■明るい家計簿への道
さて、そんなわけでベトナム戦争にアメリカが直接介入する3年前、
1961年に国防長官の座についたのが、マクナマラ殿下だったわけです。
彼は統計分析の専門家であり、その手腕で戦後のフォードを
倒産の危機から救った、というべき人物でした。
そんな彼にとって、1961年頃の軍の予算は帳簿を見た瞬間に
失神しそうになるくらい、メチャクチャで浪費的なものとなっておりました。
で、マクナマラもハーバード関係者にありがちな、自分が世界一の秀才で世界最高の人間だよ!
と本気で思ってるタイプですから(笑)、この点の是正に全力で邁進することになるわけです。
さて、以前、一度載せたグラフですが、誰も覚えて無いでしょうから(涙)、
ここで再度掲載しておきましょう。
各年度におけるアメリカ政府の全財政支出のうち、軍事費が占める割合です。
家計で言ったら、全支出のうち、
どの程度の割合が軍事予算なのか、というグラフですね。
横方向の目盛りが、各年度における軍事予算の比率です。
ただし、あくまで割合であり、支出した金額ではないので、その点は注意してください。
年度ごとの総支出の割合で見れば、インフレ等の誤差は無視できるので、便利なのです。
まあ、一番すごいのは1945年で、軍予算は政府の全支出の9割近くを占めてます(笑)。
アメリカとしても、この段階になると、戦争継続は限界に近かった、というのがわかりますね。
当然、こんな事をしてたら国が滅びますから、戦争終了と同時に、
トルーマン大統領によって大幅な軍事予算の削減が始まります。
グラフでも、戦後処理が終わった1947年から急速に軍事予算の割合が落ちてるのがわかります。
で、1950年までは軍事予算は全体の4割以下に抑えられていたのですが、
この年の6月に始まった朝鮮戦争によって、当時の国防長官、ラベットが大幅な軍事予算の拡大に
尽力した、というのは前回説明した通り。
で、1951年に、再び軍事予算は全支出の5割を超え、そして翌1952年で、
ルーズベルトの跡を継いだ民主党のトルーマン大統領の任期が終わり、
1953年1月からはアイゼンハワーが大統領として登場します。
が、その1953年7月に朝鮮戦争は休戦となるのに、一度拡大された軍事支出は、
全く削減されず、1954年も政府の総支出の7割近い部分を占める、
という平時の民主主義国家としては、極めて異常な事態となって行くのです。
結局、アイゼンハワーが大統領の座にあった1960年まで、
その割合が5割を切ることはありませんでした。
これは準戦時状態、とでもいうべき状況で、狂ってる、というほかありません。
この時代に、アメリカの軍は誇大化し、例のセンチュリーシリーズのような、
金のための兵器を次々に量産、
軍は金のため、兵器生産のために存在する、という組織劣化が起こるわけです。
で、1961年に民主党のケネディーが政権を取ると、
この狂気を正面から叩き潰しに行く事を決心します。
そりゃ長生きできないよねえ…。
で、その重大な任務の切り込み隊長に任命されたマクナマラは、この点はよくやりました。
後のベトナムの泥沼化、さらに彼が強引に主導して、大失敗に終わった
F-111戦闘機の開発などから、最優秀スカポンタン国防長官の有力候補と
見なされがちなマクナマラですが、軍の狂気を抑え込む、
文民統制を取りかえす、という点においては、極めてよくやっているのです。
実際、ベトナム戦争に本格介入した1964年以降、
1967年から、微妙に割合が高くなっているものの、常に軍事予算の割合は40%代を維持しており、
第二次大戦はもちろん、朝鮮戦争と比べても、全く暴走はしていません。
予算のヒモを握っているのは議会ですが、議会相手にも、
軍相手にも、常に主導権を握る、という手腕をマクナマラは発揮しており、
この点は、評価されてしかるべきでしょう。
が、それでも、彼は異常なほどの熱心さでICBMを中心とした核弾道ミサイルを大量配備、
人類がいつ滅んでも全く不思議はありません、という状況を
1960年代に造り出した張本人であり、やっぱりスカポンタン、という気もします(笑)。
さて、そんなマクナマラの戦闘機に対する考え方が産んだのが、
次のページから見て行くF-4ファントムII とF-111となるわけです。
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