■フォッケウルフ Fw190シリーズ
Focke-Wulf FW-190

■ワシントンDC スミソニアン航空宇宙博物館 ウドバー ハジー別館にて撮影



1939年6月1日に初飛行した、Me109と並びドイツを代表する戦闘機。
大戦途中から出てきた新鋭機、という印象がありますが、
初飛行は開戦前で、事実上、ゼロ戦と同世代の機体です(初飛行で2ヶ月こっちが後)。
両者には宇宙戦艦 ヤマトと地方選管 大和市長選挙くらいの差がありますけども(涙)。
飛んだ飛んだ、ゼロ戦飛んだ、ビバ堀越!とか日本がやってたころに、
世界は、こんなとこをすでに走っていたのです(笑)。
ちなみにP51より1年半、P47よりは2年早く設計されてることになります。
タンク教授、恐るべし。

ハングリーウルフ、ロンリーウルフと並んで世界三大ウルフと称される事が多い
フォッケウルフだが、実はその綴りはWulfで、英語でもドイツ語でも狼とは無関係ザンス。
赤頭巾ちゃんのおばあちゃんを食べたり、家に頑強に立てこもる子ヤギを白粉でだまして
食べ放題パラダイスに突入したりしたヤツとは無関係だ。アリバイもあるらしいぞ。
が、それなのにそれなのに、フォッケウルフさんにも、
残念無念、それら歴代狼さんと同じツメの甘さが、存在するのでした。
途中、けっこういい線まで行くのも似てるぞ(笑)。

ちなみに本来はフォッケ-ウルフと名前の間にハイフンが入る。
まあ、フォッケさんとウルフが造った会社だからロールス-ロイスと同じ理屈ですな。
ちなみにフォッケさんは株主総会で追い出され、後にフォッケ-アガリス社を設立、
ウルフさんは航空機事故で死亡しちゃってて、Fw190の設計段階では、
1929年の世界恐慌でアルバトロス(Albatros Flugzeugwerke)社が倒産、
移籍して来ていたクルト・タンクが事実上仕切ってる会社だったようです。

あ、念のためフォローしておくと、疑う余地なく日独伊の三国同盟の中では最優秀機だし、
条件さえ(ぶっちゃけ高度だ)そろえば、当時世界最強の機体の一つだろう。
この条件(高度なんだけどね)があまりに致命的なわけだが、
まあ、これはウルフのせいでも、設計者のタンク氏の責任でもない。

さて。
1937年秋の段階でドイツの東急百貨店ことBf トーキュー(109) の先行きに、
早くも不安を感じた、というか、やっぱ保険は掛けとくべきでねえっぺか、
と考えたのがReichsluftfahrtministerium(読めません)、
英語で言うとReich Air Ministry、RLMすなわち(ドイツ)帝国航空省閣下。
そこで、フォッケウルフ社の設計主任、クルト・タンクに声をかけ、
いくつかのデザインを提出してもらい、その中から選ばれたのが本機(のプロトタイプ)だ。
ちなみにタンク本人は液冷式のエンジン(まあDB601だね)を使いたかったらしいのだが、
航空省としては、空冷エンジンの戦闘機があってもいいんでね、
とBMWの空冷エンジンを搭載するプランが採用になった、というのが通説。
ところで、英語圏ではタンクを Professor とする資料が多いんですが、どこで先生やってたんだ?

が。
タンクのダンナといえば、先の主力戦闘機コンペで、Fw159というコクピット前部に
高翼(パラソル翼)を付け、胴体に引き込み脚完全収納という、
120%悪い方向に冒険的な設計をやってのけた(当然コンペには惨敗)あのクルト教授だ。
よりによってなんで彼を名指しで設計者に選んだんだ、という疑問が残る。
実際はこの時もコンペ形式で、ホントは他にも声を掛けていたんでないかなあ、という気が。
結局、それほど本気で考えてなかった航空省の目に留まったのが、
タンク閣下の空冷エンジン機プランだったんでないでしょうかね。
ま、設計段階で他のは止めて、資材のバッティングもないし、これだけやってみる?と。
が、結局これが、悪名高きRLMにとって、数少ない大ヒット判断の一つとなるわけです。

ちなみにRLM、帝国航空省なんていうといかにも立派そうですが、
それが存在したのは1933年から45年まで。
ハイ、わかりましたね(笑)。これはナチスの御用機関、つーか、
事実上、ゲーリング様の私的機関みたいなもんでしょう。

余談ながら、ベルリンにあったRLMのビルは戦後も生き残り、現在は財務省が入ってるらしい。
…大丈夫か、ドイツ経済。



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