギリスはカーチス社に200機のP-40を発注しました。
その後、最終的には470機前後のトマホークを、
そしてさらに560機ほどのキティホークを導入してます。
あわせて約1030機は、ムスタング シリーズの約1700機前後に次いで、
イギリスが二番目に数多く導入したアメリカ戦闘機となってます。

が、後にアリソンエンジン ムスタングだけでも700機以上を
さらに導入してる事からもわかるように、イギリスは本来、
もっと機数が欲しかったらしいのです。
が、カーチスがこれ以上の生産が出来ないとしたため、
それならばと、代わりに生産をしてくれる工場、そして会社を探す事になりました。

そう、そこで白羽の矢が立ったのが、
すでにハーバード練習機シリーズ(BC-1とT-6)でイギリスから
高い評価を得ていたノースアメリカン社だったのでした。

次回、いよいよムスタングが登場ですぜ。
はい、今回はここまで。


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