先にも書いたようにJu-87は大戦後半の頃には既に実用に耐えなくなっており、このため、終戦時に残ってたJu-87は意外に多くありません。
1945年4月の段階で総計150機前後の稼動機体あり、という記録があり、おそらく5月の終戦時には100機を切っていた可能性が高いです。
この結果、あれだけ有名ながら、まともな現存機には恵まれない機体となっています。初期のB型はこの1機のみ、後期のG型もロンドンに1機あるだけです。
ちなみに、Bf-110、He111も現存機はほとんど無いので、ドイツ空軍の初期の機体って、意外に残って無いのです。

アメリカのシカゴにある産業科学博物館(Museum of Science and Industry)に展示されているこの機体は1941年にイギリス軍がアフリカ戦線のリビアで鹵獲したJU-87 B2型で、シリアル5954番のトロピカル(南方)型とされます。
1946年、終戦後にイギリスの情報部からこの博物館に贈られたとされてますが、それは所有権の移動であり、実際はすでに大戦中、イギリスの戦時国債をアメリカで売るための宣伝材料として持ち込まれていたようです。
(イギリス本国ではまかないきれず、アメリカでも戦時国債を売った。この借金が戦後のイギリスの凋落の一因となる)

ただし、この機体はR2型説もあるんですが、B2型とR2型の違いは外翼内燃料タンクの有無、増加燃料タンクが搭載可能か否かといった点なので、主翼下にタンクがない状態だと、外観だけでは判別は不可能に近いです。
とりあえず、R2で追加された主翼タンクの給油口が見当たらない事、産業科学博物館の解説ではB2型とされてるので、ここではB2説を採用しておきます。

ついでに、かなりコンディションがいいので塗装も含めてほぼオリジナルの状態を維持してる、という説もあるのですが、実際は1974年にオシュコシュのEAA博物館がレストアをやって、かなり手が入ってる可能性が高いです。
個人的にEAAのレストアはあまりいい印象が無い、しかも適当な70年代という事でどうかなあ、という気もするのですが、まあスクラップからのレストアとかでは無い、世界で唯一の初期型Ju-87の現存機ですから、いろいろと参考にはなるでしょう。

といった感じで、ここからはひたすら機体写真を並べて行きます。



真正面から。
ドカンと機首下に飛び出したラジエーターが目立ちます。ちなみにオイルクーラーは別で、機首上の穴の奥に設置されてます。
このラジエーター配備、当然空気抵抗の増大につながるわけですが、急降下中の減速が必要なスツーカにとってはむしろ好都合だったかもしれません。
ただし、地上からの対空砲火に対して、もっとも脆弱な部分を盛大に正面で晒す事になる、という致命的な欠陥ともなり、このため後期型、D型以降ではもう少し開口部を小さくし、位置も後ろに下げる設計に変更されます。

この設計では飛行速度も当然低下し、初期のB型は400q/hすら出ません。この鈍足のため敵戦闘機からいいカモにされる、という結果になり、これがこの機体の早期引退の要因となって行きます。



少し斜め上から。
怪鳥のような大きな翼が目を引きます。翼面積は31.9uとかなり大きめで(Fw-190などは18.3uでしかない)、十分な揚力を稼いでます。
重量物を抱えてキチンと機体を制御する必要があるからでしょうが、これまた低速化に繋がりますから、このあたりも諸刃の剣でした。

 

少し角度を変えて。
やはりアゴラジエターが目立ちます。
主翼がW型の逆ガル翼なのは、脚を短くするためと、胴体下の爆弾取り付け作業を容易にするためでしょう。

重量物を積み、さらに条件の劣悪な最前線の飛行上からの利用が想定されたため、脚は折れにくく頑丈な短いものが求められます。
このため、主翼を下に向けて折り曲げ、脚部分で地上との距離が最短にしてるのがW字形の逆ガル翼です。
同時に、こうすると脚は短くても胴体は十分な高さがあるので、重くて装着が大変な胴体下の爆弾取り付け作業が容易になるわけです。


NEXT