■答えは意外に単純だった
という感じで、主翼周りの空気の流速が音速に近づくと、
衝撃波が翼面上に発生し、これが失速と抵抗値の増大につながる、
という話を前回はしました。
…したんですよ。
ついでに前回は書き忘れましたが、航空機のプロペラも
主翼のような翼断面を持ちますから、
当然、マッハ0.8ぐらいから衝撃波の問題が出てきます。
プロペラ機が高速飛行に向かない理由の一つがこれです。
航空機のプロペラは風車の羽根のような単純な構造ではなく、
矢印で示したように主翼と同じ翼断面を持つのでした。
そこで生じる揚力を使って効率よく気体を前方に引っ張って行くわけで。
なので、これも衝撃波の発生とは無縁ではいられない事になります。
ちなみに、この写真だと、揚力の発生方向と機体の進行方向が一致してませんが、
これは可変ピッチプロペラであり、それをもっとも角度が深い状態にして展示してあるためでしょう。
普通に飛ぶときは、もう少し横を向けるはず。
さて、この主翼上の衝撃波は超音速飛行以前、いわゆる“音の壁”を突破する前から
発生する現象であり、この問題を何とかしないと、
超音速どころか、音速手前の速度で、機体は操縦不能になってしまうわけです。
そうは言っても、機体の速度が上がれば
自動的に主翼周りの気流も高速になりますから、
どうしようもないやんけ…という考えを一気に撃破してしまったのが、
ドイツの航空屋アドルフ・ブーゼマン(Adolph
Busemann)博士でした。
1935年の学会で、初めて高速飛行における後退(前進)翼の有効性を指摘してます。
が、これは、まだドイツのMe109がようやく初飛行してヤッホー!という時期で、
スピットファイアもゼロ戦もムスタングも、まだ飛んでない段階でした。
そんな時代に音速に近い高速飛行時の考察をやってもイマイチ注目をあびず、
さらに彼が示した後退翼(&前進翼)のコンセプトが
あまりに単純明快だったため、多くの航空機設計者は
音速でこの研究内容を忘却します(笑)。
が、ブーゼマン本人はまったくめげておらず、
第二次大戦開始前後から後退翼の風洞実験を開始して、
膨大なデータを集め、その有効性を確信、
コレがドイツ空軍に注目され、その研究は戦争中を通じて進化します。
さらにはデルタ翼の風洞実験まで入ったところで終戦となり、
彼はその貴重なデータとセットでアメリカにつれて来られ、
戦後、アメリカのジェット機に後退翼革命を起こすことになるのです。
ちなみに、ブーゼマンは最後までドイツに帰国せず、
アメリカで亡くなってるのですが、後で出てくるエリアルールのアメリカでの再発見にも、
どうも一枚噛んでたらしいです。ただし、この点については確認取れず。
さて、音速近くの飛行で有効とされた後退翼ですが、
デザインそのものは主翼上の衝撃波対策問題が起きる以前からありました。
機体の前後バランスの設計に失敗した時とかに(笑)、
主翼の揚力発生ポイントを前後にズラす目的で、
主翼を後ろに傾けて取り付ける、というのは古くから行われていたのです。
有名どころでは練習機のT-6テキサン、旅客機のDC-3(=アメリカ軍のC47)、
さらにはジェット機だけど、高速時の衝撃波対策ではなく、
実は設計ミスから後退翼になった(笑)Me262などがあります。
日本のキ−55、98式直協などもそうですね。
我らが日本陸軍の98式直協(写真は少し改造が加わった99式高等練習機)
も実は主脚から外の主翼が後退翼になっている。
これは下方視界の確保のため、とされるが、これでどんだけ視界が確保できるんだ、という気がするので、
どうもホントは設計ミスによるバランス調整が原因ではないかなあ、と個人的には思っております(笑)。
世界初のジェット戦闘機&爆撃機であり、後退翼ジェット機でもあるMe262。
さすがドイツだ後退翼だ、という感じですが、これも設計上の調整が原因で(笑)、
主翼で発生する揚力の重心調整のために後退翼にしたのは有名な話。
実際、もう一つのドイツのジェット戦闘機、He162はバリバリに直線翼ですしね。
ただ、後退翼は強度不足になりやすく、機体への取り付けが複雑になり
部品点数が増えるため、重量的には不利です。
Me262の場合、主翼下にエンジンまでぶら下げてしまってますから、
過重的にはキツク、相当、設計には無理をしてると思われます。
この後退翼は、むしろデメリットの方が大きかったような気も…
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