■グラマン F4F-3 ワイルドキャット
Grumman F4F-3 wildcat

第二次大戦に太平洋地域が巻き込まれた瞬間、
すなわちアメリカ全土が反戦気分で盛り上がってる真っ最中に、
わざわざご親切に日本から真珠湾で一発ぶちかましてしまった時、
アメリカ海軍の主力戦闘機だったのがこのF4F ワイルドキャットです。

イギリス海軍は21世紀の現代に至るまで空母戦というのを
キチンと理解したことが一度もありませんので(笑)、
1937年初飛行のアメリカ海軍のこの機体は、1940年初飛行の日本のゼロ戦と並んで、
当時の世界最先端の艦上戦闘機でした。



ビヤ樽みたいな胴体と、上にせり上がったコクピットが特徴ですが、
これは当時のアメリカ海軍機では標準的なスタイルです。

全体的にズン胴な印象がありますが、全長で約8.8mは
同じ空冷エンジン搭載の同世代機、陸軍のP36などと比べても特に短くは無く、
実は上下に広い、つまり胴体の背が高いのです、これ。
この辺りは、この機体の後継となったF6F ヘルキャットでも同じです。

なんで?というと理由は二つ。
まずはコクピットの位置を高くして下方視界を確保、
もっとも操縦が困難な空母への離着陸時に甲板がよく見えるようにするため。

そして海軍機は航続距離が長くないと使い物にならないので、
(なにせ広い海の上で活動するのだ)
大きな燃料タンクを積む必要があり、そのタンクをちょうど空間ができた
コクピットの下にドカンと置いてしまったためです。
ついでに、その燃料タンク前の空き空間に主脚も収納してます。
その主脚は別ですが、とりあえず背の高いコクピット、
その下の大型燃料タンクという配置はF6Fにも引き継がれることになります。

余談ですがゼロ戦は長大な航続距離を持つ、と言われてますが、
あれは艦載機としては、それほど優れた数字ではありませぬ(笑)。
実際、アメリカ海軍のF4F(初期の3型)、F6F、F4Uらも全て
普通に2000kmを超える航続距離を持ってます。
(F4Fは改修に従い航続距離は短くなるのだが、これはゼロ戦も一緒)

でもってワイルドキャットは、アメリカの博物館、書籍、ホームページなどの解説を見ると
第二次大戦でゼロ戦を圧倒した傑作機として紹介されてるのが普通なのですが、
それは半分正しい、というところでしょう(笑)。
当然、日本側の記述に良く見られるゼロ戦は緒戦で無敵だった、
よってF4Fワイルドキャットなんてヘのカッパ、という記述も間違いです。
そもそも後で見るように、両者は開戦から半年近く、まともに対戦してないのですから。

どっちも相手が弱かった、としてるのは共通ですが(笑)、
ここまで戦った両者の評価が異なる機体も珍しいかもしれません。
日本側の責任は、戦後、生き残った皆さんが、
ゼロ戦は開戦当時無敵で、後から出てきたF6FやF4Uにやられたんだ、
という根拠の無い伝説を広めてしまったのが原因でしょう。
ただしアメリカ側で、ここまでステキな戦闘機説が広まった理由は
どうにもちょっとわかりませんね(笑)。

まず、先に書いたように両機は太平洋戦争の緒戦ではほぼ全く戦ってません。
よってどちらかの機体が緒戦で相手を圧倒した、という事実は有り得ませぬ。
例外は開戦直後のウェーク島の2機のF4Fの戦闘のみで、
機数からして、事実上の小競り合いに近いものでした。

両機の本格的な衝突は開戦から5ヶ月も経った1942年5月8日の珊瑚海海戦からであり、
その約1月後にはミッドウェイ海戦で日本海軍の優秀な戦闘機パイロットが
根こそぎ失われてしまい、その後、ガダルカナルの泥沼に突入して行きます。
この間、手に入る数字を見る限り、どちらかが一方的に勝利してた、
という事実は存在せず、勝負は互角、という評価が公正だと思われます。

アメリカ側のパイロットがゼロ戦の格闘戦能力に驚いてるのと同時に、
日本側のパイロットもF4Fの高高度性能にゼロ戦がかなわない事を認めてますから、
後はいかに自分の得意分野で空戦に持ち込むか、という話でしょう。

ただしアメリカ側のパイロットの場合、サルが複葉機に乗ってる程度が
日本の航空戦力の全てだ、と本気で信じてた連中が居ますから、
ナメてかかってたら、アラ、びっくり、という要素も考慮する必要はあります。
(なにせ有色人種差別の真っ盛りの時期なのだ。
陸軍航空軍のボス、アーノルドなどはカナダ軍の歓迎レセプションで
黒人の男性と白人の女性がダンスを踊っていたのを見て、
実にけしからんと激怒してた時代である)

が、ミッドウェイ海戦以降は、ガダルカナル航空戦の泥沼が始まり、
ここでパイロットも補給も機体も失っていった日本側が
やがて一方的に押しまくられてゆく事になるわけです。
これはF6F、F4Uともに参戦前ですから、ゼロ戦は結局、
このF4Fによって太平洋から駆逐された、とは言えるでしょうね。

この辺りの点を少しだけ詳しく見ておきましょう。
まず、アメリカ海軍が公開してるUSN/USMC accident investigation reportsという記録があり、
これには海軍、海兵隊の損失機が全て記録されてます。
(ただし微妙に怪しい部分がある。特に日付はアメリカ本土時間になってない事が多いので注意)
この資料は手書きが多い上にボロボロで、
英語圏の人間でも読むのに苦労するだろう、という代物ですが、
ありがたいことに、これを読み取ってデータベースとして公開してるサイトが幾つかあります。

それを見る限り、開戦直後、いわゆる日本軍の怒涛の進撃が行われた
1941年12月8日から翌年5月8日の珊瑚海海戦までの5ヶ月間では、
開戦初日の12月7日(アメリカ時間)の真珠湾攻撃によって
12機失われたのが最大のF4Fの損失でした。

ただし、これらは空中戦闘によるものではありませぬ。
真珠湾の外に居て難を逃れた空母USS エンタープライズから飛び立って
ハワイに到着したところを地上の友軍から敵と間違えられて撃たれて失われた4機と、
地上で爆撃によって破壊された海兵隊の8機分であり、空戦によるものではありません。

また、同日にウェーク島の爆撃で地上で8機が破壊されてます。
(記録では7機になってるが、どうも実際は8機が利用不能の状態だったらしい)
結局、最初の5ヶ月間、日本の快進撃が続いてた間に
ゼロ戦とF4Fが交戦したのは、このウェーク島の空襲を生き残った
F4F 2機を相手に12月21日(アメリカ時間)に行われたものだけです。
この時はゼロ戦が損失ゼロ、F4Fが2機とも損失で終わってます。

もっともゼロ戦は6機居たので数の段階ですでに圧勝していたわけですが、
とにかく損失数の勝負の上ではゼロ戦の勝ちではありました。
(ただしF4Fの損失2機のうち1機は撃墜ではなく
基地に帰還したあと、修理不能で破棄されたらしい。
大規模な損傷ゆえなのか孤立したウェーク基地では
修理できなかったからなのかはわからない)

でもってその後の珊瑚海海戦、ミッドウェイ海戦を見る限り、
全体で見るとほぼ互角な戦果、という感じになってます。

例えば比較的資料が揃ってる珊瑚海海戦二日目、
5月8日(日本時間)の戦闘結果を見てみましょう。
日本側の空母瑞鶴(ずいかく)の戦闘詳報によればこの日のゼロ戦の損失は1機だけ。

もう一隻の正規空母、甲板使用不能の損害を受け戦場を離脱した
空母祥鶴(しょうかく)の戦闘詳報は残念ながら私は見たことがないのですが、
(現存してないかもしれない)
海戦に参加していた(瑞鶴の上空直衛)岩本徹三さんの手記に数字が出てきます。
それによると祥鶴の上空直衛機ゼロ戦は3機が撃墜された、
との事なので合計でゼロ戦は計4機の損失ですね。
(祥鶴の攻撃隊(制空隊)の損失が不明なのでさらに多い可能性あり)

対してアメリカ側は撃沈されたUSSレキシントンと共に沈んだ機体を別にすると、
その損失はUUSヨークタウン2機、USSレキシントンの1機で、合計3機でした。
(ただしレキシントンと共に沈んだとされる13機の内、
何機かは既に空中戦で失われていた可能性がある)

世界初の正規空母同士の海戦における
主力戦闘機の戦果はほぼ互角だったと言えます。

余談。
この海戦で、空襲時に瑞鶴がスコールの雨雲の下に逃げ込んで無事だったのは
よく知られていますが、これが直衛戦闘機の給油と重なってしまい、
このため3機(記述があいまいで2機の可能性もある)の
ゼロ戦が燃料切れギリギリの状態でスコールの外に取り残されてしまう事に。

その中の1機のパイロットが岩本徹三さんでした。
岩本さんと僚機はそのスコールの真っ只中、しかも敵の攻撃を避けて
ジグザグ航行中だった瑞鶴に無事着艦するという離れ業を行っており、
この時期までの日本海軍のパイロットの技量の高さが伺えます。
(戦後、手記を発表した日本人戦闘機パイロットはいくらでも居るが
空母決戦からソロモンの死闘までパイロットとして経験してるのは岩本さんくらいだろう。
他の歴戦のパイロットは、ほとんどが死んでしまっている)

結局、ゼロ戦とF4Fの勝負だけに絞って見れば、
ほぼ互角だった珊瑚海海戦とミッドウェイ海戦を経て、
地獄のガダルカナル戦へと展開してゆき、ここで優秀なパイロットも補給も機体も
次々に不足した結果、ゼロ戦がF4Fに圧倒されて行くことになります。

ちなみに、純粋に性能的な部分を見ると、
航続距離と最高速度(低高度でゼロ戦、高高度でF4Fが有利)はほぼ互角、
加速性&上昇力ではゼロ戦、旋回性でもゼロ戦が有利、
対して急降下速度、ロール速度(機体を機敏に動かす速さ)ではF4Fが有利でした。

が、決定的だったのは何よりも高高度性能と無線機の性能差でした。
まず既に2段2速過給器を積んでいたF4Fは、ゼロ戦の性能が低下し始める
高度6000mから上では、圧倒的な性能を発揮します。
(ただし今回紹介する初期型のF4F-3の生産開始には間に合わず、
当初は1段2速過給器で、生産途中から2段2速型に切り替えられて行った)

そして当時既に世界の常識になっていた無線機による連携の問題です。
ゼロ戦はそもそも無線が使い物にならない、というある意味スゴイ戦闘機で、
空中に上がると地上とも機上とも、無線連絡が全くできませんでした。
(この点は日本陸軍の単座戦闘機も同じだが)

これは自分が敵機を発見しても、すぐさま僚機に伝える手段すら無い、という事です。
これで空中戦を戦え、というのは何度考えても信じられないのですが、
実際、日本海軍の戦闘機パイロットはそんな機体で戦争を戦わされていたのでした。

この結果、ミッドウェイ海戦、さらにガダルカナルの消耗戦で
優秀なパイロットが失われると、ゼロ戦にはもはや戦う力は残っていなかったのです。



写真はF4Fの先代、グラマンのF3F。
こうして縦長の胴体を見ると、F4Fが先代のこの複葉機からの正当進化だ、というのがわかります。
スミソニアンのウドヴァー・ハジー別館に展示されてる民間機に改造された機体ですが、
全体的にはほぼ戦闘機時代のままでなので、参考にはなるでしょう。

でもってこの時代、1930年代後半のアメリカ海軍戦闘機の開発は謎が多く、正直よくわかりませぬ。
まず通常の戦闘機開発は、軍が僕らが欲しい機体はこんな感じ、
と要求仕様(Specifications)を作成してメーカーに公開します。
で、それに応えて各メーカーが設計を提出、審査をパスした機体が試作機を造り、
それらによる選考試験飛行を行って優秀と判断された機体が採用される、
といったような流れが基本です。

まあ実際は、競作ではなく、特定のメーカーを名指しで発注したり、
設計選考がなくて、いきなり全メーカーが試作機を造ったりする場合もありますが、
それでも最初に軍が示す必要な性能の一覧、要求仕様は必須です。
これが無いとどんな機体を開発すればいいのか、全く判らんのですから。
が、F4Fの場合、この点に関する情報がほとんど無いのです。
よって一体全体、どんな性能が要求された結果、この機体が生まれたのか、よくわかりません。

が、グラマン社がF4F3の開発にあたり、社内向けに発行したと見られる
要求細目の書類(DETAIL SPECIFICATION)が現存してるので、それを見ると
1935年9月1日にアメリカ海軍が公開したSD-24D、そして海軍と交わした契約68219号に基づいて
この機体を設計するとの一文が載っています。

調べてみるとアメリカ海軍が、SD-24 航空兵器の設計と検討の一般的な項目
(SD-24 General Specification for Design and Consideration of Aircraft Weapon Systems)
という書類を1935年に公開してるようで、どうもこれに基づいてF4Fは設計されてるようですね。
SD-24“D” というのはその更新版でしょうか。
ただしこれの写しを手に入れる事ができなかったのでその細部は不明です。
(フィラデルフィアまで取りに来るか、アメリカ国内の住所を示せと言われた…)

とりあえず、1935年9月ごろ海軍が何らかの要求仕様を出し、
グラマン社がこれに応えて開発したのが、最初の設計案、XF4F-1だったようです。
(11月から設計開始という話もあり)



せっかくなので別角度からももう一枚。

でもって、よく知られるように、最初の設計ではF-4Fは複葉機で、
上で見たF3Fの羽布貼りの主翼を金属外皮製にしました、
といった程度の改造が行われただけのものでした。

このため、あっさり(笑)ブリュースター社が提案してきた
単葉全金属の機体(後のF2Aバッファロー)に破れ、設計段階でボツを食らってます。
が、グラマン社はこれを単葉に置き換えて再設計(一説にはわずか3週間で)、
XF4F-2として提出すると、見事に試作機発注を受け、後にF2Aより優れた性能を示して、
一度は破れた採用競作を生き残り、ちゃっかり海軍主力戦闘機の座を手に入れてしまいます。

ここら辺りは後のF6Fでも全く同じパターンが繰り返されるので(笑)、
海軍の競作選考担当官は全員相当なマヌケでまともな選考ができないのか、
あるいはグラマンが金と政治力で海軍に製品をねじ込んで居たのか…
両者が半々、という気がしてますが、当然、なんら確証のある話ではないので真実は不明のまま。

ちなみにF4Fは早くからフランスへの輸出が決まってました。
が、輸出用の機体が量産に入った段階で、あの国はドイツによって占領されてしまいます。
そこでこれを買い取ったのがフルマーという、どこにやる気があるのか
全くわからない戦闘機を抱え込んで悩んでたイギリス海軍で、
当初はシーファイアやシーハリケーンの量産までのつなぎとして
F4Fはイギリス海軍に採用されてます。

ここから、イギリスの狭い空母での運用の必要性のため、後ろにひねって折りたたむ、
というF4FとF6Fで採用された独特の主翼折りたたみ機構が採用される事になります。
アメリカ海軍向けの場合、後期生産型のF4F-4からこれが追加されました。

ちなみにイギリスでの呼称はマートレット(Martlet)。
これはツバメ型の紋章(herald)を指すのですが(日本でなら家紋の胡蝶みたいなもの)、
辞書でも出てないことがある単語でして、
なんでこんな名前を付けちゃったのか、どうもイギリス人はよくわかりませぬ…。
アメリカ製品は、張子の虎、紋章の鳥のようなもの、という皮肉かなあ。

ついでにアメリカの呼称、ワイルドキャットはアメリカ大陸に生息する
ヤマネコ類の総称ですが、じゃじゃ馬娘、あばずれ、というった俗語の意味もあります。

2段2速過給器搭載、女性を指す隠語の名前、さらに実は武装偵察型がある、
とF4Fは妙なところでイギリスのスピットファイと共通点が多かったりしますね。

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