■ボイドは何をやったのか
何しろ色んな事をやってしまってる人なので、最初にボイドが何をやったのか、
を確認してしまい、その後で細かい部分を見て行くことにします。
彼がやった事で、この連載に関わって来そうなのは全部で8つ。
●その1
ネリス空軍基地にあった戦闘機兵器訓練校(fighter
weapons
school/FWS)の教官時代、
1962年ごろに空軍で初めて空中戦のやり方をマニュアル化してます。
しかも、相手のバックを取ってガーやったるねん、的な内容ではなく、
戦闘機の運動はすべて緻密な数式で説明されている、というシロモノ。
さらに、なぜその行動が必要なのか、どの角度からサイドワインダーを撃てば
確実に相手を落せるか、というとこまで図入りで解説された精密な内容で、
つまり読むのはエラく大変なものです(笑)。
●その2
1963年、エグリン基地に配属されると、基地に勤務していた民間人技術者、
クリスティーを巻き込んで(笑)当時はまだ珍しかった基地内のコンピュータを無断で使用、
膨大な量の計算から、エネルギー機動理論(Energy–maneuverability
theory)、
いわゆるE-M理論を完成させ、後の戦闘機の設計に大きな影響を与える事になります。
乱暴な言い方をしてしまえば、戦闘機の性能を数式化することで、
それまで“造ってみなけりゃわからない”というシロモノだった戦闘機の設計を、
事前に必要な能力を見積もって行えるようにしてしまったわけです。
飛行中、機体にかかる抵抗値を基準に
運動中のエネルギーを数式化したのが彼の理論です。
当然、少ない抵抗しか持たず、その結果として、
多くのエネルギーを維持する機体が優位に立ちます。
●その3
E-M
理論に興味を持った空軍上層部により、
次期主力戦闘機F-X計画(後のF-15)の開発への参加を命じられ、
その開発において、中心的役割を果たします。
ここで、民間人としてこの計画に参加していたスプレイと知り合い意気投合、
以後、この二人と、それに巻き込まれたクリスティの三人で(笑)、
空軍の機体開発に対し、数年間にわたって大きな影響力を持つことになります。
ボイドの最大の功績の一つ、その設計に深く関わったF-15。
間違いなく、この機体は1980年代から20世紀の終わりに至るまで、
世界最高峰の実力を持った戦闘機だったわけですが、
ボイドとスプレイはこの機体には満足していませんでした。
これが後にファイターマフィアの結成、F-16(&F-18)の開発へと繋がります。
●その4
F-15の完成度に満足できなかったボイドは、スプレイと組んで、
より運動能力に優れる軽量戦闘機の開発を、極秘裏にスタートさせます。
そして、当然のごとく巻き込まれるクリスティ(笑)。
これが後にF-16となり、F-18の原型となったYF-17となるわけです。
同時に、スプレイは、A-10の開発計画にも関わっており、
この機体の設計コンセプトをまとめ上げる立場になります。
E-M理論のキモは運動中に機体に加わる抵抗値(Drag)をどれだけ低くするか、なので、
機体の軽量化、という点が極めて重要な意味を持ってきます。
その点をより追求した戦闘機としてこのF-16が産まれるのですが、
この機体の開発は空軍と議会とファイターマフィアの、壮絶な三つ巴の戦いとなります。
●その5
使用目的がはっきりしないまま開発費ばかりが高騰していたB-1爆撃機が、
空軍の見積もりよりはるかに高額な機体になると指摘、
カーター政権によるB-1爆撃機の開発計画中止の要因のひとつとなります。
が、これを機に彼は空軍を去る事になるのでした。
1970年代のアメリカ空軍における最大の問題となったのがこのB-1爆撃機でした。
B52の初飛行から15年近く経った1970年、なぜ今さらという感じに開発がスタートした超音速核爆撃機ですが、
あまりに開発費用が高騰、ボイドたちは一貫してこの機体の生産に反対し続ける事に。
結局、カーター大統領が、一度、開発を中断してしまうのですが、
レーガン大統領になった段階で、メーカーのロックウェルが彼の地盤のカリフォルニア州に生産設備などを
持っていた関係で、性能と価格を低下させたタイプを生産することが再度決定されます。
これはレーガンがやった最大のミスの一つでしょうね。
●その6
空軍を去った彼は、その頃考えていた“人間の思考パターン”の理論をまとめはじめ、
これが後に、海兵隊の戦略基本方針、さらにはビジネスシーンにまで(笑)
大きな影響を及ぼすことになる、OODAループ理論に発展します。
この頃から、彼の興味は航空戦から、地上戦へ移ってゆく事に。
●その7
OODAループを中心に、ボイドが独自に組み上げた戦争戦略理論を見た海兵隊に招かれ、
後にWARFIGHTINGの名で知られる事になる戦略基本方針の根幹を造り上げます。
20世紀末から21世紀にかけて、世界中の(極東の某国は知らんが)地上軍に
広く影響を与えた、機動戦、浸透戦を前面に押し出した戦略基本方針がこれです。
●その8
湾岸戦争で、イラクがクウェートに侵入した直後、
当時、国防長官だったチェイニーに呼ばれ、ワシントンへ。
この時、なぜ呼ばれたかは守秘義務によって死ぬまでボイドは語らなかったのですが、
後にチェイニーが、ボイドからアドバイスを受けていた事を証言しており、
当時、アメリカの軍部ではまだ経験が無かった機動、包囲戦の計画に参加したと見られています。
…まあ、これだけいろんな事をやった軍人さんも珍しいですよね(笑)
空軍時代は、空戦理論、退官後は、陸戦理論の専門家となったわけで、
非常にユニークとしか言いようが無い人物です。
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